序章 目覚めは唐突に
目を覚ました彼方の瞳にまず差し込んだのは、白い光だった。
伸ばした右手を包み込むように、優しい光が部屋中を覆っている。
体を起こし、周囲を見渡して。
そうして彼方は、現状を整理するだけの余裕を作り出す。
「ここ、は」
見知らぬ部屋だった。
壁も天井も床も病的にまで白い部屋。
周囲には等間隔に簡素なベッドが置かれており、それ以外の家具は見当たらない。
そこでようやく、彼方自身も同じベッドの上にいることに気がついた。
「…………天国、にしてはずいぶんと事務的な光景だ」
そもそも天国に行けるほど善行を積んだ覚えはないと、彼方は首を振る。
地獄に行くほど悪行を積んだ覚えもないが。
「病院、いや、救護所か?」
意識が覚醒したばかりなのもあってか、彼方の脳内は未だに混乱していた。
なにがどうなっているのかと、無意味な自問自答を繰り返す。
そんな時間がしばらく過ぎて。
呟きを聞きつけたのか、彼方の元へと一人の女性が歩いてきた。
「ああ、えっと…………」
当然、彼方はその女性に見覚えはない。
もしかしたら自分が忘れているだけなのかもと思ったが、十中八九ありえないと断言できる。
なぜなら、その女性の外見があまりにも個性的だったからだ。
白銀の髪に白い肌。
その白を際立たせるように対照的な真っ黒の服装。
いわゆるゴシックドレスと呼ばれるそれは、白い部屋の中で影のように異彩を放っている。
「※※※※※※」
「――――は?」
目の前の女性が口を開くものの、彼方にはその言葉の意味がわからなかった。
日本語でも、英語でもない。
かろうじて言語であるということしかわからない、音の羅列。
「※※※※※※」
こちらの言葉も伝わっていないのか、一方的に女性は語りかける。
まるで世界が違うかのような、そんな印象を与えていた。
と、そこで女性は何かを察したのか、彼方へ向かって小さなペンダントを放り投げた。
ふわりという擬音が聞こえそうな速度で、それは彼方の胸元へと吸い寄せられる。
「っとと」
慌てて彼方がペンダントを受け止めると、ザザッというノイズ音が一瞬響く。
「――翻訳機のようなものです、これから手放さないように」
すると、目の前の女性の言葉が突然彼方にも聞き取れる言語に変化する。
彼女が使用する言語を変えた様子はないが、彼方の耳には日本語が確実に聞こえていた。
驚きと混乱で、彼方の視線がペンダントと女性の間を往復する。
「返事は?」
「あ、ああ、はい」
なんとか、言葉を返す。
しかしその胸中にはより多くの疑問が渦巻いている。
なにが起きているんだという思いが二重三重に彼方の心をかき乱した。
「えっと、ここはいったい」
なんとか混乱する頭から質問を引きずり出した彼方だったが、目の前の女性は無表情に言葉を返す。
「すぐに説明されるから、今は横になっていなさい。貴方はもう五日も眠っていたのだから」
「い、五日?」
その言葉に、ますます彼方は混乱する。
五日、五日と言ったのかこの人は。
「外傷はほとんど治したけど、栄養失調不衛生エトセトラによる衰弱は短期間じゃどうしようもない。とにかく今はゆっくり安静にしなさい」
女性はそう言って彼方へ、緑色の液体が注がれたグラスを手渡した。
「飲まずに舐めること。吐いて苦しみたいなら別だけど」
一方的にグラスと言葉を押し付けると、女性は部屋から早足で歩き去った。
あまりにも唐突過ぎて、彼方はそれを引き止めることも出来ない。
「…………なんなんだ、いったい」
なにもかもがわからない中、彼方はグラスを手に呆然とするしかなかった。