白百合と戦士の決意
集中治療室に、沈黙が流れる。
リーリエは手にした書類を眺め、手早く眼を滑らせた。
そんな様子を、エクレールはただ黙って見つめている。
「これは、なるほど……」
「すまないな、お前には苦労をかける」
書類の前半に記された内容は、上層部からの英雄へと向けられた期待の強さを示したものだ。
疲弊しているとはいえ、英雄がいなければ戦線は即座に瓦解する。
英雄を下げるわけにはいかないという傍観者による共通認識が、長々とした文章で綴られていた。
そして後半は、上層部へエクレールが提出した内容だった。
分厚い書類の大半が、ミズガルズ軍の有効利用について綴られている。
魔道陸軍を前線に投入しての徹底的な遅延防衛。
それこそが、エクレールの掲げる『戦争』の方法だ。
「この戦争における勝利とは、なんだと思う?」
それ故に、エクレールは問いかける。
はたして、勝つとはどのような意味なのかを。
「それは当然、星喰獣の撃滅では」
「そう、その通り。そしてそれはどのようにして達成される?」
「……それ、は」
そこで、リーリエは思考する。
そうだ、皆が当然のように掲げてはいる勝利条件。
だが、未だ誰も知らない事実をリーリエは初めて自覚する。
「星喰獣の総数を、我々は認識できていない――!」
防衛戦を強制されていたから、今まで誰も疑問に思う余裕を持たなかった。
この攻勢を凌ぎ続ければ、いつか戦いは終わるはずだと妄信していた。
だが、それはいつだ。星喰獣は、いったいどれだけの数がいるのだ?
百か、千か、万か。
いいや、今まさにその数を増やしていないと、誰が証明できる。
「だからこその時間稼ぎだ。我々だけで戦線を膠着にまで持ち込めれば、別の手を打つことができる」
敵地偵察。
それこそがエクレールの目的に他ならない。
「今までのような強制される防衛ではなく、こちらから立案した防衛戦。撃破ではなく、遅延を目的として動くのならばこちらの消耗は最小限だ。その隙に、星喰獣の情報を調べ上げる」
今までスタートラインにすら立てていなかった状況を変える。
これはそのための改革なのだと、エクレールは決断していた。
「ですが、これは……」
リーリエの瞳には、はっきりとした動揺が浮かんでいる。
手に持つ書類に書かれた内容は、どこまでも正しい言葉だった。
上層部は今までの多大な過ちを認め、我ら軍部の正しき方針を認めよ。
簡潔に記すと、それだけのことだ。
そんなどこまでも正しい正論が、黒いインクで記されている。
「ああ、お前の予想通り。上は己の失態を意地でも認めないつもりらしい」
無能とは、どこまでも苛立たせてくれるものだ。
エクレールの表情は表面上は平静だ。
だが、押しとどめた本心が周囲の空気を不穏なものに変質させている。
「だから、今必要なのはさらなる正論と結果だ」
結果を残すことで明確に見せ付ける必要があるのだと、エクレールは言い放つ。
どこまでも正しく戦うのが我々だと、胸を張って宣戦布告した。
「上を納得させるには、英雄以外の人物が戦力になることを証明しなければならない」
つまりは、我々だ。
エクレールはじっと目の前のリーリエを見つめている。
「最大の問題は、数が足りないことだ。限界まで基準を下げたが、未だに中隊規模しか集まっていない。優秀な人材は一人たりとも逃したくはないのだよ」
エクレールの目的は、リーリエを己の部隊へ勧誘することにある。
ミズガルズでも最上位の魔力量を誇るリーリエは遊ばせておくには惜しいという判断。
そして、彼方を守るという口実を用意すれば乗る可能性は高いという打算もある。
「――微力ですが、この身が皆の助けとなるのなら迷う理由はありません」
書類を全て読み終わり、リーリエは顔を上げた。
そしてエクレールの予想通りの答えが、その口から発せられる。
その瞳には、気高い決意とよぶべき光が宿っていた。
「微力などと。お前が微力なら、私たちの力は塵でしかなくなってしまうさ。謙虚は美徳だが、過ぎれば悪癖だ。お前はもう少し、自分の立場を理解しておくべきだな」
それが数少ないお前の改善点だと、エクレールは笑う。
「では、手続きはこちらで済ませておこう」
「――断る」
突如響く声に、二人の意識が一瞬だけ停止する。
むくりと、横たわっていたはずの半死人が動き出す。
「……今、なんと?」
「断る、と言った」
「それは論理か、感情か」
「十割感情だ、文句はあるか」
言葉の主、彼方はふらつきながらも確固たる意思でエクレールと対峙する。
ズタボロの肉体とは裏腹に、その気迫はこの場の誰よりも強い。
それは数秒か、はたまた数分か。
無音となった空間で、二人はお互いの目を見つめ続けている。
「わかった、今回は退散するとしよう」
エクレールは懐から一枚の紙を取り出すと、それを置いて立ち上がる。
話は終わったと、そのまま扉へ向かって歩き出した。
「申請書は置いていく。気が変わったらいつでも提出してくれてかまわない」
振り返りもせず、エクレールは一方的に用件を伝えた。
リーリエは突然の急変に理解が追いつかず、未だに混乱するばかりだ。
「ああ、余計なお世話かもしれないがね。己が傷つくことに他者の同意は必要ないなどと勘違いをしているのなら、いい加減に身勝手な行動は慎むべきだ」
最後にそう言い残し、エクレールは去っていく。
残された二人はその様子を黙って見ているだけだった。
「……どうしてですか」
扉の方向を向いたまま、リーリエは彼方を非難する。
「……今、ようやく実感したよ。エクレールには感謝しなくちゃな」
「いったい、なにを」
「俺は、リーリエに傷ついてほしくない」
その言葉に、リーリエは慌てて彼方の方向へと振り向いた。
今まで平行線を辿っていた二人の意識に、初めて向き合うために。
「言うまでもなく、これはお互いが想っていた感情だ」
「……はい」
そして、お互いに目をそらしていたことだ。
相手に傷ついて欲しくないから、己が傷を負う。
言葉の上では美しい自己犠牲だが、それは逃げでしかなかったと二人は自嘲した。
それは結局、己が苦しむのだから誰にも文句は言わせないと言っているだけなのだから。
誰かを守るという聞こえのいい言葉を盾にして、楽な道を選んでいるだけだ。
誰かが傷つくのは嫌だと、リーリエは言った。
リーリエには傷ついて欲しくないと、彼方は思った。
だから自分がと、安易な考えに逃げていた。
相手の気持ちも考えず目をそらして、己のために己を傷つけた。
「話し合おう。きっと、それが必要なんだ」
「はい。はい……!」
お互いに頑固者だ、きっと簡単には解決しないだろう。
だけど初めて、二人は大切な相手を真の意味で意識した。
それはきっと、これから先に必要な変化だ。




