英雄の羽休め
集中治療室と名付けられたそこは、来賓室を急遽改装したものだ。
重鎮をもてなすための絢爛豪華な装飾に混ざるように配置された数々の医療器具が、どうしようもなく異物としての存在感を放っている。
高級な家具は隅に追いやられ、部屋の中央は三つの白いベッドが占拠していた。
ベッドの横にはいくつかの椅子が置かれ、部屋中に独特な薬の臭いが立ち込める。
エクレールは部屋に入ると迷いなく中央のベッドへと歩み寄った。
コツコツという足音だけが、静かな部屋に反響している。
「話はできるか?」
「不可能です」
ベッドで眠る彼方ではなく、傍に座るリーリエが口を開く。
彼方自身は死んだように目を閉じ、眠ったままだ。
ずっと看病をしていたのだろう。リーリエもまた、外傷こそないが目に見えて疲弊している。
「見てわかりませんか? あなたたちはこれ以上、彼に何を望むのですか」
目線は彼方に向けたまま、エクレールを一瞥もせずにリーリエは話す。
リーリエの口調は問い詰めるような、強い拒絶を伝えるものだ。
しかしその口調に反するかのように、その声は弱々しく震えていた。
「なにが実力主義ですか。力の無い者は切り捨てて、力を持つ者は使い潰して。どこまでも綺麗事ばかりを言い連ねて。それで世界を救えるのですか。誰にとっての世界を救ったと言えるのですか……」
その言葉は誰に向けたものでもない。
ただ押さえ込んだ感情が溢れ出ているだけの、かろうじて言語になっているだけの感情の塊だ。
俯いたリーリエの胸の内が、本人の意識すら無視して零れていく。
リーリエの言葉に返事は返ってこなかった。
エクレールはただ黙って、横になった彼方を見下ろしている。
仮面を被ったかのような表情から、内心を読み取る事は不可能だろう。
事実、エクレール自身も己の心を理解しているとは言い難い。
彼方の全身は血の滲む包帯で覆われていた。
赤と白の二色が肌を隠し、痛々しい傷口を隠している。
「終わったか?」
リーリエの口が閉じられて数秒後。
後を引き継ぐかのようにエクレールは問いかける。
そんな冷徹とも言える口調が生んだのは、リーリエからの新たな反発だけだった。
涙を蓄えた瞳が細められ、エクレールを睨みつける。
そんな状況でも殺意の欠片すら込められていないことに、エクレールは微笑した。
そして同時に、リーリエの敵意が数段増しになってエクレールに降り注ぐ。
「……そう睨むな」
ため息をつき、エクレールはベッドの傍に座るリーリエへと語りかけた。
無人のベッドに腰を下ろし、懐から分厚い書類の束を取り出す。
「彼方の療養休暇申請を通してきたところだ。代理でお前が目を通しておけ。まったく上はどうかしている、こんな簡単な手続きすら通すのに苦労させられるとは思わなかったよ」
乱雑に放られた書類をリーリエは慌てて回収する。
だが、その視線は書類にではなくエクレールへと向けられていた。
呆然と、というような。
なにかを信じられないといった様子で、リーリエの表情は固まっている。
「なんだ、その顔は。私も反対派の一人だぞ」
ほとんどの人間には伝わらない微妙な変化が、エクレールの声色に現れる。
どこか拗ねているような、子供っぽい口調だ。
「こんな状態になった子供に、これ以上の重荷など背負わせてたまるものか」
二人の思いは、その一点において同一のものだ。
別の方向性で、お互いに不器用なだけで。
「……ありがとう」
流れ落ちそうな涙を必死に抑えて、リーリエはその五文字を搾り出す。
くしゃりと、手に持った書類に皺が入った。
「本当に、ありがとう」
「感謝などするな、こちらも立つ瀬がない」
感謝を受け取れる立場に自分はいないのだと、エクレールは自嘲する。
居心地悪そうに目を閉じ、数秒の間を空けた。
「話はできるか?」
「――はい」
心を落ち着け、二人は向かい合う。
これからの話をする為に。




