戦場は地獄の異名である
結論から言って、彼方たち斥候の任務は失敗に終わる。
規定時刻まで探索を続けたものの、星喰獣の影も形も見ることは叶わなかった。
完全な徒労と化した労働を恨むように、各々の足取りは重くなる。
精神的に緊張した状態での行動は、数倍の速度で体力を奪っていく。
元々体力の無い部類である彼方や輪廻は、既に肩で息をするほどに疲労していた。
「……そろそろ戻るか、向こうの様子も知りたい」
本部へと撤退の通信を入れて帰還しようとした彼方だが、そこで異常に気づく。
魔力を通したはずなのに、通信機からの返答が無い。
「――おい」
嫌な予感がする。
その場の全員が抱いた不安。
どうか杞憂であってくれと、皆が望む。
だが、戦場において楽観とはなによりも避けるべき現実からの逃避だ。
なにより状況が、そのような逃げを許さない。
突如、遠くで響く轟音。
物資に引火でもしたのだろうか。音のした方向からは狼煙のように黒い煙が天高く舞い上がっている。
音源は当然のように、英雄たちの仮拠点地。
その音がなにを意味するかなど、わざわざ問うまでもない。
襲撃だ。
そしてこの地で英雄を襲撃する存在など、一つしかありえない。
「星喰獣ッ……!」
その場の誰かが、そう呟いたと同時。
皆の脳内に、ここから取るべき行動が高速で入り乱れる。
任務は中止。急ぎ現場に向かうことこそが最優先。
その結論に至ったのはほぼ同時。皆が決断するまで十秒も掛からなかった。
「ここから全力で走って、何分だ」
「約十分ですね」
それはあまりにも長過ぎる時間だった。
彼方は舌打ちをすると、即座に方針を決定する。
「無理をしない程度に急ぐぞ、体力と魔力は極力温存していく」
「か、カナタ! 一刻も早く向かうべきではないのですか!?」
「ここで消耗して向かったところで、救助に向かった俺たちまで全滅したら笑い話にもならない。現状、最も優先するべきなのは戦力の確保だ」
リーリエの焦った声にも、彼方は冷静に判断を告げる。
それは冷酷でもあるが、正しい判断だ。
仮とはいえ、指揮官に選ばれているのは伊達ではない。
「異論は?」
数秒の間が、周囲に流れる。
その沈黙を返答と受け取り、彼方は先頭を走り出す。
リーリエもわかっている。感情ではなく理論で行動するのならば彼方の考えが最適解であり、己の考えはなんの役にも立たない善意でしかないのだと。
血が滲むほどに唇を噛みしめ、リーリエは彼方の真後ろを走る。
後ろについてくる他の面子を一瞥し、涙を堪えて祈りを捧げた。
どうか、無事でいてください。
逃げてもいい、命を散らすことなく生きていてくださいと。
精鋭が集まるはずの野営陣地内は、地獄と化していた。
悲鳴と絶叫が鳴り響く中心にいるのは、異形の怪物としか言いようのない化け物だ。
無理やりに例えるならば、虎の体に鷲の爪と蛇の尾と言ったところか。
その体は黒い体毛に覆われ、付着した赤い血液が模様のように浮かび上がっている。
赤い絵の具を撒き散らすのは、目の前に立つ英雄たち。
ある者は逃げ惑い、ある者は特攻を迎撃され、ある者は恐怖に震えて動けない。
そしてその全てが、暴れ狂う怪物によってその命を破壊される。
これこそが星喰獣。暴威を振るうその姿は、まるで悪魔の尖兵のようだった。
「これ、は――」
酷過ぎる。
それが彼方の端的な所見だった。
「……酷い」
それは、誰が口にしたのか。
少なくとも、斥候部隊の全員がそう思っていたのは事実だ。
だが、その意味合いは個人間で大きく違う。
散っていく命に嘆く者。
初めて直に見る星喰獣に恐怖する者。
その場にいない自身の幸運に安堵し、直後にそんな自分を戒める者。
だが、今宮彼方の脳内は、そのどれとも違う感情に満たされている。
たった一体の星喰獣に壊滅されられる精鋭を見て、彼方はこう思考したのだ。
「英雄とは、ここまで弱いのか」
「カナタ――?」
その言葉の意味を理解できたのは、この場では同類の輪廻だけだった。
リーリエは不安そうな目を彼方へと向けている。
この男は今、なにを言った?
この地獄のような惨状を見て、第一声が仲間への叱責?
いいやそんなはずはないとリーリエは首を振る。
そんなわけがないじゃないかと、己に言い聞かせる。
彼は、この人は、そんな冷血な人間ではないはずだと。
「早く、助けに」
「待ちなさい」
焦り、飛び出そうとしたリーリエの肩を掴み止める腕。
その力は万力のように強く、事実ミシリと骨の軋む音が聞こえるほどだった。
リーリエが振り向くと、そこにはクリミアの姿がある。
まずは落ち着けと、氷のように冷たい目でリーリエを制止していた。
「私はここに残ります。生存者はこちらに連れてきなさい」
生きていれば、私が治します。
地獄のような戦場においても、この女は決して揺らぐ事はない。
治し、治療し、命を繋ぐ。
それこそがクリミアという人間の全てであると、高らかに宣言している。
輪廻とクリミアがペアとなった理由を、彼方は瞬時に理解した。
英雄の信念や使命とはかけ離れた二人だが、この場において冷静に行動できるというのはなによりも得がたい長所だ。
だから、彼方はその役割をクリミアへと託す。
そのために、自分がなにをするべきなのかを思考する。
「俺とリーリエで星喰獣を足止めする。その間に残りの面子で救助に当たれ」
「――はい。せめて、一名でも多くの人命を」
彼方の合図で、斥候部隊は散り散りに走り出す。
リーリエと彼方はお互いに目配せをすると、未だ猛威を振るう星喰獣の元へと駆け出した。
彼方にとって、初の実践。
この世界に来た使命を果たす瞬間が、ついに訪れた。




