怪物の覚醒
まず起きた変化は、風だった。
玻璃を中心として、音が鳴るほどの強風が吹き荒れる。
次に起きた変化は、玻璃の持つ剣。
ただ構えただけの剣に、突如亀裂が走る。
これが玻璃の魔法。
正体不明だった攻撃の正体。
「天候操作、いや、違う……」
彼方の脳内を、再び様々な憶測が巡る。
攻撃の手段が判明した以上、対策も打てるはずだと。
しかし、そんな考えを玻璃は跳ね除ける。
剣を振り下ろした。
玻璃の行動はそれだけだ。
ただそれだけで、大地が割れた。
地割れのように、剣を振り下ろした先に亀裂が走る。
これが玻璃の全力。
力の全てを戦闘に使用した、英雄の魔法。
「どっちが化物だ……」
冷や汗を浮かべながら、しかし彼方は思考する。
地力では勝てないのだから、せめて力の正体だけでも探らなければ勝ち目は無い。
だが、その正体が掴めない。
彼方の体に刻まれた傷跡。
ひび割れた大地。
その二つが、どうしても繋がらない。
使用している魔法は一つのはずだ。
ならばこの二つの現象を発生させられるものとはなんなのか。
考えを続ける彼方だが、その思考は強制的に中断させられる。
玻璃が距離を詰めて剣の間合いを作ったのだ。
攻撃方法は振り下ろしのみ。
だが、その威力はまさに一撃必殺。
直撃すれば人の身など、簡単に両断されるだろう。
彼方は強制的に全力での回避を強いられる。
ただでさえ純粋な魔力に差がある相手の必殺に、彼方の体力は削られていく。
「ッ!」
必死に回避を続ける彼方だが、遂に限界が訪れた。
亀裂に足を取られ、一瞬動きが止まる。
その隙を、当然玻璃は見逃さない。
真正面に立ち、彼方を一刀両断するべく剣を振り下ろす。
バキン、と音が響いた。
振り下ろそうとした剣が、粉々に砕かれる。
「間に合った、か」
息も絶え絶えに、彼方はそう呟いた。
これこそが狙いだったのだと。
ひび割れた剣が限界を越える瞬間こそを、彼方は待ち望んでいた。
今こそが好機だと、彼方はここにきて接近戦を仕掛ける。
両の拳に魔力を纏い、繰り出したのは顔面を狙う全力の右ストレート。
なにかが潰れる歪な音と共に、鮮血が舞った。
「な、に……?」
鮮血に塗れるのは彼方の右腕。
玻璃の顔にはかすり傷一つついてはいない。
「ああ、そうか」
納得がいったと、彼方は笑う。
ようやく理解ができたと。
「――気圧操作。それがお前の魔法の正体だ」
玻璃はなにも言葉を返さなかった。
だが、その目つきこそがどんな言葉よりも正解である事を告げている。
「不可視の斬撃の正体は、擬似的な低気圧の空間を作り出していたから」
空間に踏み入った手足が、気圧の減少により自ら裂けていた。
「地を割る斬撃は、剣の周囲の気圧を下げていたから」
大気を纏う剣が、全てを切り裂いていた。
「何度も食らったおかげで、だいたいわかってきたよ」
効果範囲や持続時間を体で覚えた彼方だからこそ、ひたすらに逃げ回って機会を待った。
全てはこの瞬間のために。
「なのに、おい、ふざけるなよ」
潰れた右腕を震わせて、彼方は声を絞り出す。
「これは、なんだ」
「真空の盾だ。生身で踏み込めば、死ぬぞ」
あっさりと、玻璃はそう言い放った。
周囲に張り巡らせた、不可視の盾。
先ほどの刃を超える密度と威力。
それは全てを破壊する、真空の盾。
最強の盾を構え、玻璃は立っている。
彼方の魔力では、この盾を突破する事は不可能だ。
「そして、俺は油断をしない」
油断なく、一撃で仕留める。
そう言って、ゆっくりと歩き出す玻璃。
ここに勝敗は決定した。
真空の盾を破れない以上、彼方に勝機は存在しない。
唯一の勝機は“狂戦士”による魔力の上昇だが、玻璃は決して油断をしない。
細かな攻撃を捨てて、必殺の一撃のみを繰り出し続ける。
だから、玻璃の勝利はすでに決定している。
――はずだった。
「なん、だと?」
彼方の速度が上がる。
必殺の一撃を避け続ける。
身に纏う魔力が、今もなお上昇を続けている。
その現実に、玻璃は混乱を隠せない。
「……まさか」
玻璃は、一つの可能性に行き着いた。
だが、それが事実と認めることを脳が拒む。
それを認めるわけにはいかないと、理性が理解を拒否していた。
しかし、目の前の光景がその仮説を立証していく。
ああ、そうだ。こちらの攻撃が当たっていないのに、彼方の傷が先ほどから増えている。
ならば考えられる可能性などただ一つ。
「貴様、自傷だと――?!」
己で己を傷つける。
ああ、たしかにそれは論理的だ。
敵の攻撃よりも調整しやすく、限界まで強化が可能。
また、好きなタイミングで理想値まで引き上げることが出来る。
だが、それは人が行える行為ではない。
深い傷を己で刻むなど、まともな神経では不可能だ。
その上で痛みに耐えて集中を持続させるなど。
その不可能を成し遂げる彼方を見て感じたのは、恐れでも恐怖でもない。
ただ、不可解。
これは本当に、自分と同じ人間なのかという疑問。
そして、彼方はその隙を突いた。
動揺、恐怖、恐れ、疑問。
そんな隙を、目の前の化け物は逃さない。
強行突破。
全身を真空の壁に切り刻まれながら、ついに届かせる右ストレート。
血まみれの拳が、玻璃の顔に吸い込まれる。
「ガッ――!」
響く爆音。
およそ人体が出したとは思えない音が響き、玻璃の肉体は真後ろに吹き飛ばされる。
壁にぶつかって、ようやく止まる玻璃の体。
途切れた意識が再生したとき、目の前に映るのは全身を真っ赤に染めた化け物の姿だった。
そこからは一方的だ。
殴打。
足刀。
殴打。
頭突き。
殴打。
殴打。
殴打。
意識など既に飛んでいる。
もはや反射で痙攣を繰り返すのみ。
肉の潰れる音と、絵の具のように飛び散る赤色だけが繰り返される。
その一方的な暴力は、彼方が出血で倒れるまで続いた。
その場にいた誰もが、その光景を黙って見ているしかできなかった。
恐怖に震えた足が、根を張ったように動かなくなっていたのだ。




