プロローグ 終わりを告げた第一の人生
――どこかへ行きたい。
十七歳の誕生日を祝う間もなく、今宮彼方の脳内はその言葉に支配されていた。
特に具体的な希望があるわけでもないが、ここではないどこかへ行きたいという漠然とした思いが日増しに強くなっていくのを感じている。
それは旅行に行きたいだとか、自分探しの旅に出たいなどという前向きな感情とは程遠いものだ。なぜならこの感情は、とても単純な人としての本能から発せられる願望であるが故に。
すなわち、生命の危機。
ここにいては遠からず死んでしまうという、単純明快な理屈に過ぎない。
「――――――!」
バタンと乱暴な音を立てて閉められた扉を目線だけで確認し、彼方は痛む体をゆっくりと動かした。
両親の外出しているこの時間だけが、数少ない休息を許される瞬間だ。
薄汚れた窓から差し込む日光に、彼方の肉体がその姿を明かすように照らされていく。
血液の付着したハサミで乱雑に切られ、痛みきった茶髪。
青痣と垢で塗装された枯れ木のような肉体。
感情を喪失しているようにしか見えない、泥色の瞳。
父親の暴力は最近になって頻度が増している。
母親はここ数日、姿を見せていない。
両親からの虐待を日常のように受け続けた体は、いつ壊れてもおかしくない。
水以外の物を数日間口にしていないせいか、胃袋が空腹を訴える気力すらも失っている。
「――どこかへ、行きたい」
掠れた声で、呟きが漏れる。
ここではないどこかへ。
せめて、人として生きることのできる場所へ。
これは、そう願った彼方へ送られた、神様からの誕生日プレゼントだったのかもしれない。
「承った」
「――えっ?」
耳元で、何者かが彼方へと語りかけた。
慌てて周囲を見渡すが、この部屋にいるのは彼方だけだ。
ついに幻聴が聞こえるほどに精神が磨り減ったのかと彼方が感じた瞬間。
「汝が望むのなら、手を伸ばせ」
再び、声が響く。
それと同時に。部屋の中央が赤く輝きだした。
それは不気味なほどに赤く、紅い輝き。
乾ききった血液のような、命をそのまま垂れ流しているような輝きだ。
反射的に、彼方はその輝きに吸い込まれるように手を伸ばす。
今も輝きを増す光へと、震える体を必死に動かして。
これは、きっと神から与えられた救いなのだと。
どうせこのままでは遠からず死に至るのだ、幻覚だろうとなんだろうと構わない。
生きるために。
ただそのために、彼方は必死で手を伸ばす。
細かく震える指先が、光に飲まれていく。
腕が、顔が、胴体が、足が。
そして全身が光に包まれた瞬間、彼方の意識はそこで途切れた。