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スノー・シャンテ  作者: ごま塩
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二章 抱く母の調べ1

世界は、残酷だと思った。

だって、大切だった人をあまりにも早く奪っていったから。

彼女が死んでもなにも変わらないこの世界がいっそう憎くなるけれど、少女はそう思うことは決して許されなかった。

できるものなら感情のままに泣き叫んで絶叫してしまいたかった。

どうしてあの人を私から奪ったのと。どうして、やさしいあの人が死ななければならなかったのだと声が嗄れるまで訴えたかった。

それほど彼女への愛情は強く、深ければ深いほど、悲哀を帯びて黒い憎悪を募らせていく。

けれど少女は憎しみに駆られるまま振る舞うことは許されない。

自分を取りまく閉塞された環境が重くのしかかる。

戒めるような毎日を送るけど、時が経つほど息をするのすら苦しくなった。

――では、私はどうすればいいのだろう。

 追いつめられて行き詰まった少女はとうとう行動を起こした。

悲痛なまでの願いを、ただ叶えたいがために。


                  ∮


――世界は神によって今も護られている。

創世から生きる神により世界は大まかに四つに分かたれた。

東は聖域とされた海域。太古に「終焉の島」と謳われた島国からなる、リヴィアタンが治める『(しん)(かい)(りゅう)共和国』。

西は聖なる海を越えた大陸の平原。険しい山々と渓谷を連ねた(あまね)く空を頂く、ジズが治める『ヒンメルエル首長国』。

 同じく大陸の南。大陸の覇者にして灼熱(しゃくねつ)の地を育む、ベヒモスが治める『テレノトルバ君主国』。

そして中央大陸の彼方の海を越えた北。辺境にして最果ての地。神話の終わりを告げた異端の神が治める『アーケルソル帝国』。

今は数百年におよぶ長き平和が誓約されている。

世界は二度の終焉を迎えた。この悲劇に失われたものは多く、だが世界には待ち望まれていた安寧が訪れた。

そして世界は再び胎動を始める。その中心こそ――最果て、より。


                   ∮

 

今日もそれといってやりたいこともないから、知識だけ頭に詰めようと気ままに書物を手に耽る毎日。

 窓を見ればかわり映えしない天気。薄暗い室内だって同じで、ドアを開けているのも明りとりのため。

ぺらりとページをめくって適当に眺める。頬にかかる髪をうっとうしげに払って、少女は自室に篭っていた。

ベッドと机と本棚、それに服をしまう木製のクローゼットしかない室内はどこか冷めた印象を与える。

女の子らしいとはいえない素っ気ない内装だが少女は気に入っている。

無駄に飾ることはしたくないし、さっぱりとしたこの感じが好きだから。

簡素な机にむかって、無音の部屋には本をめくる音だけが聞こえる。

興味深い目録を見つけた少女は、黄ばんだ紙の上に印刷されたいやに堅苦しく長ったらしい文面を軽くなぞる。

そこに書かれているのは自分の生まれ故郷である国のおおまかな記載だった。

 いったいどんな陳腐な飾り文句を並べたててくれているのやら。

不機嫌そうに細めた目で少女は字を追う。


『――アーケルソル帝国。

かつて覇者と謳われた異端の神が治める北に位置する最果ての国。

初代皇帝となったその神は「追われる者を匿え。異端である者こそこの国には相応しい」と国家の維新として掲げる。

創始は異端とされた者たちが集って根付き、現在の国民である子孫たちを生み育むとされる。その制度は今も健在する。

安住の地を求める者たちは最後の希望として帝国を目指す。かの国は、どの者にも等しく手を差し伸べるのだから、と』


ずらずらと幻想を記している書物に頭痛を覚えて顔を上げる。

「…………うそよ。どんな悪夢よ、これ」

幻覚かと思って目蓋(まぶた)をこすって目を落として一枚めくる。今度は少女の故郷についてだ。


『――帝国の首都、ノヴルーノ。

地の最果てにあり、険しい寒冷の土地。不毛の凍土だったそこを、この地に集まった人々は幾年もかけて開拓した。

神の加護もあって人が住まうには十分な環境が整っている。

首都であるも最も過酷な環境下だがその歴史と国柄により、多くの学を学べる学園首都として栄える。

幻となった聖獣を学ぶなら随一とされる他、聖歌の歴史、聖歌を使った独自の魔術や戦術など多彩な分野を誇ることで有名。武人、賢者といった者たちを各国へ多く輩出する』


と、こっちはきちんと事実を書いているからやっと胸を撫でおろす。

たしかにこの国の方針はちょっと変わっているのかもしれない。

思えば子供の時から平和を望むからこそ力を知れといわれて育った。むやみに誰かを傷つけないように。

だから、強くなって力を手にするのだと。

 けれど、と少女は思うのだ。

 現実とは知らぬが仏。真実を知ってなげく者は必ず見つかると。

彼女は自分を不幸だと思っていた。

世界が知らない事実を知っていてそれがいっそう幻滅を招くから。

生まれ故郷であるこの国は大好きだ。

首都でも辺境地にあるから寒さは厳しいし最悪に住みにくい環境だろうと、この都市が一番好き。

まあノヴノールの街並みはいつ見ても味気ないと思うけれども。

閉塞感を与える重厚な石造りの街並みは雪に埋もれているしあまりぱっとしない。

帝国で木造の建物は温かい南方の土地でしか見られない。この街は雪と寒さに強い頑丈な石造りの家々しかない。

寒冷な土地だからこそノヴノールは独特の冷たい無機質さを演出している。

それこそ理想の都市のように美しい空の下に優雅な城なんてない。

空は曇天(どんてん)に覆われ、主要となるのが巨大な岩山を()り貫いて造られた、凍土に守られた荘厳(そうごん)な城塞。

首都の最奥にいかつい要塞があるだけ。そこに帝国を治める皇帝がいるという筋書きだ。

当時は要塞だったがそのまま首都と城になるとは予想もされなかった、とあった。

気まぐれに読んでいた国の歴史を記した書物をぱらぱらとめくる。

やはり理不尽とはこのことだ。少女は確信を抱く。

場所はノヴノールの貴族が住まう区画。最果ての城に近い立地に佇む、厳格さを醸し出す石造りの屋敷。貴族の屋敷の中でも小さいその屋敷に少女は住んでいる。

彼女は名前をヴァールハイトといった。

集中して本を読んでいたが頬にかかる赤く長い髪が鬱陶しい。痺れを切らして、下ろしていた髪を無造作に束ねて高い位置でまとめる。

強気そうな顔立ちも着る服装も、見せる仕草も品のあるお嬢様を装ってはいるが。

ヴァールハイトはあまりにアンバランスな性格をしていた。

「……あー…。本当にどうなっているの? この国って。やっぱり初代様ってヤツに洗脳されてるの?」

うんざりして顔から机に突っ伏す。冷えた机が頬に当たって気持ちいい。

いつも納得がいかない。

屋敷の書斎に篭ってもノヴノールが誇る図書館に通っても、どの書物も同じことしか載っていない。

一番知りたいことがどこにもない。

貴族の子女ながらヴァールハイトなどと男のような名前をつけられてしまったからか。

憎き名付け親が「女という枠組みに囚われるような愚か者にならないように」なんて、とんでもない理由から命名された。

ヴァールハイトはこの都市では有名な子女として君臨している。当然噂がひとり歩きして。

 耳にすれば、剣術は城仕えの騎士にも勝るとか、魔術は賢者も負かす秘義を持つとか。

一番腹が立ったのが、皇帝の寵愛を受ける腹心。冗談じゃないといつも拳をにぎる毎日だ。

ヴァールハイトは皇帝を目の敵にしていた。関わりなんてないけどいけすかない。

悶々とこの怒りをどうしてくれようと、書物を閉じて机に置き、優雅な物腰で立ち上がろうと見せかけて――――。

すでに感知していた背後の気配目がけてスカートの裾を翻し、その片脚を初動も見せず真上に向かって鮮やかに蹴り上げる。

「――うお…!?」

けれど、おどけるように声を上げたその人物は上体をしなやかに反らして避けてしまった。

不発に終わってヴァールハイトは眉を寄せ、半目でその人物を見据えるべく乱れた服装を整えむき直る。

「……で? 物音も立てずに侵入するなと言ってますよね、オジサマ。本日は何の御用ですか?」

「いやぁ…お前、まったくもって洒落にならんぞ?」

相変わらずのじゃじゃ馬だと、へらりと笑いながら嬉しそうに言うその人。

おじ様というにはあまりにも若い外見の青年がそこにはいた。

肩までの漆黒の髪を無造作に下ろし、時に鋭く思える暗紅色の双眸は上機嫌に細められている。

纏う服はいつ見ても風変りだ。今日はこの寒い中で肩を剥き出しにした南国風の装い。

袖なしの黒いタートルネックを中に着込み、上から白い羽織をベルトで止めて着崩している。ズボンも動きやそうなデザインでシンプルなブーツを履く。

不機嫌に見上げるヴァールハイトを彼は笑顔で受け流す。

「ヴァル、最近はどうだ」

「……それなりに、ですけれど」

翳りを帯びたヴァールハイトの目を青年は覗きこんでくる。

「そんなに、母が好きだったか」

「…………あたり、まえです。母は…私の、母は…!」

少女は口をつぐむ。心のままに泣こうとしてもすでに遅い。

数ヶ月前に全てが終わり、残されたのはヴァールハイトとこの静かな屋敷だけ。

思いつめるようになれば教会の墓地に行くようにしている。

真紅の双眸が悲しげに揺らめく。いつまでも悲嘆に暮れている暇なんてないとわかっているのに。

「お前の母は、自分の人生をまっとうしたまでだ」

冷たいと感じてしまうほどに静かにそう言われても。

「…ええ、そうです。わかってます」

 声を震わせて思わずヴァールハイトは俯く。

何度も割り切ろうとした。母は幸せだったのだと自分に言い聞かせた。

 でもふとした時に思い浮かぶのはもう見られないはずの母の笑顔。

 病弱な、母だった。

 体が弱く病気がちだったのにヴァールハイトを生んでからより儚くなった母。

父であるガイルは貴族といっても帝国より拝する地位はたかが準男爵。

家柄としては平民とは変わらない。

地位は低くとも有能な彼は穏やかな気質の人だが母を亡くして人が変わった。

 あれからヴァールハイトを屋敷に残し、勤め先である城に留まっている。

彼は宮中を護る騎士で中でも魔術の才がある。各地に配属される新たな騎士たちに魔術を指導する立場についてもいた。

 最近になって無理に働き続けて、ついに倒れたと聞いたときには目の前が真っ暗になった。

糸が切れたように気落ちするあまり弱るばかりの父。

心から母をひたむきに愛していた人だった。母を失った悲しみは身をもがれるほどだったろうと思う。ヴァールハイトもまた落ちこんでいた。

深い悲しみに弱るヴァールハイトとガイルではあるが、血縁者である彼がよく気にかけてくれていた。

 ヴァールハイトの名付け親にして兄のような人である、シレンシオであった。

彼はヴァールハイト含め一族にまつわる面白い伝承があるといって皇帝直属の配下に召し上げられた。

彼を通して皇帝はよくヴァールハイトも気にかけているとか伝えてくる。

でも皇帝陛下とやらがどうしてそんな理由で自分を気にかけるのかわからないし、救ってくれるわけでもない。

城仕えする父を持とうともヴァールハイトは簡単に宮中に入れない。

こうしてシレンシオが倒れたガイルを見舞って知らせてくれる。

 だからまだ屋敷にひとりでいても平気だった。

 不機嫌な態度をしていても彼には感謝をしている。シレンシオの存在はヴァールハイトの心の支えでもある。

生まれ育ったこの屋敷は小さいし召使いを雇える余裕はない。父が蓄えてくれた財をやり繰りしてヴァールハイトは生家を守っている。

いつかまた母のことを笑顔で話しあえるように。

 父のためにも前を向いて生きていかなければいけないから。

きゅっと唇を噛んで強くあろうとする少女を、シレンシオはふっと微笑みを浮かべてその頭にぽんと手を置く。

「な、なんですか」

「お前は、よくやっているよ。ガイル準男爵もお前のことを話す度に、いつもすまないとおっしゃる。あの方も、お前を案じているよ…いつだって」

だからそう思いつめなくてもいいと、小さく震える体をそっと抱きしめてやる。

「ちょ…っ! いきなりなんですか」

「甘えたい時に甘えとかないと、いつかは倒れてしまうぞ」

見ていても痛く映るその姿にこんな慰めは気休めかもしれない。それだけ、ヴァールハイトと父のガイルが失ったものは大きかった。

「……父様は、お元気でいらっしゃいますか…?」

「あぁ。大分落ちつかれたご様子だ。医師もこれならもう心配ないと言っていた。お前が思うようなことは起こらないから、もう安心しろ」

「…………っ…、よかった」

「大丈夫だ。きちんとお前のもとに、帰って来られるおつもりだから」

 小さくうなずいて静かに泣く少女。

ひとり耐えようとする彼女も支えがなくては今にも倒れそうだった。

 大好きだった母まで失い、父も倒れて孤独になるのかと思う恐怖がヴァールハイトを蝕んでいた。

裕福とはいえない地位にあるクローフィ家ではあるが一族の繋がりは強かった。なによりも、家族の絆が深かったから。

 そしてそれが今のヴァールハイトの生きる理由でもある。

この少女を支えてやることがシレンシオにできるたったひとつの手助けだ。

 可愛い姪であり妹のような女の子だ。

 小さな頃から見守ってきたから、また屈託のない笑顔が見たい。

 なんの翳りもないヴァールハイトの笑顔を。

一時のなぐさめでもきっと糧となってくれる。そう期待して。

青年は、ただ少女の支えとなっていた。

だがヴァールハイトの悲しみは癒えることはない。いっそう深くなるばかりだった。

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