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スノー・シャンテ  作者: ごま塩
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ある亡きシスターの哀歌2

教会も広場に面した通りにあった。

町の中央に修道院があり、その敷地に内包された形でアウィスの教会は建っている。

アウィスの広場はひとつしかない。人々が集まるのも一番賑やかしく人通りが多いのも決まって広場だ。

「やあネージュ、やっとシスターに会いに行くのかい」

「うん」

「そうか、よろしく伝えておいてくれ」

すれ違うたびにネージュは親しげに話しかけてくる人と言葉をかわす。

頬をなでる風が涼しくて真上を見上げれば、もう空高く輝く太陽が頂点に昇っている。

朝市は終わり、露店は畳まれてすっかりと今朝の喧騒が消えていた。

のんびりとした町の雰囲気が戻っていて、教会へと向かうネージュを見かけた人が手を振って笑いかけてくれる。

孤児院で引き取った子どもを、町で協力して養うのは当然だとアウィスの人々は考えているらしい。

修道院で暮らす孤児たちは教会の者たちから日々読み書きを教わり、生きる術を身につける。孤児院は彼らの一時の家であり学び屋でもある。

学はないが体があるからと職人を目指すものが多い。そのまま聖職者を志すものもいるが、それぞれの意思を尊重して修道院はできる限り働きかけてくれる。

アウィスの住民たちが細々と支援をおしまずしてくれるからできていることだ。

この小さな町のあたたかさをネージュはいつだって感じている。

だからこのアウィスがとても好きだった。

孤独だろうともそのあたたかさがあるから生きてこられた。

いつも町のひとたちが見守ってくれるからその好意に甘えている。

だれかが教会に向かえば、いつだって修道院にネージュの様子は知られてしまう。

でもマグノリアが言うことも本当だからネージュは久しぶりに修道院の門を潜った。

「お、久しぶりだな。元気だったか」

「うん。なんとか」

見知った顔を見かけて守門が眉を下げて苦笑を浮かべた。彼らの認識ではネージュがやんちゃだという印象しかない。

なにもいうこともないから、そそくさと目の前に見える古びた木造の教会へとネージュは足をむける。

よく心配をしてくれて、まるで家族のように思ってくれる年老いたシスターにはなるべく会いにいくようにしている。

ひと月に一度は顔を見せないと心配していると人伝に言われてしまうから。

夜になるまでずっと解放されている大きな木造の扉を通れば、質素な装飾で飾られた、高く吹き抜けの空間を有した礼拝堂が迎えてくれる。

礼拝堂を抜けると、すぐに廊下続きのシスターたちが交代で生活する宿泊部屋が奥まで見える。

修道院には主にシスターが住まう宿舎があり、残りは祭祀を司るそれぞれの聖職者で構成され、教会には交代で泊り込む。厨房もあり食事も教会でとれる。

年老いたリニスは教会ですごし、若いシスターたちを指導するマザーとしても、町の人々のよき相談役としても知られる。

怒るというよりも諭すという気質の人だ。安らぎをくれる老シスターは常に最奥にある個室にいる。

ネージュは木造の廊下をまっすぐぬける。部屋の前につくとドアを一度叩いて声をかける。

「シスター、来ました」

その声を聞いて、鈍く軋みながらドアはゆっくりと開かれる。

ネージュを出迎えたのは、頭に白きベールを被って紺を基調とした長いスカートの制服を淑やかに着こなした、皺を刻んだおおらかな面差しのシスター。

その目はネージュを見つめて柔和に笑んでいた。

「待っていましたよ。さあ、お入りなさい、ネージュ」

「はい」

部屋に招き入れられてネージュは素直にシスターの後に続く。

教会というだけあって室内はベッドと、机とその上に数冊の本があるだけの質素な内装だ。

ドアを閉めた彼女はネージュを抱きよせる。

温かなぬくもりに包まれてそのまま眠たくなってしまう。

だれかの体温に包まれただけでとても安心する。

「よく来ましたね。毎日、教会であなたの無事を願っていますよ」

大人しくしているネージュに心から慈愛を向けて穏やかに笑うその人が、シスターリニスだった。

ネージュをそっと放すとリニスは冷え切った小さな手を引いて、向かいあうように置かれている椅子まで連れていく。

「立ち話もなんですから、お座りなさい」

「ありがとうございます」

「どうですか? 近頃なにか変わったことはありましたか、ネージュ」

「いいえ、なにも。いつものように、きちんと生きてます」

片方の椅子に座って淡々と答えるネージュにおおよそ感情らしいものは見えない。

けれどその目は首に下げている輝石のように澄んでいる。それを見つめて、目を細める老シスターはようやく気がすんだようにうなずく。

大抵が言葉を交わして顔を見ればわかるというもの。

いつもならそれだけで行きなさいと送り出してくれるが、椅子に座らせたのはまだ話があるからだろうか。

向かいに座るシスターを見上げると、彼女は悲しげな笑みを浮かべて語りかけてくる。

「ネージュ。人は、いつかは死ぬものですね」

「……それは、シスターがよく知っているでしょう?」

「ええ、そうですね。……けれど、時には私にも割り切れない死というのも、ありますよ」

 息をついて、リニスは心を固めたようにすっとネージュを見つめる。

「……あなたに、どうしても聞いて欲しいことが、あるのです」

そうしてリニスはひとりのシスターのことをネージュに話してくれた。

彼女は、名前をマナンといった。

アウィスより遠い首都にある修道院の敬虔なマザーで、リニスの古い良き友人だったという。

リニスがシスターとなる前に共に何年か過ごし、同じ時期に晴れてシスターと認められた。

その生活の中で二人は親しくなり友人になった。

彼女は出身が首都で、リニスはアウィスの生まれ。

年を重ねると育った故郷が恋しく思えてならない。リニスは彼女と別れて遠いアウィスに戻ってきた。手紙のやり取りは欠かすことはなく、いつもお互いの事をしたためては送っていた。

だが、先日リニスの許に訃報が届いた。

住んでいた修道院にてマナンが静かに息を引き取ったという知らせだった。

彼女が最後にリニスに届けた手紙には、元気に過ごしているとしか書かれていなかったのだ。急に亡くなった友の死にリニスは声もなく啜り泣いた。

遠い土地に住まう亡き友人の葬儀に向かえぬかわりに、リニスはこの教会で粛々と彼女の冥福を祈ったと。

……そう、かすかに震える声で静かに息をつくリニス。

「懐かしいものです。彼女と共にシスターとなり、気がつけばもう私も彼女もこの年でした。……もう二度と、彼女の顔を見ることも、声を聞くこともできないのが、心残りでなりません」

「……そう、ですか」

「えぇ。彼女は、いつも笑って周囲の人にやさしく接する。……そんな、やさしい人でした」

涙ぐみながらも、微笑んで友人のシスターとの想い出を語るリニスの声は柔らかい。

とてもその人のことが好きで心から大切だったのだと孤児であるネージュにもわかる。

いきなりマナンのことをネージュに話したのは、リニスが亡き友人の最期を知りたいと願ったからだろう。

脳裏ではリニスと似たような制服を着た、見知らぬ年老いたシスターの面差しがよぎる。

彼女がどんな思いで亡くなったのかは知ることは出来ない。けれど、ネージュの持つ不思議な特技はそれがわかるのだ。歌として。

「ネージュ、彼女は…一体、最後になにを思ったのでしょうか」

涙を湛えた、ひどく悲しげな目をしている老シスターにネージュはマナンというシスターがその時に抱いた最期の歌を――その記憶を通して形にする。

今は亡きシスターは、とても慕われていたのだろうか。

(まぶた)の裏では、彼女が横たわる簡素なベッドのそばに若いシスターたちが寄り添って涙を流していた。聖職者であろう者たちも、うつむいて肩を震わせて、かの人を看取るように立ちつくしている。

老いたシスターは目をつむってしまう前になにかを呟いた。その声を聞いて、縋るようにそのやせ細った手を握って、近くにいた若きシスターたちは泣き崩れた。

その間際の彼女の歌なのだろうか。

言葉が溢れる。亡きシスターがなにを思ったのかはわからない。

でも、歌に込められた意味は……わかるから。

無意識にネージュは涙を(こぼ)しながら、心にあふれた記憶を声にして伝える。


――やさしき娘たちよ

親しき同じ時を生きた仲間たちよ

あぁ、私はとてもあたたかな心たちに包まれて旅立つのですね

いつまでもこうして穏やかな生活を送られないことは知っていました

私としての与えられた生をまっとうできた事に感謝は尽きないでしょう

私が死ぬことに悲しみに暮れる人たちよ

私はあなたたちを忘れることはないでしょう、ありがとう、別れを惜しんでくれて

その涙は私が生きてきた証でもあり、そして形ある旅立ちの合図なのでしょう

私は、十分に私を生きました

この世界に生まれた幸せを、噛み締めたのです

ありふれた生ではあるのでしょうが、それが私の生涯でした

でも幸せでした、ありがとう

けれど、いつまでも泣くことだけはいけません

どうか、悲しみが晴れたら笑って祈っていて下さい

あなたたちの幸せと笑顔を私は願っています

もう消え逝くこの命ですが、感謝を歌うことはできるのです

あなたたちのあたたかい気持ちを忘れません

ありがとう、心からの感謝を込めます

どうかあなたたちがいつまでも笑顔でありますように――


瞼の裏側で、亡きシスターが目を閉じ、涙を一筋流した。

記憶はすぐに泡のようにとけて消えていく。

その歌はいつになく哀しくも、でもあたたかな思いに満ちたものだった。

だれかを思いやる、やさしい最期の歌。

 ネージュはひとつひとつの言葉を噛み締めて歌い終えると、涙をぬぐって目を開ける。

やがてリニスは口に手をあて、涙を流すと嗚咽をもらして泣き崩れてしまう。あの、脳裏に見えた若いシスターたちと同じように。

友人であるシスターがどんな人だったのか彼女は知っている。

ネージュは立ち上がると、静かに涙を流して友人を偲ぶシスターの背中に手を置いてそっと撫ぜる。

「……きっと、シスターのことも思っていたんだと、思う」

「…………ええ…っ、そう、でしょうね…。マナン…貴女はやはり、…この歌の通りに、…とても、良い人でした…っ」

背中に触れている小さな子供の温もりがいっそう心に沁みる。とてもあたたかかった。

そしてリニスが思い出すのは今は亡き友だった、目を細めて微笑むマナンの面差し。

思い返せば彼女と一緒にシスターとなり歩んできた今日までの日々は、おだやかなものだった。

目の前の子供が歌ったのは、聴き覚えのあるなれ親しんだ彼女の歌だった。

その調べも、音も詩も彼女のもの。

とても懐かしかった。もう二度と彼女の歌を聴くことは叶わないと思っていたというのに。昔によく聴かせてくれた、彼女の世界を現した歌。

心地よく、いつもおだやかに笑いながら歌ってくれた友人の姿が鮮やかに思い出される。

どんな形であれこうしてまみえたのは奇跡以外のなにものでもない。

遠い地にいて年老いたから彼女の顔を見ることは叶わなかった。けれど、こうしてもう一度だけ……最期の別れを告げられたのだから。

もう悔いることはない。彼女がこうしてネージュを通して教えてくれた、あの歌のように。

泣き止んだら、心から笑顔を浮かべて晴れやかに空へと届くように伝えよう。

――ありがとう、と。

 あなたに出会えてとても、幸せだったと。

……ひっそりとした静かな教会の中で微かに響く、友人を偲ぶマザーの嗚咽はせつなくもやすらいだものだった。

震える老シスターの背中を包むように、窓から射し込むあたたかな夕暮れの日差しがとてもやさしいと思える。

傍で、亡きシスターの記憶を歌った少年はなにもいわずに、老いた一人の女性に戻った老女の背をさすり続ける。

大切な友人を思い泣く老いた彼女が泣き止むまで、ずっと、ずっと。

そして少年はその涙が、とてもきれいなものだと思った。

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