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スノー・シャンテ  作者: ごま塩
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一章 ある亡きシスターの哀歌1

ふと、寒さを感じた。

ひやりとした空気に首をすくめて肩を抱く。ちいさく身を縮めると、鳥たちの鳴き声が聞こえた。

もう時間だろうか。

「……んー……っ」

その日も少年は、前日に寝床と決めた路地で丸まって眠っていた。

耳に届いた小鳥たちのさえずりで、まだ明けきらない仄暗い朝をむかえて目を覚ます。

「………………今日って朝市…だっけ」

寝起きでぼんやりとする頭で考えながら、まだ重い瞼をこすりながら立ちあがる。

はきだした息も朝だからか白くなって消える。石畳の上で眠るから、冷えきった体温をとりもどそうと両手をさすって温もりを生む。

地べたに寝るので古びた服はくしゃくしゃに乱れている。くたくたになった古着を整えて、少年はようやく温まった体で歩きだした。

「えっと、今日は……」

どうしよう。そう呟き行き先をもとめて前をむく。

今日も生きるために早朝の喧騒でにぎわう町中を歩き、人手が足りない店や家を巡る。

それが少年の日課だ。

駄賃が欲しいわけじゃなくて、ただ飢えを満たす食事と着る服をもとめて。

それだけで生きられると知っている少年はそれ以上を望まない。

ときにはひもじい思いをするけど、それなりに過ぎれば餓えも苦ではなくなる。

どこにでもいるありふれた孤児。それが少年の身の上。

自分というものを知らず、今まで生きてきた記憶というものもなくて、なにもかもまっさらだった。

そんな少年の首元には生きている証である透明な輝石が光っていて、自分の名前がネージュだとは覚えていた。

それだけわかれば十分だと孤児の少年――ネージュは以来こうしてこの町で生きている。

毎日を生きるだけで精いっぱい。そんな日々をすごしている。

「今日も、頑張って食事にありつこう」

昨日は夕食を口にできず、眠るまでお腹が情けなく鳴っていた。

 空腹をうったえる腹部を押さえながら視線をさまよわせて。

「……朝市、だし。やっぱり、マグノリアのところ、かな」

今日は馴染みの宿屋のところにいこうと思い、ネージュは片房だけ長い白髪を揺らして軽やかに駆けだす。

空を見上げれば、夜明けを告げる冴え渡った青が空に差している。きっともうじき朝食の仕込みと足りない材料の買い出しがはじまる頃合い。

そんな時刻になるとやっと見えるのがなれ親しんだ町の風景。

華美ではないが、清潔感を与える白とやわらかい色合いで整えられた町並みはどこかやさしさを感じさせる。

町全体は石を積みあげられて築かれた堅牢な壁に囲われている。

同じ色の薄い石畳で統一された路地をしっかりと踏みしめ、ネージュは息を切らして道を急ぐ。

ネージュが生きているこの町の名はアウィス。

のんびりとした穏やかな時が流れる田舎町だ。

寒冷な大地のこの国土の中でも、南方の高原に位置する土地にアウィスはある。

周囲を覆う森の中に、神話に伝わるといわれる美しい湖があると知られてはいるが、特産品などそれといってない。

夏至をすぎて短い夏をむかえる頃になると、貴族が避寒地として利用する。

貴族が訪れる夏はもうすぎたから町の雰囲気ものんびりとしている。

人々が活動をはじめるにはちょうどいい、凛と澄んだ空気と早朝特有の寒さを感じながらネージュは走って広場に向かう。

アウィスには何軒か宿屋がある。

中でも安宿として旅人たちに愛用されるのは、広場に面した通りにあるロンディネという二階建ての木造の宿屋だ。

よく食に困ってとぼとぼと肩を落としているネージュを見つけると、遣り手の女主人として名高いマグノリアが手を差し伸べてくれる。

この町で修道院の敷地にある孤児院を飛び出して、庇護もなく手伝いをして生きのびている孤児といったらネージュだけだ。

広場に入るとネージュの目にひとりの女性が映る。

やはり来たかと腰に手を当てて入口で待ちかまえていたのは、質素なスカートに腰に付けたエプロンがよく似合う、茶色の波打つ長髪に濃青の目をした女主人。

ネージュは頬を紅潮させてマグノリアのもとに走る。

「よく来たね、ネージュ!」

「うん。お使い、ある?」

お手伝いの催促に、お早うと豪快にばしっと背中を叩いて歓迎してくれる。

「うわっ」

空腹なネージュはよろめきながらなんとか踏ん張ってみせるも、女主人はからかうように見降ろしてきて。

「なんだい、そんなに腹を空かせて大丈夫かい?」

「だ、大丈夫!」

慌てて返事をすれば彼女は豪快にひ弱だと笑うので、むっとして見上げればまた声を上げて笑った。

「頼りなくともお前が頑張っているのはわかってるから、安心おし」

片目をつむって見せたマグノリアは、ネージュの手に提げていた籠を持たせて口上ですらすらと品物を言っていく。

「いいかい? お前が買ってくるのは小麦粉二袋に、胡椒一掴み。岩塩は二掴みだ。胡椒と岩塩は別々に袋に詰めとくれと頼むんだよ」

「それだけ?」

「今はそれだけだよ。あたしはこれから仕上げに入るからね」

小金をいくらか詰めた袋を渡されるなり、背中をぽんと押される。

「さあ、行っといで!」

女主人に上機嫌にせかされネージュは籠を手に駆けだす。目指すのはもちろん広場だ。

週に三回。早朝になると円形の広場では定期的に朝市が開かれる。

朝市の日は、夜が明けきらない時刻から近くの農村や近隣の住人が売り物を持って集い、幕を張って露店をずらりと並べて騒がしいまでの盛況を見せる。

本日も太陽が顔を出さないうちから、目を走らせるくらいたくさんの物が売り買いされているのが遠間からでもわかる。

気をぬけばすぐに人の波と喧騒の渦にのみ込まれてしまいそうだ。

目まぐるしく売り子の威勢のいい声と、買い手の行き交いで随分と盛りあがっている光景が、足を止めて籠を抱えたネージュを出迎える。

意を決し、一歩踏み出して人混みをかき分けて朝市に参戦する。

ありふれた朝市だけどネージュはあたたかさを感じられるから好きだ。

それぞれ取り扱う売り場が分けられており、目指すは粉や香辛料を扱う幕。

朝市で売られるものは大半が食糧といったものだが、古着や皿などといった生活用品も揃っている。

「やあネージュ! 今日も良い食材が入ったからひいきにしとくれよ!」

「よお、ネージュ。こっちもとれたての果物があるから、見とくれ!」

「それよりも服はどうだい? いい品がある」

早足で目的の露店を探すネージュに威勢のいい声がいくつもかかる。

よくこうして使いでくるから見知った顔もある。

手を振ってありがとうと伝えれば、みんな笑って振りかえしてくれる。

朝市といってもこの町は小さな方だから規模は大きくない。何度も顔を出せばだれかと親しくなる機会にも恵まれる。

あたたかい人との交流がいつもここにはあふれている。

「やあ、よく来たね」

「おはようございます」

今日もネージュを見つけた、調味料を扱う老人が笑顔で手をあげて迎えてくれる。

胡椒と岩塩をそれぞれ言いつけられた量を頼めば、分量を計るなりオマケだと片目をつむってちょっと量を増やしてくれた。

紙袋を背伸びして受けとったのは、いいけれども。

けっこう重い。

両手でかかえるくらいでもそれなりに重さを感じて、これからを思うとやる気があるネージュでも意識が遠くなる。

濃い味付けを好むマグノリアは手元に胡椒などがなくなると、この店の調味料を買い占めることさえある。

今日はそんなことはないだろうと願って。

きちっと渡された紙袋を二つ、よろけながら籠にしまう。

「銅貨は合わせて十枚だよ」

「はい。これで大丈夫?」

袋から言われたとおりに硬貨を渡せば、老人は確かめるように数えてうなずく。

「あぁ。またおいで」

ぺこっと一度頭をさげて次は粉を扱う露店へ。

籠はそれなりに重くなっているけれど。

「おや、今日も早いね、ネージュや」

ここでも袖を(めく)った気風のいい女がにこにこと笑いネージュを出迎える。

「うん、おはようございます。今日は小麦粉を二袋です」

いつものだねと笑って前もって詰めていたのか、紙袋をどすんと音を立てて二つ台に乗せてくれる。

ちょっと泣きたくなったのは気のせいだ。気のせい。

思ったよりもたくさん買い込んでいるのだとようやく知ったけど、そろそろ行かないといけない。

ネージュはめいっぱい腕を伸ばして残りの代金を袋ごと渡す。

「はい」

「あいよ。御代はしっかり頂いたよ」

それを知っている女は愛想よく笑って、必死に紙袋を籠に詰めている体の小さいネージュを見守っている。

孤児なのに小金を盗まず使いを果たす子供がよほど珍しいのだ。

最初はだれもがネージュを嫌疑の眼差しで睨み怒鳴り立てていた。今ではその目も変わって和やかに見守っている。

時折だれかの歌を歌うこともあるからか、物珍しいのもあって周囲に受け入れられたのも早かった。

「またおいで」

「うん、ありがとう」

言いつけどおりに一回目の使いを終えて、両手でとても重くなった籠をふらふらと持ち、ネージュは出来るだけ早く走って宿へとって返す。

ぐずぐずしている暇はない。

マグノリアはとっくに料理の仕上げに入っているだろうし、そろそろ宿泊客が起きて朝食が始まる。

女主人の機嫌がいい日は決まって、あと最低でも三往復はしないといけなくなる。

やっと昇った眩い朝日を背中にふらつきながらも宿屋の裏口に駆けこんだ。




本日の収穫は新たな古着と外套。

マグノリアがいい加減に着替えなと手渡してくれた古着と、褪せた色の外套に腕を通したのがついさっき。

宿屋の一階にある厨房で(まかな)いもご馳走になってひと心地ついたネージュは(いとま)を告げようと立ち上がろうとした。

だが、傍で座っていたマグノリアは心配そうな瞳でネージュを見ている。

「ネージュや。お前いつまでこんな生活を送るつもりだい。いい加減もう孤児院にお帰り。シスターリニスがお前を探していると、町じゃもっぱらの噂だよ」

「…………うん」

マグノリアの言っていることはネージュだってわかっている。

 瞳を曇らせて黙りこむネージュにマグノリアは言い募る。

「お前が帰りたくない気持ちもわかってるよ。でもね、シスターはずっとお祈りを捧げているんだ」

「……うん。知ってるよ」

声が震えている気がするけれど、なんとか呼吸をのみこんで言葉を探す。

ただ思い出したくなくて逃げているだけだから。

そういいかけた言葉を胸に止めて。やっぱりネージュは目を閉じるだけしかできない。

だれにもない特技を持つネージュは孤児院では気味悪がられている。

孤児院で生活を共にする子供たちはネージュが帰ると蔑む目で睨んでくる。

教会のシスターたちはネージュを気にかけない。

町で人々の好意を受けとって、その代わりにきちんと手伝いをしているからだ。

怖気づくだけの気弱いネージュに、マグノリアの目が大丈夫というようにやわらかく細まった。

「お前がこうして元気でいられるのもシスターのお祈りのお陰だろうね、きっと」

「……そう、だね」

ちょっと嬉しそうにはにかんで、ネージュは自分を心配するシスターの顔を思い出す。

やっとマグノリアも安心したようにふっと笑う。

町に受け入れられている子供をそれほど心配する必要はない。

小さな町であるアウィスの治安は良いし国が安定していて栄えている。のんびりとした町に危険が迫るならそれは貴族の訪れる夏だ。

避寒地として利用されるアウィスの町中の一角は立派な洋館が立ち並ぶ。

その時期は夜盗が押し入ったりすることがあり、見張りをする騎士が警備を固めるのもあって息苦しいまでの緊張感がこの町には張り詰める。

そうなると大人しく孤児院に帰るネージュだが、町が平和なら好き勝手に生きられるこの生活を選ぶ。

そんなネージュをいつだって心配している人がいる。それがリニスという年老いたシスターだ。

彼女はネージュを探しに時々町にくる。

リニスを心配させているのはわかっている。でも孤児院には帰りたくはない。

神話と神を拝する教会には早く自分のことを思い出して歌えと、執拗なまでに言う宣教師や牧師たちがいる。

ネージュを見かけてはひっそりと気味が悪いとささやくシスターたちもいた。

自分を指差して出ていけと叫ぶ孤児院の仲間たちすべてが苦手だった。

だから逃げ出して浮浪者のような生活をしていたが、案外心地が良かった。

ひとりで石畳の上だろうと、静かでなにもない夜をすごせるのはとても安心できた。

どうして自分を知らないだけなのに、早く記憶をとりもどせと責めてくるのだろう。

あの目がひどくネージュを憎んでいるように思えてしまう。

冷たくて息が苦しくなる場所にどうしてもいたくなくて、だからこうしている。

マグノリアを含めネージュを町の一員として見守る人々はこの事実を知っている。

でもどうすることもできない。彼女たちにとってもネージュは明らかに違っていると思えてしまうから。

ネージュは町の人たちから愛されてはいるが孤独なのはいつだって変わらない。

「ネージュ、とにかくシスターリニスには一度会っておいで」

「……わかった」

マグノリアに念を押されて、渋々立ち上がる。

古着と肩に外套を羽織ったネージュのまだ幼い顔立ちと小柄な体つきはひどく頼りない。

だがその瞳は澄みきっていて、いつになくしっかりとした光を灯していた。

マグノリアの言葉で気が変わった。

まだ戻ることはきっとない。でもいつも心配をかけているシスターに言いたいことは思い浮かんだから。

表情が変わったネージュに宿屋の女主人も椅子から立ちあがる。

「ほら、早く行っておいで」

「うん。今日はありがとう」

「ああ、またおいで。待っているからさ」

マグノリアはやさしくネージュの背中を押して送り出してくれる。

これだけで心はしっとりと温かくなる。

「気をつけるんだよ」

その声に励まされて教会へと向かう。

いつも心配をしてくれるあの親切なシスターに、ありがとうを伝えに。


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