prologue
歌――それはたくさんの思いと言葉を込めたもの。
音に詩をのせて歌を奏でるのは体一つでできる。
この世界には歌があふれている。生きる喜びを世界に伝える術として。
歌は人の数だけあり、人によって感じ方も持つ意味もちがう。
少年には歌うべき自分がなかった。あるのは水のように透明な石ひとつだけ。
輝石。それはだれもが生まれ持つ心の形。
砕くことも汚すこともできない輝石は少年の首元で光っている。それだけで十分だった。
かわりに少年には特技があった。
その日も気ままに歩いていると、町ゆくひとが噂をしているのが横目に見える。
耳にだれかの噂が届き、脳裏をよぎったのは知らない顔。
惹かれるように立ち止まって耳を傾けると、なにかの言葉が心の中で溢れる。
集まった人たちが囁いているのは亡くなったおばあさんの話。
頭の中で鮮明に見えたのは、家族に看とられ穏やかな面差しで目を閉じた、ベッドに横たわったきれいなおばあさんの姿。
少年の中で溢れだした歌は口をついて声を震わせ奏でられる。
心落ちつくまでにおだやかな調べが町中に響いた。
――私のために泣くものたちよ
私はとても幸せな世界を生きました
生きることはかなしくもあり、そしてなににも勝る幸せもありました
死ぬことはなにも悲しくはないのです
ありがとう、ありがとう愛してくれて
ありがとう、ありがとう今までともに生きてくれて
私が愛したあなたたちが幸せであるように
私は幸せな世界を生きたのです
なにも悲しいことはありません、幸せなのです
私という存在はいなくなりますが、あなたたちの中できっと生きて行くのでしょう
今日という日をこうして穏やかに迎えられて、なにひとつ私はかなしいとは思いません
ありがとう、ありがとう、ありがとう私の大切な家族たち
私が愛したものたちよ、どうか幸せで――
まったく知らない老女の想いを詩に紡ぎ、少年は歌を歌う。
それは最期の歌で、感謝と祈りをこめた歌なのだろうか。
おばあさんがなにを思ったのかは知らない。でもその歌に込められた心はわかる。
彼女はとても幸せだったのだ。
瞼の裏で、ゆるやかに目をとじた面差しが泡沫のように消えていく。
歌い終えてようやく少年が我にかえると、なぜか静まりかえった人々が自分をじっと見つめていた。
いつものことだから彼はその場を後にして歩き出す。
少年はこの町でいつしか「調べ者」と呼ばれるようになっていた。
それは人の記憶を見てその心を歌うもののことだと、だれかが去っていく小柄な少年を指さして称える。
少年は町の人たちに愛されていた。
だれかの歌を時にかなしく、いとしく、うつくしく響かせ聴かせてくれるからだ。
今日も彼はだれかの記憶に込められた心を、ひとりでに歌い続けていた。




