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スノー・シャンテ  作者: ごま塩
11/17

神々のオラトリオ2


 厳しい口調で少女を叱咤するリニスにネージュは反射的に老シスターを一瞥する。いつもやさしく微笑んでいる人が初めて怒るのを目の当たりにしたからだ。

「だって……じゃあ、どうして私みたいなどこにでもいるような娘をわざわざ皇帝ともあろう御方が気にかけて下さるというんですか?」

 真っ向から揺ぎない瞳で訊き返したヴァールハイトにリニスは口をつぐむ。

「……そればかりは、陛下の御心次第でしょう。ですが、あの方は理由もなく動かれるようなお人ではありませんよ」

 なにかを知っているのか真摯にリニスは言う。

「この帝国は、あの方がおらねば成り立たない。それだけに、その手紙にあることは決して嘘ではないはず」

 目を閉じ拒むように背を向けたヴァールハイトにリニスは告げる。

「陛下が勅命を下された。いずれ、あなたが知りたい理由もわかるはずです」

 けれども、どうしても納得ができないヴァールハイトは傍にいたネージュの手を掴んで歩きだす。

「ヴァールハイトっ?」

「簡単に信じられるはずがない。私は、陛下にお会いしたことすらありませんから」

礼拝堂へと歩んだヴァールハイトはステンドグラスを睨むように見上げる。

 そこには創世神話に登場する三頭の獣と、二人の女性が刻まれている。

 ネージュが心配そうに見てくるけど気にかける余裕すらない。苦悩に歪む表情は怒りすら滲んでいる。

「…………いったい、なんだというの。その皇帝陛下とやらって」

 だれもが顔を知らないのに妄信してあがめる。本当にいるのならなぜその顔を見せない。

ヴァールハイトは皇帝という存在に不信感を募らせていた。

 シレンシオを通していつも心配していると言いながら、決して顔を見せることのない人。そんな人物を信じようとは思わない。

「私はまだ、帰るつもりはありません」

 頑として頷かないヴァールハイトに、諦めたようにリニスは瞳を伏せる。

「……しばらく、私は出ています」

 無言を通すヴァールハイトに一礼してリニスは教会を出ていく。ネージュは視線でその背を見送ったが。

「ネージュ。聞いて欲しいことがあるの」

「皇帝、って人のこと?」

「えぇ、そう」

 座りましょうかと、きれいに並べられた長椅子に座ると隣にネージュも腰かける。

 陽だまりの中で輝くステンドグラスを見つめて、少女は口を開く。

「さっきの手紙は、皇帝が叔父様に私を迎えに行かせるという知らせだったの」

 俯むいて戸惑うようにヴァールハイトはずっと抱えていた思いを吐きだす。

「よくね、その人は私を案じている、なんてシレンシオ叔父様はいうの。けど私が知っているのは書物に載っている史実だけ。顔を合わせたこともない。……それに、相手はこの国を支える皇帝にして、神」

 そんな手の届かない雲の上のひとが、なぜ一介のありふれた国民でしかないヴァールハイトを気に掛けるのか。

いつだって腑に落ちなくてなんの冗談だと憤っていた。馬鹿にするのも大概にしろといいたいくらいに。

「あまりにも胡散臭いから、それからずっと皇帝はいけすかないやつだって思っているのよ」

なにも言わずに聞いてくれるネージュに、ふとヴァールハイトは思いつく。

 ……もしかしたら、不可能じゃないかもしれない。

 閃いたヴァールハイトはネージュに向き直って勢いのままに頼み込む。

「ネージュ、お願いがあるの」

「なに?」

「皇帝の、歌を歌って欲しいの」

「どんな人なの?」

 ためらいもなく頷いたネージュに、ヴァールハイトはすぐに記憶をひっくり返して整理しながら順を追ってその神話を語る。

それは皇帝がまだ異端の神として存在していた時のこと。

創世期と呼ばれた神代が崩御した、太古の神話。




――彼は、生まれながらに異端の存在であり世界に憎まれることとなった悲劇の神。

 彼は重い罪を犯した。世界を支える柱だった天極(てんきょく)を殺したからだ。

 永く続いた神代は崩御し、世界は災厄に呑まれて一度目の終焉を迎えた。

 皮肉にも、彼が自分と同じ異端であった神々とともにこの世界を再生させた。天極が戻るその日まで世界を維持する仕組みすら創りあげて。

 後に彼は最果ての地で、命を絶ち世界から消える。まるで天極の後を追うように。

 だが彼こそが今日に伝わる歌の生みの親だった。

 それから一千年後。彼は再びこの世に降り立った。その傍らに天極を伴って。

……そう締めくくって。

「遍歴を辿ればこんなものかしら。後は数百年前の神話ね。そっちははぶくけど、いま話した方が彼の一番有名な神話なの」

「……すごく、悲しいひとだね」

「神話の中だけであればね」

不快そうに吐き捨てるヴァールハイトだが苦しげに眉を寄せた。どこか悲しげな彼女を見ていると自分まで苦しいような気持ちになる。

でもネージュの脳裏にはある光景が鮮明に見えていた。

――だれかが泣いていた。とても美しい場所で。

 どこかはわからないけれど、この世界にはないと思うまでに…透き通った硝子越しに一面の煌めく夜空が望める美しい場所。

その腕に青年が女性を横たえて抱えている。おもむろに、青年が女性に口づけた。

やがて、瞼を開いた女性が彼の頬に手をあてて……何かを囁く。

青年が涙を零した。女性の頬にその雫が伝う。

彼が、ようやく頷いたと思えば――瞳を閉じた女性は青年の腕の中で光となって消滅した。

なにも無くなった腕を抱きしめるように、その人は天を仰いで涙を流した。

彼らがだれであるのかネージュにはわからない。けれどもその歌は、確かに心に溢れた。


――――かの人に捧げる誓いもなく 留まることを望む身

願いもなく 腕に遺るものも亡くし

己を思う意味はなく 歩むことを願う

果てに死した者に捧げるのは 我が身のみ

贖罪(しょくざい)は望まず 命が尽き抱いたままで消えるのを願う

その業、如何様(いかよう)にも(かい)される(ことわり)を抱き

その定め、朽ち果てる血の一滴となる

絶望の淵に沈まず 犯した罪業を抱き歩み

そして生き あの歌を讃えて己が眼で見据える

いつか寄り添うことを至宝とし その日を願いただ

一つの誓いを胸に歩むまで

それが真に生きるということを示し

我が(さま) 故に(ぎょく)()()き誓約を冠すると讃えん

亡くした者に捧げる誓いを胸に 最期を共にしたかの人の面影を抱きながら

幾年(いくとし)(つき)を経ても願う 貴女の(かえ)りを三世(みよ)に託して――


その歌は悲哀に満ちていた。彼にはあの女性がなによりも大切だったのだろうか。

……込められた心があまりにも強すぎたから。

大切だった人を想い、悲しいまでに生きること課した歌。

瞼の裏ではもう、彼の面影は溶けて消えてしまっている。でも頭が痛むまでにその悲しさは響いていつまでも残る。

ネージュはステンドグラスに彫られた片方の女性を見つめて呟く。

「……悲しかったんだと思う。大切な人を失って。その人を抱きしめて泣いてた」

「…………………そ、う……」

 途切れそうな声をした少女を見上げる。

 ……ヴァールハイトは、ステンドグラスを見つめて泣いていた。

 静かに涙を流している。きっと、あの歌に込められた意味を知ったからだろう。

 俯いて嗚咽を噛み締めたヴァールハイトを、ネージュは傍で見つめていた。

ステンドグラスから差す彩られた陽だまりがなぜだか悲しげに輝いて見えた。


                  ∮


「――……とんでもないことが起こったね」

ふと、傍にいた人物が驚きの声を上げて立ち上がった。視線を辿るとその目は南に向けられている。

「なにか、ありましたか?」

珍しく顔色を変えているのを面白そうに見上げるも、暗紅色の双眸は剣呑に細める。

だが問いかけに振り返らず、彼はいつになく真面目な声で告げる。

「まさか、あの歌が歌われるなんてね。……天極の片翼たる歌が、たったいま奏でられたよ」

「……そんなことが?」

あまりの事態に眉を寄せたシレンシオにその人は指示を出す。

「すぐに彼女と……その噂の渦中の人物をここに。胸騒ぎがする」

「御意」

 そう言い残して待機していた青年はすぐに身を翻す。

 静謐を湛えた空間から不自然なまでに一直線に延びる石造りの回廊を進み思考を巡らす。

あの人の不穏な言葉が耳から離れないが一刻の猶予もない。ここ最近耳にしていた噂がとんでもないものだと判明した以上、放置はしない。

 閉ざされた仄暗さの先に見えた光源へと足を踏み出せば――凍えた風が吹き荒ぶ外へと出る。

 そこは不毛の永久凍土が広がる荒野。

その彼方には氷塊を湛えた広大な海があり、白い岸に鋭い刃を思わせる巨岩が見える。

ここで死した者の石碑を見つめるシレンシオは漆黒の髪を氷れる風に遊ばせ、白い息を吐きだし。

「文字通りとんでもないことになりそうだな、久しぶりに。(かい)(りゅう)

 そう、呼んだ瞬間。

 シレンシオの影が波紋のように揺らぎ、その中から一頭の長大な陰影が現れる。

 その姿は、頭部は鮮やかな翠から尾に掛けて深い青を刻む、竜。

頭部より一刀の角を(そな)え、全身を同色の優美な鰭と巨大な逆鱗に覆われているそれは血の双眸を向けてくる。

視界を覆う白い吹雪の中でシレンシオは音も立てず凍土を蹴り、人間とは思えない跳躍力で一気にその背に飛び乗り鋭く叫ぶ。

「野暮用だ。アウィスまで頼む」

その答えは穏やかな咆哮とともに分厚い暗雲を孕む天を翔け上がることで(しめ)された。



                  ∮


夕暮れ時。雲間が晴れてあたたかな色を宿した太陽の日差しが修道院に降り注いでいる。

リニスは、本来の宛がわれた部屋で手紙をしたためていた。

 ヴァールハイトがネージュのことを尋ねてきたのを受け、やはり神へと奏上すべきだと思い直したからだ。

 ふいに空が翳り風が乱れて窓を揺らす。視線を上げると空に目にも鮮やかな一頭の長大で獰猛な竜が見えた。その姿にリニスは呼吸を止める。震えそうになる体を叱咤して立ち上がるなり外へと急ぐ。

いつも想像を絶することをしてくれる人だが、今回もまた突拍子もないことをしてくれる。

()の人を思い浮かべて宿舎から騒々しくなっている門へと駆けつければ、暮れた空から悠然と降下してきた竜の背から軽々と降りるその姿が目に飛びこむ。

「すまないな。このような訪問をしたこと、許せ」

「……よく御出で下さいました」

広場に集まりだした町の住人たちを後目に、広場から真っ直ぐに歩いてくる青年を見上げて、リニスは深々と腰を折り一礼をした。

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