「面白い作品には対価を支払う」という考えを善とするべき、いくつか理由
『小説家になろう』のダイジェスト化禁止に伴って、様々な意見が出ている。
ダイジェスト化というのは、元よりどうにも嫌われていたようだ。
まあ、ランキングから作品を探しに来たらその内容がダイジェスト化されていて、その内容が新規読者に楽しめるものではなかったら、それにイラッとするというのは分かる話だ。
しかし一方で、個人的に「いや、それは違うだろ」と思うような主張もある。
それは、それまでその作品を読んでいた読者が、その作品の書籍化に伴って作品削除やダイジェスト化がなされたことに対して、「読者を裏切った」などと言うパターンである。
いや、そんなの、その作品が面白いと思うなら、書籍化されたものを買って読めばいいじゃんと思う。
その作品が、自分にとって面白い作品、価値のある作品なのであれば、それを享受するには対価を支払って当然だと、僕は思うのである。
ここで一つ、一般書籍のケースを考えてみよう。
先に内容を読めない一般書籍の場合(ビニールで封がされているとか)には、金を払って本を買ってみたら内容がつまらなくて損した気分になる、という経験は誰しもあると思う。
これは読者にとって、支払ったお金に対して、得られた価値が少なかったことを意味する。
一方、『小説家になろう』などで作品を無料で購読して、その内容が面白いということは、これの逆のケースにあたる。
つまりこのケースでは、読者はお金を支払わずに、価値を得ているのである。
僕はこの場合、得た価値に相応しい代金を後払いで支払うというのが、善だと思っている。
そうすれば、読者は「お金を払ったのに価値を得られなかった」という不利益を受けることなく、正当な対価をもって、正当な利益を享受することができる。
これは読者にとって、かなり公正かつ有利な取引であると思う。
この取引にすら乗れないということは、その読者は、価値あるものが無料で与えられることを、当たり前だと考えていることになる。
しかし、それでは社会は回らないのだ。
「価値あるものには、それに相応しい対価を支払うべきだ」という考えを、僕らは善とするべきだと思う。
そういった考えを持たずに、価値あるものを無料で享受することを社会の多くの人が当然のことと捉えてしまえば、経済は縮小してゆく一方となる。
経済は、お金の移動が少なくなればなるほど縮小するのであるし、お金の移動が多くなればなるほど拡大する。
そして経済が縮小すれば、僕らみんなの給料が減り、それによってますます経済が縮小してゆくのである。
また(この考え方は、兼業が多いラノベ作家の場合はあまり該当しないかもしれないが)、財やサービスの享受者が対価を支払わないということは、その分だけ作り手が対価を得られないということでもある。
その結果どうなるかというと、作り手はその仕事で「食ってゆく」ことができなくなり、彼は生活に困窮して、その仕事をやめてしまうかもしれない。
こうなってしまえば、その作り手の作品は、以後永久に生産されなくなってしまうだろう。
無料であることが魅力であるとか、無料であることに価値を見出すとかいった考え方は、巡り巡って僕ら全員の首を絞めるだけだ。
巨視的に見れば、自分にとって価値のあるものにはどんどんお金を払っていこうという姿勢こそが、僕ら全員を豊かにしてゆくのである。
なお、『小説家になろう』は確かに無料で作品が読めるサイトだが、僕はその理念を否定しているわけではない。
書き手が趣味で書いた作品を読者に読んでもらうことができる、書き手の需要と読み手の需要のマッチングのためのサイトとして、『小説家になろう』はかなり優秀だと思う。
だがそのことと、「価値ある作品には対価を支払うべきだ」という観念とは、必ずしも矛盾しないと思う。
『小説家になろう』で無料投稿したことにより、作品と読み手との間に幸福なマッチングが起こり、そこに(本来、作品と読者が出会わなければ生まれなかったはずの)新たな価値が生まれたならば、それは『小説家になろう』というサイトが無料投稿サイトであったからこそ発生した新たな価値あると言えるし、『小説家になろう』がなければ埋もれるはずだった才能や作品の発掘・発見であると言える。
『小説家になろう』は、なろうコンなどで商業作品発掘の手助けをしたり、出版社と作者との橋渡しを運営が積極的に行なっていたりもする。
そこから見えてくるのは、「商業の宣伝としての利用」には否定的であるものの、「商業の登竜門としての利用」は否定していないという、『小説家なろう』の基本スタンスであると思う。
……まあその上で、「すでに読んじゃったものを、あらためて金出して買うのもなぁ」という気持ちも分かる。
正直に言って僕自身も、アニメDVDとかも含めて考えれば、この考え方に基づいた行動を徹底することは、できていない。
ただそれでも、そういうスタンスが「望ましいあり方」だという認識は、持っておくべきだと思う。