友達
女子寮は白壁で、マンション風の三階建てだ。
ほうほうの態で逃げ込み一難は去ったものの、アカネは又一難にみまわれた。
玄関ロビーの脇に、NPCの寮母が慈愛の笑みをたたえて腰かけている。
彼女はこれまで、〝いってらっしゃい〟か〝おかえりなさい〟しか言わなかったのに、桐臣が踏み入った瞬間、声を響かせた。
「まぁ、ここは女子寮ですよ。男子禁制です!」
無駄に大音声だった。「しかも今は夜ですよ!」
ロビーの奥、階段前の小フロアで駄弁っていたプレイヤーの女子数名が、一斉にこちらを見た。
肩で息をしていたアカネは、狼狽に拍車をかけられた心地で寮母に詰め寄った。
「しょうがないんですっ、すっごいでっかい犬が追って来たんです」
「撃退笛は一つ五Vマネーになります」
「いきなり金儲けに走らないでください」
アカネが脱力する後ろで、桐臣が噎せ出す。
女子達が好奇に満ちた目を向けてくるので、アカネは少年を急かした。
「五Vだってよ。買えば出れるんでしょ」
どうしてか、外野はその発言を曲解した。
「あくまでナイトデートを続行か……!」
「パッション……ッ」
「月が綺麗ですねと言うには夜に強行するしかないのだよ」
はぁ? と出かかったのを、アカネは辛うじて呑み込む。下手にツッコミを入れるとこじれる予感があった。桐臣が撃退笛を買って一人で帰れば済む話だ。
しばし咳き込んでいた桐臣は、目尻に涙を浮かべ、真っ赤な顔で小銭を寮母に向けた。すると、彼女は澄ました顔で言ってのけた。
「男子は女子寮で買い物できません」
ぶはっ、とフロアで噴き出す音が連鎖する。
アカネは融通の利かない寮母を半眼で見やり、桐臣に掌を差し出した。五十V硬貨を乗せられる。
「あ、イダテン、一個でいいから」
「十個買っておくべきじゃない? 二度とこんなことが無いように」
「オレ、そうそう夜に出歩くつもりない」
えー、という声は外野が発した。アカネは、桐臣の要求に従うことにする。
笛を手渡し、じゃあね、とアカネが告げると、桐臣は整った眉尻を下げた。
「あのさ、ちょっと言いにくいシチュエーションなんだけど……」
少年は黒いズボンの尻ポケットから、銀色のどこでもフォンを取り出した。「トモロクしておきたい」
友達からかーっ、と言うどよめきがアカネの背後で起こり、フロア横手の食堂からも、何人かが野次馬丸出しの顔を出すに至った。
衆目の中で断る根性がアカネには足りず。
キリオミと読むらしい男子と友達登録を済ませた頃には、撃退笛が無駄になる朝の光が玄関ロビーに差し込んでいた。
大急ぎでログアウトしたアカネが、昼食後の再ログインで現れたのは寮の自室だった。
窓のある八畳間に二段ベッドとふた組の学習机、ワンドアの小さい冷蔵庫が詰め込まれている。後は嵌め込み式のクローゼットとふすま一枚分の押し入れ。
所謂、二人部屋だが、同居人は居ない。開発者は恐らく、寮という雰囲気を醸したかったのだと思われる。
ベッドの下段からデイバッグを取り上げ、アカネはその脇に一緒に投げ出していたどこでもフォンを手にした。
コバルトブルーのフレームの、片隅が点滅している。メールだった。
ワカはメールを打つのが大層遅いから、ゲーム内でも専ら電話機能しか使わない。
既に昼Ⅰになっているのを目の端で見て取り、アカネは二段ベッドの梯子に軽く寄りかかる。
桐臣が女子寮から帰った後、ワカと桐臣のみだった友達欄は数倍に膨れ上がった。フロアに居た女の子達とも登録し合ったからだ。
女子校に通っている子も同じ寮で、たまたまあの場に居た。ゲーム内とはいえ、他校の知り合いが出来たのはなんだか嬉しい。
ちょっぴりふわふわした気分でメールをチェックしたアカネは、軽く口を曲げた。初メールは女子からじゃなく、桐臣からだった。現実時間で一時間程前に着信している。
【今、運営から警告メッセ来た。
「支払い前に商品を持ったまま店を出ないように気をつけましょう。万引きと判断された場合はペナルティがあります。」
止めてくれてありがと。】
アカネには運営からの連絡が無いから、共犯認定もされずに済んだようだ。鼻で息をつき、取り敢えず返事を打つ。
【まさか、私の登録名を韋駄天になんて変えてないでしょうね?】
送信してから、アカネはどこでもフォンを片手に自室のドアを開けた。
寮の二階は、絨毯張りの廊下が伸びている。
出口ドアを開けると、向かい端にある階段までに、左右に三つずつ、交互に入口ドアの並ぶ光景が広がる。
手前二つは他の寮生の部屋へ繋がるドアだ。検索パネルがついていて、ログインしている寮生が居れば判るようになっている。
残りは、どのドアも鍵を使えば自室へ繋がる。仮想空間ならではだ。
廊下を抜けて階段へ出たところで、光が手元で明滅しているのに気づいた。立ち止まって確認すると、又、桐臣からのメールだ。彼もログインしていたようである。
【なんでわかった。】
ムッとして、心を込めて返信した。
【そのあだ名、やめないとトモロク消す】
物凄い速さで返ってきた。
【わかった。カネ。】
【さよなら】
【なんでだよ!】
【こっちの台詞だよ! カネって何さ! 私は守銭奴か!】
少々自覚があるだけに腹が立つ。
【アカネて打ったつもりだた。おかしいな。】
(ホントだろうな)
疑わしい気分で画面を睨んだが、一応登録を消さず、アカネは階段を降りる。
降りた正面の壁には、ゲーム内六日間分の朝と夕の献立がホワイトボードに書き出されている。因みに寮での食事は無料だ。
アカネはこのゲームで殆ど飲食していないのだけれど、ひょっとすると飲食することで何かあるのだろうか。そう思わせる程の凝りようだ。
小首を傾げるアカネに、いってらっしゃい、と寮母が笑んで声をかけてくれた。過日の事をすっきり無かったものとして対応してくれる、寮母の鏡である。
学校へ足を向けたら、電話が鳴った。桐臣だったら面倒くさいと思ったが、かけてきたのはワカだった。
空いていたF組に入っているという連絡だった。諒解を伝えて通話を切ったら、メールが着信している。性懲りもなく桐臣だ。
【俺はオミでヨロシク。】
登録名を〝家臣〟に変更しておいた。
昼Ⅰが半分経過しようという休み時間、アカネはF組の教室に入った。
中程やや後方にワカが座っていて、手を振ってくる。
窓際に、覚えのある女子が居た。リアル数時間前に友達登録したばかりだ。口調がいささか古風で、柔らかな茶色の髪をポニーテールにした瓜実美人【うっちー】。
「おや、先程ぶり」
「だね」
アカネが手を上げて応えると、一人だったこともあってか、うっちーは小ぶりの肩掛け鞄を手にこちらへ移動してきた。ワカの隣の椅子を引いたアカネの、前の席へ腰を下ろす。
〝リアル家族〟と〝同じ寮の友達〟。ワカとうっちーをアカネがそう紹介したら、祖母は深々と頭を下げた。
「孫がお世話になっております」
ちょっと瞠目してから、うっちーは会釈する。
「テスター最高齢ですかね」
「ワカちゃんより年上の祖父ちゃんも遊んでる。ひょっとしたら祖父ちゃんがそうかもね」
祖父は祖母より一つ上の七十二歳だ。
アカネの返答に、ほぅほぅ、とうっちーは応じてから、軽くポニーテールを揺らした。
「下は小学生も居るらしい。予想外に年齢層広いな」
「小学生、授業ついていけてんの」
「保体や音楽辺りならいけるんじゃないかと思う」
うっちーの言に、音楽をとっているワカが同意の頷きを見せる。
「音楽鑑賞や、作曲家の生涯を知ったりする内容だからね」
「わたしは保体をとっているが、今のところグラウンドで色んな体力測定やるだけだし」
「外で授業なんだ」
アカネとワカが驚くと、うっちーは軽く笑った。
「これから保体だ。他の授業と同じように眼鏡かけてカード使うと、グラウンドに瞬間移動する。いつの間にか動き易い服になってね。雨が降っている時は、体育館に瞬間移動しているという芸の細かさ」
へぇー、と声が揃うアカネとワカの前で、うっちーは鞄から出したスポーツドリンクを何口か飲んだ。
休み時間を示していた緑のバーが、そろそろ授業時間の青いバーへ変わる。
ペットボトルを鞄へしまいながら、うっちーが更に意外な情報をもたらした。
「最近気づいたんだけど、飲むか食べるかしておくと、ポイントが増えるね」
「なぬ」
「保体なんて、何も食べずに行ってしまうと、一回〇・五しか入らない。最初は授業内容が簡単過ぎるからかと思ってたんだけど、空腹状態で運動してたからみたいだ。変なトコが細かい」
「もしかして、座学も増える?」
「うん。食事しておくと一・五つく」
「うわー、だいぶ取りこぼしてるや」
「わたしは、それほど急いで進級するつもりないけど、保体の前だけは補給してる」
うっちーが鞄をポンと叩いたところで、授業時間に入ったと知らせるチャイムが鳴った。