犬
桃姫☆は、やってらんねー、とイケメンZのどこでもフォンへ捨て台詞メールを送りつけてきたのを最後に、借りたVマネーもそのままでログインしなくなったらしい。
他にも、飲酒や喫煙で桃姫☆同様のペナルティを受けたプレイヤーが居た。自宅で〝致した〟場合はペナルティ度合いが変わる、といった妙な検証報告も一時期校内を駆け巡った。
ともあれ、なんだこの説教臭いゲームは……と感じるプレイヤーは多々居たようで、七月になる頃には満員の教室をそれほど見かけなくなった。
「あんまり、売る気満々で作ったわけじゃないみたいだからねぇ、菅原さん」
ワカが、肩をすくめてそんなことを言っていた。
さておき、祖父は毎日ログインしているらしいのに、ワカとアカネはそれらしい人を捜し出せずにいる。
男子校に通っているのではと思い至ったアカネは、町中で黒い学ランのプレイヤーを注目するようになった。
しかしながら、六月の内は自由だったゲーム内の制服は、七月になると長袖と上着を選択できなくなった。
男子の夏服は、男子校と共学校、上だけ見ると区別がつかない。半袖ワイシャツだ。
おまけに私服を揃え始めたプレイヤーも増えてきて、通っている学校を町中で見分けるのは難しくなっていた。
ログアウトしたばかりの祖父に、何処で勉強してるの、と祖母が訊いても、学校、としか答えてくれなかったらしい。
流石に冷戦は終了したのか、からかうような口調だったようだけれど。
日曜日、一人で隙間時間にログインしてみたアカネは、時間帯をチェックして、ちぇー、と思った。現実では昼前なのに、ゲームでは夜寸前だ。
十分間の休み時間を使っても授業を聴き終えられない。諦めて、デイバッグを肩にかけ、学校から女子寮へ向かう。
外は綺麗な夕焼けに染められていた。空にはホイップクリームを盛ったような雲が、白と金のコントラストを披露している。
(寮で何しようか……そういえば、宿題が出てたな)
つい先日、一〇〇ポイント超えた。そうしたら〝宿題があります〟という表示が出た。
やるかどうかは自由で、期限も設けられてはいない。職員室のポストに提出すると、最高で一〇ポイント貰えるようだ。
アカネに出た宿題は、〝古代文明を比較する〟というレポート作成だった。
(あー、レポート用紙なんて持ってないな)
ちまちま買った文房具は必要最低限だ。積極的な出費は、部屋着や外出着の類だった。
アカネはバッグの外ポケットを探った。拘って選んだ革製の渋い長財布には、先程入れたばかりの千V紙幣がある。
寮の近くにコンビニエンスストアがあるから、寄り道することにした。
入店合図の音楽が短く流れる。
冷房のひんやり感に包まれた。よくできた仮想空間だ。
店員はNPC。レジの所で姿勢良く立ち尽くしている。
レポート用紙を探して視線を向けたら、週刊誌を選んでいるらしき男子が居た。
書店もそうだけれど、著作権の切れている作品はVマネーで買って読める。他の作品はRコインが必要だ。今はRコインさえ残っていれば実質無料で読める状態だった。テスター特典だろうか。
アカネは、さり気なく先客を観察した。
半袖の白いシャツ。黒いズボンは男子校の制服に見える。中肉中背、男子にしては少し不健康な色白。焦げ茶色の髪の手入れに気合いが入っている。でも、やや背伸びした感じ。横顔のラインが、弄っているとしたら巧い。
どう読むのか【桐臣】という名前だった。
ほぼ祖父の面影は窺えず、アカネは観察を終了した。並んだボールペンが目に留まったので、そちらへ足を向ける。
ルーズリーフの隣にレポート用紙を発見。それからホッチキスも手にした。
レジに行ったら、雑誌を手にした桐臣が近くのデザートコーナーを真剣に見ていた。つと、こちらにアーモンド形の目が向く。
まるで一緒に買い物に来たかのように、あのさ、と桐臣は話しかけてきた。
「イダテンは、西コンビニ行ったことある?」
「……ここは、東になるのかな」
「うん。マップに出てるこの都市のコンビニは、東西の二店だけだろ」
マップにはどちらも〝桜コンビニ〟としか出ていない。
(それより、イダテンって韋駄天か? どういう脈絡で出てきた)
ささやかに混乱しながら、アカネはレジで商品バーコードを読み取らせる。NPC店員はにっこり笑って立っているだけなので、セルフサービスである。脇にある箱型の機械に金額が表示されたので、千V札を入れた。
品物を入れたレジ袋を片手に引っかけ、じゃらじゃら出てきた釣銭を財布にしまうアカネに、桐臣は生クリームと蜜柑とサクランボの添えられたプリンを掲げた。
「今日初めてこっち入ってみたんだけど、西では売ってないんだよ、こんなの」
「へぇ」
「差別だろう、女子寮の近くは限定デザート揃えてるなんて」
桐臣はあどけなさの残る顔をむくれさせたが、アカネに文句を言われても困る。
「限定が見つかって良かったね」
当たり障りないコメントを残してアカネが外に出たら、桐臣も間を置かずに出てきた。
雑誌とプリンを手にした姿に、面食らう。
「え――お金払った?」
桐臣は店を一瞥してから胸を張った。
「このゲーム、万引きできるんじゃないかって前から気になってたんだ。一人じゃ勇気出なかったんだけど、どうやらできちゃうみたいだな」
「いやいやいや、通りすがりの善良な一小市民を妙な勇気の口実に使わないで!」
「回りくどいな。ゲームでくどくど言うなよ」
「言うよ! ゲーム以前の問題でしょうがっ」
ツッコミを入れているうちに、桃姫☆の件を思い出す。
きっと拙い。否、絶対に拙い。するっとやらかしてしまえるのはこのゲームの罠なだけで、ペナルティが無いとは考えられない。
「姉さんのゲームコレクションに、店の品を泥棒できるのがあるんだぜ。盗んだ瞬間に店主が襲いかかってきて、犬も湧いて、わんさか追い駆けてくるんだけどさ」
つらつら語る桐臣の薄い背を、アカネは店へ押した。
「いいから返すか、お金払って! 晒し者になりたくなきゃ、戻れ!」
「プリンの分持ってない。貸して」
「友達とは金の貸し借りしないことにしてんのっ」
口早に突っぱねながらアカネが更に店へとひと押しすると、自動ドアのガラスに映った桐臣は、ちょっと驚いたような顔をしていた。次いで、何故か泣きそうに口許を緩めたように見えた。
「解った、プリン返すよ」
肩越しに振り返った顔は、不貞腐れたように口を曲げている。アカネは離した片手を軽く上げた。
「よし。じゃね」
「え、ホントにイダテンだな」
「何なの、そのイダテンって」
「待っててくれたら教える」
「ちょっと気になった程度だから、敢えて知らなくてもいいや」
「ぅお、そこは食い下がれよ!」
慌てたように桐臣は店内へ飛び込んでいった。
これ以上おかしな事に巻き込まれるのは御免だから、アカネはさっさと女子寮に向けて歩き出す。
辺りは、点灯した街灯がやけにまばゆく思える薄闇に包まれていた。時刻のバーは薄い紫色。夜の時間帯になっている。
夏場にしては、つるべ落としのように、すとんと日が暮れるものだ。
〝もう少しじわじわ暮れてほしい〟なんて、どうでもいい要望を運営に出してみたくなる。
たたたっと足音が追って来て、桐臣が大袈裟に息をついた。
「イダテン、ホント速いよ」
「歩くの速いってだけで韋駄天? 初対面なのに、おかしなあだ名つけないでよ」
不明瞭になっていく道の先を見据えたまま、アカネは苦情を投げる。桐臣は鼻を鳴らした。
「オレが命名した時は、走ってたよ」
「え?」
「何てこったーい! って弁当屋の前でムンクの絵の真似をして」
「え……?」
「あっと言う間に商店街のアーケードを走り抜けて行った」
「……なんだって……?」
「あの日、何やってたの。オレが行く先々で、ぎらぎらした目で店頭を物色してるの、目撃したけど」
(真面目に職探しをしていたわたしの方が、万引き未遂犯より犯罪者風なのはどういうわけだ)
街灯の柱に頭を打ちつけたい気になったが、アカネはこらえる。
桐臣は、雑誌もプリンも戻してきたようで、何も持っていなかった両手をズボンのポケットに突っ込んだ。
「このゲーム、殆ど現実と変わりないじゃん? オレ、早々に飽きちゃって辞めようかと思ってたんだけど……なんか一生懸命やってるイダテンを見かけてから、完全に辞めるのも勿体無い気がしちゃって、かれこれ一ヶ月だよ」
こっちの学校は勝手に動き回れるし好きな科目だけできるし、と付け足したところからして、桐臣は現実できちんと通学している同年代のようだ。
アカネは肩をすくめた。
「あんたが見た時はバイト先探してた。一緒にテスターしてる家族がそんなにインできないから、Vマネーを家族の分も稼ぎたかったんだよ」
ふぅん、と桐臣は興味深そうな音で相槌を打った。
「オレの姉さんもこのゲームやってるよ。海外の学校に翻訳無しで突撃して、一日でギヴ。オレを巻き込もうとしたけど断固拒否った。で、姉さんは結局、Rコイン使い切り」
そういえばこのゲームはエリアが三つあるのだ。〝日本〟、〝海外〟、〝?〟。設定を急いだアカネは詳しく見なかったけれど、海外は英会話ができないと困難だと注意が出ていた。完全翻訳アイテムは一万Rコインだった筈だ。
「じゃあ、お姉さんはあっちの学校で遊んでるんだ?」
「あっちの人に囲まれて鼻の下伸ばしてるよ」
「……そういう楽しみ方もあったのか」
「そういう目的で言葉の違うエリアが作られたとは思えないけど」
翻訳アイテムを使わなかったら、仮想留学体験になるのだろう。
合点するアカネに、桐臣はためらうように目を流した。身長差が無いので顔が近い。薄暗い中なのに、茶色がかった黒い瞳がやけに澄んで見えた。
「イダテン、あのさ……」
その呼び名、気に食わない、と遮りかけたアカネの耳が、明らかに人と違う足音を捉えた。振り返ると、犬らしき影が向かってくる。
迫るソレは、何故か激しく吠えていた。アカネは別段、犬嫌いではない。けれど迫力に気圧される。
「え、何――」
「げ、夜が半分過ぎてた」
桐臣が口走った。「イダテン、笛は!?」
「ふぇ?」
「無いなら走れ! オレも無い!」
「えぇえええ!?」
ガゥガゥッ、と吠えたてるや、真っ黒い犬が飛びかかってくる。声を上げてアカネは桐臣と同時に走り出した。無我夢中だ。
人が犬より速く走れるとは思えないのだが、それでも必死で駆ける。
バゥバゥと追ってくる声に背を向け、走る、懸命に走る。仮初の身体なのに、息が乱れる。
「なんっ――なんだぁああああっ」
アカネは、自分と同じく足を動かす少年を詰問した。「あんたっ、プリン、食い逃げしたんじゃないでしょうねっ!?」
「食ってねーよ!」
桐臣は喚くように応じた。「知らっ、のかよ――っ、夜に町中居るとっ、犬や鳥が出るんだよ、このゲームっ」
「――っんだってぇえええっ?」
「ガキがっ、うろうろすんなってことだろ――っ」
「説教くさっ」
(ていうか、最初にアイテム欄にあったホイッスルは、これがあったからかー!)
「笛なんか早々に売っちゃったよぉおーっ」
叫びながら、アカネは桐臣と女子寮まで走り通したのだった。