アルバイト
数日後は、現実だと土曜だった。
昼過ぎ、朱音は日課となりつつある『青春Playing』にログインし、祖母と真面目に授業を聴いて四ポイント稼いだ。
一緒にログアウトしてから家事を手分けする。
日が暮れて、祖父母と静かな晩御飯を済ませると、朱音は自室にVR眼鏡を持ち込んだ。
ベッドに寝転がり、起動させる。
現実時間で午後七時過ぎ。ゲーム内では昼時間の筈だった。
日中にログインした時は半休日だったので、六時間経過した今は休日という計算である。
ゲーム内の休日では、Vマネーを出そうとも授業は受けられない。がむしゃらにポイントを集めるプレイスタイルは推奨していないようだ。
朱音も、授業に出ようと思って本日二度目のログインをするのではなかった。
休み時間に校内を歩いてみたら、昇降口の辺りに掲示板を見つけた。
貼ってあるチラシの殆どは授業の受け方についてのようだったが、隅の一枚に〝学校推薦アルバイト〟と書いてあったのだ。
休日の教室にはアカネしか居なかった。
真っ先に、アイテム欄に届いていた千V札を掴む。この数日で守銭奴になってきている気がする。
ブレザーの内ポケットに紙幣を突っ込んで、アカネは教室を出た。昇降口へ足早に向かう。
果たして掲示板の隅に貼られていたのは、やはりアルバイト募集のチラシだった。
都市の美化を目指した、ボランティア気味の職務のようだ。
【隙間時間で構いません。道端などに落ちているゴミを片づけてください。
一つ片づける毎、銀行口座に五Vが自動振込されます。】
「微妙過ぎる」
思わず洩らし、アカネは肩を落とした。
(もっと、どかんと入って来るバイトを期待してたよ)
不機嫌な気分で校舎を後にする。外は無駄にいい天気だ。
不本意ながらも道の端に目を投げつつ歩いた。意外と、紙屑の類が落ちている。
(拾うのはいいけど、何処へ捨てる?)
手をのばしかけてから、アカネは眉を寄せた。
ゴミの収集場所を探して、ワカの自宅がある方へ足を向ける。
現実なら宅地に一箇所はある筈の場所が、見当たらない。
途中でプレイヤーの数人とすれ違ったけれど、仏頂面をしていた所為か誰も声をかけてはこなかった。
宅地を抜けてしまったので、公会堂のある広場を目指してみる。公園みたいな場所にはゴミ箱があるものだ。
途中で、図書館や貸自転車Pというのを見つけた。どうやらVを払えば自転車で移動できるらしい。
それにしても、何でもかんでもVマネーが要る。
自動販売機の飲料は三五〇mlで百五十V。
横目に値段を確認していたら、販売機脇の植え込みに缶が放置されていた。反対側の脇に空き缶入れがあるのに。
「おぉ?」
通り過ぎかけたアカネは急停止した。遂に見つけた、ゴミ箱だ。
紙屑は入れたら拙いだろうが、空き缶はここで間違いない。そそくさと植え込みから缶を拾い上げ、アカネはボックスに放り込んだ。
ちょうどATMが近かったので、駆け込んで残金を確認してみた。
五V、入金されている。
アカネは、紙屑を捨てられるゴミ箱を熱心に探し始めた。
気づくと昼Ⅰから昼Ⅱの時刻になっていた。
ゴミ箱は主要な建物の近くには必ずあるのが判り、判ってからは道々紙屑を拾って歩き回った。
この都市には、結構色んな施設や店があるらしい。NPCがピシッと立っていた交番もあったし、ゲームセンターまであった。
かなり拾ったと自負の鼻息をついた時、ATMが目に留まった。アカネは軽く手をはたくと残高照会してみる。
二百六十五V、増えていた。
時給に換算したら、泣けてきた。
てやんでい、と内ポケットに入れていた千Vを預金し、ATMを離れる。
システムウインドウからマップを開くと、東南地点と判明する。桜駅の近くだ。学校はここからだと西方面。
商店街のようなアーケードを、西へ向けて歩き出す。この辺には、他のプレイヤーの姿は無かった。
このゲームでは敢えて飲食する必要が無いのに、レトロな空気の漂う八百屋や魚屋、肉屋に総菜屋などが軒を連ねている。NPCがお揃いの笑みを貼り付けて店番しているのは、少々怖い。
弁当屋まであった。鼻が、いい匂いを敏感に嗅ぎ取ってしまう。脳が疲労して、霞でもいいから栄養を欲しているんだろうか。
何とはなしにメニュー見本へ目を走らせたアカネは、店の壁に視線を移した瞬間、ぽかんと口を開けた。
【バイト募集 詳細は店員に】
数十分後、自分に合うアルバイト先を探して都市内をうろついていたアカネの耳に、ポーンと軽やかな音が響いた。次いで、祖父のぶっきらぼうな声。VR眼鏡へのダイレクト通信だ。
〔朱音、風呂〕
ログアウトして眼鏡とイヤーカバーを外す。
祖父、柾高は既に部屋を出ていた。祖母では外部から声を届ける方法が解らないから、代わりに来たのだろう。
朱音は祖父母にとってたった一人の孫だけれど、柾高は猫可愛がりしてこない。
わかが今回のテストプレイに朱音を引っ張り込んだ時も、柾高はむすっとした顔をしただけだった。
冷戦原因とは別の点で、気に入らなかったのだと思う。
朱音は、現実の高校に一ヶ月ばかり通っただけで、ここひと月、不登校中なのだ。
誰かに苛められたわけではない。
ただ、何となく。
そこそこの私立進学校に合格したものの、レールに乗って走るだけで、将来の自分がまるで見えなかった。
今後もこのまま生きて何になるんだろうと浮かんだら、脱線してしまったのだった。
たまたま安易な脱線が許される環境で、甘えていると自分でも思う。
保健室に通うのでもいいと、家庭訪問してくれた担任の男性教諭が勧めてきたけれど、うやむやな返答しかできなかった。
一応進学校なのに、進学率を下げるだろう朱音のような生徒は困る存在に違いない。できれば余所の学校へ移って欲しいのだろうな、と先生の表情を見て思った。
担任の訪れ以降も一週間動けずにいたら、祖父が厳めしい顔で告げてきた。
『学校行かないなら、働いて、生活費を少しでもいいから入れろ。どっちもしないなら出てけ』
追い出されると、行く当てが無い。
母は父以外の男性の妻になってしまったし、祖父母の息子に当たる父は外国航路船員で、年に二度帰ってくればいい方だ。
それで今現在、朱音は朝に新聞配達のアルバイトをしている。後は祖母の家事手伝い。
祖父は朱音の現状について何も言わなくなった。
それでも今、ゲームの学校には何やら熱心に通い出した孫をどう思っていることか。
元々、距離を測りかねている様子だった。祖母と二人きりになった老後をのんびり過ごしていたところへ、転がり込んできた孫である。
朱音も、母の出奔が受験間近という最悪の時期だった為、祖父母に歩み寄る余裕なんて無かった。
取り敢えず衣食住を与えてくれたら後は勉強の邪魔をしてくれるなと、当初は傲慢な思いをいだいていたものだ。
嫌な己を思い出してしまい、朱音は顔をしかめた。おまけに、現在進行形で褒められるような孫ではない。
(さっさと寝ないと、バイトの時間に遅れる)
勤務態度がいい加減なんてレッテルでも貼られたら、平静を装っているなけなしの意地が崩れ去る。
そうなった将来の、惨めな姿だけは容易に見ることができるのだ。
「てやんでー」
ショートカットの黒髪を乱暴にかき上げると、朱音はベッドを出た。
「えぇ? ゲームでもバイトするの?」
翌朝、アルバイトから帰宅して茶漬けを流し込む朱音の向かいで、わかは目を丸めた。
「どれもゲーム内の半休と休日が勤務時間になってんの。授業と同じで働きたい時でいいっぽいから、休日にインできた時はお金稼ぎたい。やかんとお茶っ葉、欲しいでしょ」
「半の日とお休みの日は部活動ができるみたいじゃない。なにも、そこまでしてゲームでお茶を飲むことないよ、朱音ちゃん」
「わたし、部活、興味無い。それに、お茶だけが目的じゃないし。私服なんかも欲しいもん」
「――あー、モールにたくさん売ってたねぇ。それより、お洋服欲しいなら、現実で祖母ちゃんが買ってあげるよ」
わかが笑い皺を深めて僅かに身を乗り出す。
「いやいや、それとこれとは違うでしょ」
朱音は首を振ってから箸と茶碗を置き、湯呑から薄めの緑茶を啜る。
「そうかなぁ」
「そうだよ。ワカちゃんも、現実じゃ着れないようなのにチャレンジできるじゃん。制服以外でも膝丈履いてみようよ。似合うよ絶対」
わかは、ハッとした様相になった。
「なんて誘惑……!」
テーブルの上で両手を握り締めた祖母に、朱音はニヤリと笑んで席を立った。
結局、アカネは商店街の外れにあった書店でアルバイト登録した。
面接が無いのは拍子抜けしたが、安堵もした。流石にゲームだ。
〝書店員の平均的な一日〟という動画を見てから、体験してみますか、という問が出たので〝はい〟を選択。それで登録された次第だった。
給料は三十分で三百五十Vマネー。働けるのは昼の時間帯だけだ。
動画で流れた様々な作業をそのままゲーム内でやるのかと思ったら、そういうことはなく。
レジカウンターで立ちんぼである。
プレイヤーが来店すれば、動画マニュアルを参考に応対するくらいだった。
来店者の反応は色々だ。
アルバイトが可能だと知らないプレイヤーは割と居て、いらっしゃいませー、とアカネが挨拶すると大体ちょっとびっくりしている。
何となく入ってみただけだったのか、慌てたように踵を返す人も居る。NPCじゃないよね、何してるの、と訊いてくる人も居る。
普通に書店員として接してくるプレイヤー相手だと、アカネもやり甲斐を感じた。
アカネが何回かアルバイトを経験した頃、学校の教室で0601に再会した。
「僕もスーパーでレジ打ちしてみたんだ。思ったより大変だね、あれ」
「そうなんだ――あー、お客が多いか。やる事も多そう」
「たまの三十分だからいいけどね。現実でレジ打ちのおばちゃんを見ると、なんか尊敬するようになった」
「うはは、解る解る」
アカネと0601がそんな話をしていたら、ワカが羨ましそうに言った。
「私も本屋さんで働こうかなぁ」
「部活はどうしたの、ワカちゃん」
校内の食堂にクラブ一覧のポスターが貼ってあるのを見つけてから、やってみたい、と祖母は言っている。
「まだどんな部活にするか決めてないからさぁ」
「ていうか、同じ職場に入れるのかな」
アカネが小首を傾げたら、多分ね、と0601が頷いた。
「職場によって受け入れ人数変わるかもだけど、スーパーは他にも一緒に働いてる人居る。大勢被った時は、登録番号順で優先勤務になるみたい」
「へぇー」
少女二人の声が重なった時、室内にイケメンZが入ってきた。
初めて会った時と変わりない様子で、どもー、と気さくに寄ってくる。
「半月ぶりくらいだねー。その後、どう?」
「バイトやら部活やら、どうしようかって感じかな」
アカネが適当に応じると、あぁ、とイケメンZは椅子に座りながら爽やかな容貌を苦くした。
「都市で働けるんだってね。高校生なんて学業優先だろうに。何のゲームだよな、これ」
存外お固い人だったのか。アカネが瞬く横で、0601も意外そうな眼差しでイケメンZを見る。
イケメンZは彼らのリアクションに口の歪みを強め、ぼやきを続けた。
「三、四日前だったか、一・五倍くらいには増やして返すって言うから金貸したんだけどさ……桃姫、給料いいからって変なバイト登録してんの」
「あぁ、頭の横でお下げを作ってた可愛い子ねぇ」
ワカが、ややズレたコメントを挟む。最近はツインテじゃないよ、とイケメンZは律義に教えた。
アカネは、眉をひそめた。
「いくら給料がいいって言っても……バイト始める前になんでお金が要んの。おかしくない?」
「美容院とネイル? 化粧と服にも使ったっぽい」
「どんな職場だよ」
思わずという風に0601がツッコミを入れた。アカネも同じツッコミが浮かんでしまう。だって書店員は、制服の上着を脱いで、アルバイト中だけ貸し出される黒いエプロンを身につければOKだ。
疑問符を頭に浮かべる面々に、ぽろりと、イケメンZは回答してきた。
「キャバクラ」
「はぁ!?」
ワカも加えた三人の声が響いた。
「そんなバイト募集あんの!?」
「バグじゃないの」
「お昼間にその仕事……?」
アカネ、0601、ワカが口々に問いかける。イケメンZは机に片肘をつき、煩わしそうに髪をがしがし掻いた。
「昨日、休日あったでしょ。夜時間に桃姫からけったいな電話かかってきたんだよ。烏、烏って連呼して、すぐ切れた」
「……何だそりゃ」
「夜に働けたってこと?」
「烏って夜行性だったかねぇ」
0601とアカネが唸り、ワカが首を傾げる横手で、イケメンZは払うように手を振った。
「大体さ、キャバに高校生の筈のプレイヤーが入れるわけないだろ。客も来ない店で何の仕事があるんだよ」
「バイトできるってことは、僕らも客で行けるかもしれない。バグじゃなければ」
0601は、ぶつぶつと続けた。「まさか、バイトは昼時間に営業メール送るのが仕事内容だったりするのか……?」
なんだか詳しそうだな、とアカネは思ったが口には出さないでおいた。
ゲーム内の数日後、昇降口近くの掲示板に桃姫☆の名前が貼り出されていた。
【桃姫☆さんは本校生徒に相応しくないアルバイトをした為、ポイントと所持Vマネー半減のペナルティを受けました。
桜高校では労働を禁止していませんが、アルバイト選びは、よく考えましょう!】
どうやらバグではなく、罠だったようである。