カリキュラム
翌日、昨日と同じ頃合に、朱音は再びリビングでVR眼鏡を装着した。
『青春Playing』は、ぶっ続けのプレイが最長六時間と定められている。
森家ではプレイヤーの二人が高齢者ということもあって、最長でも三時間と話し合っていた。昨日は結局、学校へ向かわず一時間ちょっとでログアウトしている。
あれから二Kの新居で茶を飲もうとしたが、あの家には茶葉どころかやかんも湯呑も無かった。
菅原教授によれば、『青春Playing』は学園ゲームである。
しかしながら学園都市には、勉学に関係在るのか疑わしいショッピングモールやホームセンターが在り、やかんもしっかり売られている。Vマネーで買える。4千Vだった。アカネとワカの所持金を足しても無理だった。
アイテム欄にあった千Vは、ゲーム内時間で一日一回届くようだ。
RコインでVを買うこともできるらしいが、ゲームでやかんを買う為にリアルマネーを使うのはためらわれる。
公会堂の傍に銀行ATMを発見したので、ゲットしていたその日のVマネーを預けておいた。生徒証で預け入れも引き出しもできる。流石に借り入れ機能は無いらしい。
ログインしたアカネの目の先には、ATMが在った。庇の付いた小さな建物だ。
空は本日も爽やかに晴れている。意識すれば判るように設定し直した時刻バーで確認してみたら、平日3、朝の時間帯だった。
パスワードを入力するだけだから、今日はワカも間を置かずに現れた。
昨日の内に位置は確認している。二人は学校へ向けて歩き出した。
近づく毎に、同じ方へ歩く人の姿が見え始めた。ブレザーの制服を着ているし、他のプレイヤーだ。
「おとーさん、何処に居るのかなぁ」
呟くようなワカの台詞に、アカネは僅かに肩をすくめる。
「何組か、訊いてないの?」
「うんー」
生返事をしてから、ワカは小ぶりの顔を傾けた。「ところで、昨日、セーラー服の子が居たでしょう。私、あっちの方が好きだなぁ」
「セーラーは女子校の制服みたいだよ」
「えっ、じゃ、女子校にすれば良かったね」
「うーん?」
今度はアカネが生返事になる。
編入という手段で、学校を変えることはできるみたいだ。けれど、設定画面でRコインを使えば性別が変えられたので、偽女子が紛れこんでいる可能性がある。そんな倒錯気味の女子校に通うなら、初めから共学校の方がいい気もする。
高校の敷地内には、葉の茂る桜が等間隔に植えられていた。花壇もあって、初夏の草花が風に揺れている。
桜葉が頭上でアーチを作っている門を抜けた途端、赤い矢印が視界に現れた。
「矢印出てきたよ」
ワカの台詞に、アカネは頷く。
「初心者案内かね」
敢えて無視したい衝動があった。それでも、まだまだ不慣れなワカを巻き込むわけにはいかない。
二人は矢印に従って進み、校舎の一教室に入った。ディスプレイの設置されたブースが並んでいる。何人かが席に着いて、それぞれ画面を操作していた。
矢印が空席の全てに出ている。何処に座ってもいいのだろう。アカネが一つに腰を下ろすと、ワカも隣の席に座った。
【学校生活案内 ※生徒証を用意してください
STEP 01 カリキュラムを組もう】
画面には、そう表示されていた。
アカネに続いてワカも作業を終えた時には、昼Ⅰの時間帯が残り僅かになっていた。青のバーだったのが緑になっていて、〝休み時間〟と出ている。
「何の科目を選んだ?」
ワカが楽しそうに訊いてくる。
「世界史一本にしようかと思ったけど、生物と情報処理も入れておいた」
現実の学校と違って、このゲームでは好きな科目だけを受けていても進級、卒業ができるらしい。
二十分間の授業に参加すればポイントが入る。進級するには、授業の他に試験や課題でもポイントを溜めて、合計で一五〇〇要る。
定時制枠というのがVマネーで買えるようになっていて、朝や夜の時間帯にも授業は聴ける。勿論アカネに、そこまでする気は無い。
「私はねぇ、英語と音楽と家庭科と国語」
「ワカちゃん、やる気があるなら個人授業でもいいんじゃない」
Rコインを払うと、現実のプロ講師がNPCとして登場し、臨場感たっぷりに個室で教えてくれるそうだ。
「アカネちゃんと一緒がいいよ。科目が違っても同じ教室でいいみたいじゃない」
流石にクラス分けは無かったようで、定員十五人の教室に入り、それぞれの授業を専用眼鏡着用で聴く仕様である。
「まぁ、取り敢えず、いっぺん授業に出てみようか」
階段を上がると【授業用】と札の下がった教室が並んでいて、戸の脇に、組と入室している人数、入室の可否がパネル表示されていた。この点は現実の学校と大いに違う。
五人だけだったD組に、アカネとワカは入ることにした。
戸をスライドさせると、いかにもといった光景が広がっていた。間隔はゆったりとしているが、並べられたシンプルな机と椅子。黒板。教室いっぱいの窓。
「うわー、懐かしい」
ワカが弾んだ声をあげた。窓際後方の席に集まっていた三人の男女が、目を向けてくる。アカネが軽く会釈しておくと、男子の一人が、どもー、と手を上げて応じてくれた。
爽やかな風体だったけれど、よく見ると名前が【イケメンZ】。否定はしないが、何だか微妙な心地になる。
「まだ全員初心者同士だよね、宜しくー」
アカネの内心を知る由も無いイケメンZは、きらりと白い歯をこぼした。宜しくと周囲も口々に言い合う。
「良かったらトモロクしよー?」
イケメンZの隣に居た【桃姫☆】というツインテールの女子が、ブレザーの内ポケットから何か取り出す。
「スマホじゃない。うわー、それも懐かしい」
又もワカが反応する。アカネには少し厚手のプレートにしか見えない物体だった。派手なピンク色だ。
「〝どこでもフォン〟って名前だよぉ。ゲーム内のプレイヤー間連絡ツール。ガッコの購買で買えるの。安いよ、十V」
携帯電話は今現在、ステホと呼ばれている。体内埋め込み型と使い捨て貼り付け型があって、アカネはリストバンドに貼り付けている。このゲーム内には反映されていないから、どこでもフォンというのは代用品だろう。
買ってこようよ、とワカがアカネを見ると、イケメンZの前に座っていた【0601】という、ゲームプレイ開始日を予想させる男子が口を開いた。あまり外見を弄っていない印象だ。少し黒髪が跳ねていて、眉が太い。
「モールだと五Vで売ってる」
えっ、と桃姫☆が目を見張った。イケメンZがニヒルに唇を歪める。
「購買は何故か割高だよね。オレはホームセンターで買った」
「信っじらんない。フツー、学割みたいなのが効くもんだろーがっ」
悔しそうに桃姫☆が吐き捨てる。
アカネはワカと目を見交わした。
「今度、モールかホームセンターに行ってみよう」
うん、とワカが頷いたところで、チャイムが聞こえた。昼Ⅱの青い時間バーになっている。
廊下側の席でシステムウインドウを見ているようだった男子が、机の中から眼鏡を出す。慣れた手つきで机の隅に生徒証を当てた。
ポーン、とシステム音が聞こえた。
【教室内で授業が始まっています。他の生徒の迷惑にならないようにしましょう】
現れたメッセージにアカネが目を通していると、はえー、はえー、とイケメンZがぶつぶつ言った。
「他の教室行くー?」
桃姫☆が心持ち声を落として口をすぼめたが、0601は前に向いて眼鏡を着用し始めていた。
「わたし達も座ろう」
アカネはワカを促し、教室の中程に座った。
VR眼鏡とそっくりの眼鏡をかけ、イヤーカバーで耳を包んで、机に生徒証をかざす。
【二分経過しています。休み時間も使いますか】
〝はい〟を選択すると、黒板が大きなスクリーンとなった。一番に選択していた、世界史の映像がナレーションと共に流れ出す。
二十分間古代文明にひたったら、面白くて、あっと言う間だった。
【続きは次回
一ポイント獲得! 合計一ポイント】
スクリーンが黒板に戻った。
予想外の満足感に、アカネは息をつきつつ眼鏡を外す。
隣のワカは、まだ授業中のようだ。結ばれた唇が弧を描いている。楽しんでいるらしい。
窓際へ目をやれば、桃姫☆は眼鏡をかけたまま、恐らく寝ている。机に突っ伏している。
イケメンZは内心を如実に表した体勢だ。黒眼鏡で緑のネクタイを緩め、だらりと椅子の背もたれに身を預けている。今は、ちょっと危ない業界の使い走りにしか見えない。
0601は既に眼鏡を外しており、ノートを机の上に広げ、鉛筆片手に目を走らせていた。
(あー、ステホが無いからメモ取りも不便だな。ノートと筆記具も要るか)
思い出し、アカネはアイテム欄から千V札を取り出した。これで銀行に預けた分を含めて二千V。
どうにも先立つ物が少な過ぎる。
(仮想生活しようとしたら、施しだけでやり繰りするのはキツくないか、このゲーム)
勉強以外に何かしようとすると、難易度が跳ね上がるのか。
むぅ、とアカネは眉を寄せる。
それから別科目の授業も一コマ聴いた後、アカネとワカは学校でログアウトした。
ログアウト前、他の教室を少し覗いてみたけれど、祖父らしき生徒を見つけることはできなかった。