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火星が赤いなんて昔のことさ。って、そんなことかまってる場合じゃないんだよ

 アースから火星の首都「ワシントン」までが約五日。

 ワシントンからフォークロアコロニー手前の街、『フォーチュン』までが四時間。税関も含めてではあるが、弾道飛行機でこれだけ掛かる上に、フォーチュンから先は、三時間に一本の乗合馬車である。

 しかも馬車の車輪はタイヤじゃない!

 木の車輪なのだ。

 火星のフォークロアコロニーとは、自然とともに生きる理想を掲げる人々が集まって作ったテーマコロニーなのだそうだ。

 火星の赤道付近に広がる広大な森林地帯の中、数箇所ある湖の周りに畑などを開墾した村が点在し、そこでは最低限の原始的な機械――車輪や滑車といった程度の物――以外の電子機器を棄て、すべてを人の手で作る生活をしているのだという。

 機械に頼らず、自分たちの手で創り出す生活をするという理念の下、作られた自治区。

 噂や土産話に聞いてはいたが、ここまで徹底した文明排斥を突き通すとは、この自治体の根性の座り具合が只者じゃない証拠だろう。

 サスペンションを駆使しても、舗装の無い道にがたがたと揺れる馬車。

 硬い座席で痛み出した尻をもそもそと動かしながら、アレックス・アンヘルJr通称アリィは、両親の変な趣味に溜息をついていた。

 家族達に言わせれば『倦怠期』に突入し、ぎくしゃくし出した両親達のために、二人をここに送り出したのが約三週間前。しかしほとんど連絡がない上に家で待っている津川閖吼――アリィの戸籍上の母親ということになっている青年――の容態が思わしくなく、いても立ってもいられなくなって、彼は貯金をはたいて火星行きのチケットを購入し、シャトルに飛び乗ったのだった。

 無事に到着したのはいいが、彼は早くもこの地区の在り様に辟易していた。

 貧しいどん底の生活は経験したが、それでも彼はアースという文明の地で暮らしていたのである。想像を絶する暮らしの違いにはなじめそうもないとまで思い始めていた。

 アリィが尾てい骨のために楽な姿勢を思案している間に、ようやく馬車は目的の場所に到着する。

 スーツケースを降ろし、きょろきょろと周囲を見回していると、後ろから肩を叩かれた。

「よくきたな」

 振り向いて、少年は満面に笑みを浮かべる。

「父ちゃん」

 長身に逞しい体躯の、鳶色の髪と瞳の青年は、傍目からはアリィの兄ほどの年齢にしか見えない。実際血は繋がっておらず、父と呼ぶのはアリィと彼の立ち位置の関係というのもあった。

 もっとも、アリィが父と見る四人の人物の中で、一番『父親』のイメージとしてふさわしいのはこの青年――エゼルであるだろう。

「アレクスも待っている。昨日の夜からそわそわしているので、寝かしつけるのが大変だった」

「あはは」

 エゼルが軽々とスーツケースを片手で持ち上げ、アリィはちょこちょこと隣をついていった。

「今朝もごちそうを作ると張り切っていた。止めるのも無理な様子だったからそのままにしておいたのだが……」

「……あはは。相変わらず家事好きだね、父さん」

 苦笑して肩をすくめてから、アリィはおずおずとエゼルを見上げた。

「父ちゃん。父さん大丈夫なの?」

「心配をかけたようだな」

 エゼルの大きな手が、アリィの頭をゆっくり撫でた。優しい笑顔が返される。

「もう熱は下がっている。無理をさせないようにしているし、予定通りに戻れそうだ」

 その答えに、少年は表情を輝かせた。

 アレクスが高熱を出して寝込んでいたという連絡を受けたのは、シャトルに乗って三日目のことだった。アースの自宅を経由してその知らせを聞いて、アリィは青ざめたものだ。通信の内容ではもう熱も下がって起きられるということだったのだが、やはり心配だったのだ。熱を出したこと自体ではなく、そこへ至った過程がわからなくて。

 アレクスは、アリィと本当に血が繋がった父親だ。セファートのパストアス人自治領であるパストアセリアの大使という肩書きを持っているが、その正体は正真正銘の天使である。本来なら、病気などとは無縁の存在なのだ。例外として、精神的に追いつめられた状態ならばそういうことになってもおかしくはないのだが、アリィはそこを懸念したわけだった。

 もしかして、またしてもエゼルとの仲がこじれたのではないかと。

 だが、今のエゼルの答えを聞く限り、事態は好転しているようだ。

 エゼルがしっかりとアレクスの世話をして、気配りをしていることが短い言葉からでも十分に伺えた。

 そのことにとても満足して、アリィはにこにこ顔で長身の父親を見上げた。

「そっか」

 かなり尻は痛いけれど。

 ついでに腰と顎もがたついているけど。

――きてよかったな……

 ふと足元を見れば、エゼルと自分の影が長く伸びている。

 大柄なエゼルの大きな影。

 まだ小柄な自分の小さな影。

 ならんで、荷物も持って、てくてくと。

 アリィは、なんだか泣きたくなってきた。

 昔、一人で街角を彷徨っていた頃。夕暮れ時に、子供の手を引いて歩いていく親子連れを見た。

 羨ましいと心の底から思ったものだった。

 自分は見知らぬ男に着いて、何が待ち受けているのか判らない場所へ行くのに、あの子供は暖かな家に帰るのだなと……

 いつか、本当の親が見つかったら、身体を売って糊口をしのぐのではなく、暖かな食卓の待つ家に帰れるようになるのだろうか? と。

 今、正に夢見ていた事そのままの状態に、自分がいるのだと気がついた。

 父と共に、夕日の中長い影を踏みながら家路を急ぐ。きっと彼の到着を、美味しい料理と笑顔が迎えてくれるのに違いない。

 アリィは、髪を掻き上げる振りをして、にじみかけた目元をこすった。

 エゼルに知られるには、ちょっとだけ恥ずかしい感傷だったから。

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