表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/18

第五幕前半。王子の許婚、コスモス


何日かぶりに街に出てみると、晩秋ならではのごたごたとした通りが目に入る。もう肌寒い時期なのにむわっとした熱気が立ち込めているのは、そこで働く者たちの活気のせい。この時期は地方で収穫された穀物を運ぶための荷馬車で町中ごった返している。

わっちは市井の町が好きで、よく城下町に繰り出す。そのせいで侍女にこっぴどくしかられる事もしょっちゅうだが、それだけの魅力が市井の市場にはある。


「婆、鳥の串焼きを一本じゃ」


わっちがそういうと、顔なじみの婆は「またですかァ」という顔をしながら串焼きを渡してくれた。城を抜け出すたびに個々の串焼き屋に顔を出すので、今ではすっかり常連になっている。


「婆、何か最近、面白いことはないか?この時期だから旅芸人が来たりとか、してるだろう」


麦商人は勿論の事、冬になる前にいろいろなものを揃えておこうという地方からの人であふれるこの時期、そういった人たちを狙った旅芸人やら、珍しい品物を売る土産物の露店なども立つ。だから、わっちはそういったことにやたらと詳しい婆に尋ねたのだ。


「そうですねえ、今年はイタカからの穀物が無いせいで少し閑散としていますからねえ。もう暫くはそういった旅芸人たちも来ないのではないかと思いますよォ」


やたらとおっとりした口調は婆ならでは。

イタカというのは毎年王都の穀物需要の大半を賄っていた村の名前だが、少し前に腐死病で滅びてしまった。

もちろん、そこで取れた麦も焼き払われてしまい、一時期、軽い食糧難に陥って国の上層部は対策に追われていたらしい。らしい―――などというと、侍女あたりから「他人事じゃありません」などといわれそうだが、わっちにとっては他人事だ。わっちにとって大切なのは自分の目の前にあることだけで、行った事もないし知り合いがいるわけでもない畑だらけの村の住人がいくら死んだところで心が痛みようも無い。


「あー、そーでしたそーでした」


ふと、婆が思い出したように言う。


「ここから少し裏路地に入ったところに、ほら、酒屋があるでしょォ」


ふんふん。酒屋で何か面白い事があるのだろうか。


「その酒屋の裏口を抜けて、真っ直ぐ進んだところのォ、突き当りをさらに右に進んだところのォ、服飾店のォ、だんなさんがァ、この前亡くなってェ、奥さんのアリスが後を引き継いだんですけれどォ、」


「・・・・・・え?」


服飾店のだんなは、わっちの顔なじみだ。城下町のことをぜんぜん知らずにふりふりの夜会ドレスで街に出てきたわっちに、街娘の服を譲ってくれたのがその服飾店のだんなだった。


(亡くなっ、た・・・・・・?)


そんな、死ぬような高齢ではなかったはず。持病も無かったし、食欲は人並みはずれていた。よく奥さんと喧嘩したと言っては繁華街で全店制覇する勢いでやけ食いしていた。


(あの、おじさんが・・・・・・?)


いつの事だろうか、最後に話したのは。

いつだっただろうか、あの店に最後に寄ったのは。


「それでェ、その奥さんがァ、服飾店のよこのォ、空き地を買い取ってェ」


婆の話はまだ続く。

いい加減まどろっこしい。


「店を建て増ししてェ、それで服飾店をやめて宿屋にしようとしてたらしいんですけれどねェ」


「え、ええい、とっとと要点だけ述べんかい!聞いとってだんだんいらいらしてくるじゃろうが!」


このまったりした所がこの人の味なのはわかっている。

しかし、我慢にも限度がある。

そしてわっちの沸点は結構低い。


「エー」


「なにが『エー』だっ!そんな枝葉末節まで説明されては一体どこが話の要点なのかわからんであろう!?結論だけ言え、結論だけ!」


「それじゃァ、その『酒の魔術師』がァ」


「結論だけ言われてもわからんであろうが!酒の魔術師というのは何者だ!」


「でもォ、コスモス様が結論だけ言えとおっしゃったんですしぃ。噂というのはぁ、要約したり枝葉末節を省くから尾ひれがついてしまうんですからァ、少しぐらい時間をとったとしてもォ・・・・・・」


「ま、待て。ちょっと待て」


わっちは婆の言葉をとめて周りを見回す。どうやら侍女はまだこの付近にはいないようだ。城に連れ戻されるのは暫く後になるだろう。


「ええい、いいだろう。枝葉末節まで付き合っちゃる。婆、串焼きのお替りじゃ!」


わっちは景気よく言い放った。


   ※ ※ ※


要点だけ言うと、服飾店の横の空き地に、水を酒に替えてしまうという奇妙な男が居座っているという事だった。魔法などあるわけが無いのだから絶対に詐欺の類なのだが、いろいろ言ってその酒を高い値段で売り捌いて法外な金を手にしているらしい。

はなはだ許しがたい。ここは国王のお膝元とも言える王都。そのような詐欺師の居座っていい場所など裏路地にすらない。


(わっちがじきじきに裁きを加えちゃる!)


そう息巻いて向かった件の空き地には一体何事かというぐらいの人だかりが出来ていた。

その威圧感に一瞬ビビった後、わっちは腹をくくってその局地的過密現象区域に飛び込む。


(ええい、どかんか。このっ)


両手で泳ぐように人垣を掻き分けて前に進んでいく。わっちの身分とか立場とかを述べれば手っ取り早く道を作れるのだが、相手の詐欺師にも警戒心を与えてしまう。それでは意味が無い。


「こちらの酒は、万病に効く薬ともなり、死者をも生き返らせたとされる生命の酒。香りたつ果実の香りは奇跡の香り。さあさ、来て、見て、買って行くことだよ」


漸く、ベタベタな売り文句が聞こえてきた。そしてすぐに、黒い服を全身に纏った男が、ぽっかりと出来た空洞の真ん中に座っているのが見えた。この男が、婆の話していた酒の魔術師だろう。酒の魔術師の見世物はちょうど今始まったようで、彼の前に置かれた手桶には水がいっぱいに張られている。


「さあさ、この水にご注目。今からこれが果実酒に早代わりするからね」


そういってポケットから丁寧に折りたたまれた紅い布を取り出す魔術師。


(ああ、なるほど。考えたものじゃな)


一瞬、わっちは不覚にも感動した。

酒の魔術師の使っているトリックが解かった。べらぼうな値段で売りさばいているといっても、仕入れ値を考えれば妥当な値段といえた。口八丁手八丁で売りさばいても、これなら大して利益が出ないだろう。


(なれば、種を暴いて、晒し者にする事もあるまい)


自分の言動がどれだけの効果を持っているのかは理解している。場合によっては、許婚のイーマにまで迷惑がかかってしまうだろう。王族にとって人望を失うことは命を失う事に等しい。イーマもわっちに負けず劣らず無鉄砲な性格だが、それでも王子だ。自分とは違い、いろいろな気苦労も耐えない。わっちは無力で、イーマを影から支える事もできないけれど、それでも足手まといにだけはなりたくない。

それにわっちは王都内の不正を正そうと思ってここにきたのであって、そこにいるのが単なる商人ならばわざわざ揚げ足を取ってその商売の邪魔をするつもりは無い。ここにきたのは、己の観察力をひけらかして自己満足を得るためではない。

・・・・・・ちょっと悪人をからかって退屈しのぎをしてやろうとか、そういうことは全然思っていないのじゃ!


「・・・・・・なんじゃろうか、この、言い訳をした後のような居心地の悪い罪悪感は・・・・・・」


わっちが一人ごちて、人ごみを後にしようとした、その時―――


「買うわ!そのお酒、全部頂戴!」


まるでこらえていた言葉を一気に吐き出すような叫び声が、わっちの後ろから聞こえた。

わっちはその声に聞き覚えがあった。それは、とある服飾店を影から支えていた、気丈な女性の声だった。

酒の魔術師が、のそりと顔を上げる。黒く、よどんだ目をしていた。


「全部、ねえ。いいよ、それも。でも、払えるの?即金で、金貨千枚」


一言一言、言い聞かせるようにする酒の魔術師。その言葉は魔法のように周囲に響き渡る。

服飾店主人の妻、アリスが躊躇したのがわかった。金貨千枚というのは、そういう金額だ。


「生命の水って言うぐらいなんだから、そのくらいの値段じゃなきゃ割に合わないでしょう?」


(そうか)


生命の水、死人を生き返らせることすらも出来る水。そんなものがあれば、真っ先にそれをほしがるのは最近大切な人を亡くしたものたちだろう。

アリスは気丈だ。どれだけ辛くても歯を食いしばって、周りには何事も無いように振舞う事ができてしまう。そうやって我慢して、胡散臭い詐欺師が店の横に居座って嘘としか思えない命の水なんてものを売り出しても、死んだ人は生き返ることが無いのだと自分に言い聞かせて我慢してしまう。

我慢して、我慢して、我慢して。

水が酒に変わるのを見ても、奇術だと自分に言い聞かせて。その酒が飛ぶように売れているのを見ても、皆がだまされているだけだと信じて―――

限界が、来た。

自分はそんなものに頼らなくても、一人でやっていけるのだと、自分の旦那が死んでも耐えることができるのだと、自分自身をだまし続ける事に、限界が来た。


(これが、酒の魔術師の手口だったわけじゃな)


生命という言葉に後押しされて、アリスが口を開く。


「店を抵当に入れれば、そのくらいのお金は簡単に手に入るわ」


酒の魔術師から見て、アリスの今の姿はどう映るのだろう。こいつは、悲しみを受け止めてこらえようとするアリスに蛆虫のようにたかり、アリスのことを何も知らず、知ろうとせず、亡き夫の亡霊に執着して蘇りを妄信する、滑稽な未亡人の財産を吸い尽くそうとしている。

ぷつんと、わっちを押さえていた何かが切れて、胸の奥底から熱いものが湧き上がった。

それは、イーマや婆や父に対してあふれ出すのとは真逆の感情。

暗くてどろどろした、おぞましいもの。

殺意すらもこもった、憎しみだった。

イーマのことが頭をよぎる。

あの、変態で心優しい王子に、迷惑はかかるだろうか?


(そんなこと、どうでもいい)


わっちの沸点は結構低い。いつもは怒り出しそうになっても、イーマの面影が頭をよぎってわっちを諫めてくれるが、今日だけはイーマも役不足だった。

わっち自身が、この怒りに身を投じたいと強く願っていたからだ。

未練がましく脳裏をよぎるイーマの影を心の外に追い出す。


(イーマ、すまぬがな)


最後に、謝罪する。


(あの男を許したら、わっちは、大切な人たちへの気持ちにうそをつくことになるんじゃ)


ごうごうと耳鳴りがするのは、猛る血潮のせいだろう。


「待ちんしゃい」


酒の魔術師のほうを向き直ってわっちが一歩歩み寄ると、周囲の目が全部わっちに集められた。

いつもならその視線に心地よさを感じるところだが、今はそうも言っていられない。怒りに身をゆだねつつも、怒りにおぼれてしまわないように全神経を使わなければいけない。感情に任せて殴りかかってはいけない。それで切り傷ぐらいはつけられるかもしれないが、こいつは切り傷が癒えて無くなるころにはまた同じことを繰り返すだろう。

とことんまでこいつを貶めて、可能な限り辱めるには冷静でいなくてはいけない。


(考えろ)


考えろ。才媛といわれたその知恵を、この男を晒し者にするためだけに搾り出せ。


「アリス、その薬で旦那が生き返ったとしても、、店がなくなっていては路頭に迷うであろうが」


とりあえず、アリスを何とかする。酒の魔術師ごとき低俗な詐欺師にだまされていたのだと知れば、アリスは癒しようも無いほどの深い傷を心に負うことになるだろうから。


「わっちも、行きつけの服飾店がなくなっては困る」


ちょっと苦笑してみせながら本心を言ってみた。服飾店は王都に沢山あるが、この服飾店だけは、特別な存在だから。

暗に、おじさんの思い出が詰まった服飾店を辞めないでほしいという思いをこめて。


「じゃから、そ奴とはわっちが話をつける。アリスは店で待っておれ」


アリスが眉をしかめる。何か言おうとするより前に、わっちが口を開いた。


「ライヒビ王国王子、イーマ・ライヒビの許婚としての、これは正式な命令じゃぞ」


あえて、いつもおじさんに言っていたのと同じ言い方をしてみた。わっちはこう言って我侭を押し通してはおじさんを困惑させていた。

周囲がどよめく。結構わっちの名乗りの効果は大きいようだ。


「それと、服屋がいきなり宿屋なんぞやったところで人が入る訳が無いじゃろう。アリスの飯の不味さはわっちが保障するぐらいじゃからな」


立ち去ろうとしたアリスの背に、そう声を投げかける。相手に聞こえるように、けれども独り言のように。

アリスなら、これだけ言えば立ち直れる。旦那の面影を、命の水などではなく共に過ごした服飾店の中に見い出して、それを頼りに生きていける。


「次は、おぬしの番じゃが」


アリスがいなくなったのを確認して、わっちは酒の魔術師のほうに向き直った。

いったん飲み込んでいた憎悪の感情をもう一度吐き出す。けれども今度は、簡単に自分を制御する事ができた。


「わっちはどうしても解せんのじゃが、ぬしは水を酒に変えるという売り文句で酒を売りさばいているのに、先ほどから見ていて主が水を持っている様子は無い。何でじゃ?」


「な、何を言うのかな?水ならほら、この桶に入っているじゃないか」


そういって後ろに詰まれた桶の山を示す詐欺師。


「ほう、それが水じゃったか。しかしわざわざここまで水を汲んでこなくても、王都には公共の水路が沢山ある。どうせならそういう水路のそばに店を構えたらよかろう」


わっちが衆人観衆の中指摘すると、詐欺師は怯んだように顔をしかめた。「確かにそれもそうだ」という囁き声が聞こえる。

・・・・・・いや、わっちに指摘されるまで本気で気づかなかったのか、こいつら。

まあいい。人を疑う事を知らない純粋な奴らなのだと思い込む事にしよう。


「それはそうと、わっちはちと喉が渇いてな。酒はいらんから後ろの水を飲ませていただきたい。案ずるな。後で飲んだ分ぐらいの水は汲んできてやるから」


「いや、そ、それは・・・・・・」


「清酒でもあるまいし、王都において水が高価なわけがあるまい」


ぴしゃりと指摘してやった。すっかりおびえきった詐欺師が「ひっ」と情けない声を上げる。

そう。

『酒の魔術師』の使っているからくりは簡単。

清酒を張った桶を用意し、水だと偽った上で布にくるんだ染色料の粉をこっそり混ぜているだけ。清酒はそもそもこの国の酒ではないから観客の中にそれと気づける人はいないだろうし、ごたごたとした町の中では酒の臭いは他の臭いにまぎれて薄くなる。

ただ、清酒の値段は高い。他国から輸入してくる費用と、詐欺がばれて投獄されるリスクを考えれば利益は薄い。人をだましていたのが事実でも、こいつがつけていた値段は清酒としては妥当なものだ。

この詐欺師が明らかに法外な値段をつけたのは今この瞬間、アリスから店を奪い取ろうとした瞬間だけだった。


(もっとも、最初からそれだけが目的だったのじゃろうがな)


奪い取った服飾店を誰かに転売し、自分はその利益を手にして闇へと消える。


「清酒は、米という穀物から作る水のように澄んだ酒じゃ。もともとからこやつは水を酒になど変えていないのじゃよ!」


傍観者どもに説明する。敗北を悟った詐欺師が逃げ出そうとするが、そのうちの一人に取り押さえられた。

ごっつい腕に拘束された詐欺師が、抵抗できない猫のようにわっちの前に連れてこられる。


「貴様の罪は片手の指では足りぬほどある。一つ。清酒を命の水と偽って売ったこと。一つ。空き地を不法占拠したこと。一つ。届出をせずに無断で店を構えた事。一つ。酒の売買に際し酒税を納めなかったこと。一つ・・・・・・」


わっちは詐欺師の罪状を一つ一つあらためる。

抑揚無く言うわっちの声に、詐欺師はだんだんとうなだれていく。

頭をたれているのは、己の罪深さを悟ったからではあるまい。


「そして、おぬしの犯した最も大きな罪は、わっちの友を貶めようとした事じゃ!」


わっちは、決め台詞を言うためにいったん言葉を区切る。


「貴様など、詐欺師の鏡じゃ!」


・・・・・・む?

なんか、ちょっと違うことを言ったような気がする。

神妙な顔でわっちの言葉を聞いていた周囲の者達が一斉に「は?」という顔をした。


「え、ええい。そ奴を警備隊に突き出せ!」


・・・・・・無理矢理押し切ることにした。


コスモス登場。一番好きなキャラです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ