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第三幕。魔女の妹、ロッキンツォン

姉の事を尊敬しているかと聞かれたら、私はしばし首をかしげた後、(はい)と答えるだろう。

姉は空気が読めない性格で、意思疎通能力が低く、誰かと話しているのを傍からみていて気を揉む事がしばしばだが、魔女なのだから仕方が無いといえばそれまでの事だし、逆に姉が普通の街娘のような調子で誰かと会話していたらそれこそ頭でも打ったのかと心配してしまう。

つまりは、姉には姉の生き方がある、ということだろう。だが、それを見習いたいかという事と尊敬しているかという事は、違う問題だ。


それはともかく、今現在私たちの館に宿泊しているイングリットという女の子は、ずいぶんと姉の興味を引いているようだ。どこが姉の琴線に触れたのか、姉はイングリットをやたらと気にかけている。具体的にどうこうと例が挙げられるわけではないが、生まれてから今までの全ての時間を姉と共有してきた私は、姉のわずかな態度の違いでそれがはっきりとわかった。


そして、姉がイングリットに興味を持った事よりもさらに驚いたのは、姉がイングリットを次世代の魔女に育て上げようとしている事だ。魔女にするということは、いろいろなしがらみを与えるという事に等しい。だから、姉がこうもあっさりと後継者を決めてしまったことは私に戸惑いをもたらした。

私には、イングリットと言う少女が魔女になれるほどの器を持ち合わせているとは思えない。魔女というのは王侯貴族とも渡り合っていかなければいけない職業だ。扱うお金の単位も、命の重みも、並みの薬師とは比べようにならないぐらい違う。それこそ一度の診察ミスが十年単位で国に被害をもたらしてしまう。

腐死病で身寄りを失った、右も左も、自分の進むべき明日もわからない少女にいきなり魔女になれといっても、プレッシャーに押しつぶされてしまうだけだろう。あの子には、ただの人間として普通の人生を送ってもらうべきだ。

私は、そんな事をつらづらと思いながら洗った食器を棚にしまっている。

家事の出来ない姉に代わって、この家を人が住むにふさわしいレベルに保つのが私の役目だ。この家は人の世と森との玄関口。塵一つ積もっていてはいけない。

石段が窪めばすぐに新しいものに取り替えて、木の床が濡れれば(しな)らないうちに拭いてしまう。そういった細かい手入れは当たり前として、勿論汚れないようにするための手間も惜しまない。土足など言語道断だ。

まあ、とはいっても姉はしょっちゅう靴を脱ぎ忘れたまま上がりこんでくるし、どちらかといえば落ち着いた性格のわたしがいくらほんわかと諭したところで姉は全く私の言う事を聞く気が無いようなのだが。


「ロッキンツォンさん!」


「靴を脱いで足を拭いてスリッパを履きなさい今すぐにといっているそばから床を泥だらけにしないでくださいそれは私に対する宣戦布告と受け取りますよっ!!」


私がほんわかと諭すと、イングリットは一瞬呆気に取られた後、あわてて靴を脱いだ。

なぜ呆気にとられたのだろう?

不思議だ。


「それで、どうしたのですか?そんなに顔を引きつらせて・・・・・・それでは一見かわいい顔も台無しですよ」


イングリットと視線を合わせるために、少しだけ私は前かがみになって尋ねた。


「魔女さんが、弓で撃たれて、それで木が防いで、それで・・・・・・」


慌てて、両手をばたばたと振りつつ途切れ途切れの単語をつむぐイングリットをとりあえず落ち着かせようと、私はしまいかけていたコップに水を注ぎイングリットに手渡す。


「イングリット。深呼吸をしましょう。吸って、吐いて、吸って、吐いて・・・・・・」


すぅーっ。

はぁーっ。

すぅーっ。

はぁーっ。

すぅーっ。

はぁーっ。

すぅーっ。

はぁーっ。

すぅーっ。

はぁーっ。

すぅーっ。


「・・・・・・イングリット、落ち着いたなら深呼吸を止めてもかまわないんですよ。そんなに必死に深呼吸してたら、深呼吸の意味がありませんから」


この子、素直というかいい子というか・・・・・・

私がやめろというまで深呼吸をずっと続けるつもりだったようだ。

ぴた。とイングリットが深呼吸を止めて、それと同時に体の動き求める。


「・・・・・・」


「・・・・・・・・・・・・」


沈黙。

やがてイングリットが声を放った。


「むご。むごごごご」


「・・・・・・イングリット、深呼吸というのは息を吐いたところで止めるものです。息を吸ったところで止めてしまったら、苦しいでしょう」


優しく、諭すように言う。

イングリットがいい子過ぎて、私の趣味にストライクゾーンなのは大歓迎なのだけれど、こんな性格をしていては将来他人にカモられるのは目に見えている。

ぷは。とイングリットが息を吐いた。


「要するに、貴方と魔女が森を散策している途中、何者かによって魔女が襲撃を受けた。矢による攻撃は魔女を守ろうとした森の倒木によって防がれたものの、何がどうなっているのかわからない。おまけに魔女は貴方だけ先に館に戻るように指示した。そうですね?」


イングリットが目を丸くする。

あれだけ切れ切れとした単語では何を言っているのか伝わらないと、イングリット自身自覚してはいたのだろう。


「別に驚くことでもありませんよ。ただ単に、そういう愚かなことをするような方に心当たりがあるだけのことです。安心してください。いつもの事ですし、彼だって本気で魔女を狙っているわけではありませんよ」


「で、でもっ、魔女さんはあたしだけ逃がしたしっ!」


「別の意味でアブナイ方なのですよ。名目上はこの国の第三王子ってことになっていますが、城にいるよりも市井の繁華街にいる事のほうが多いお方でね、ちゃんとその才能を正しい方向に使えば優秀な方なのですが、忌憚無く才能を発揮するのは己の趣味と道楽のためだけという、ちょっと困った方なのですよ」


そういって苦笑すると、イングリットは愕然としていた。一体何に驚いたのだろうか?

私は自分の言動を振り返った。


「ひょっとして、王族だというのがそんなに驚きでしたか?この国の王族など、他国に比べたらたいしたことがありませんよ。水国の国王や砂国の皇室などは指一つ動かすだけで百人の人間の命を左右できるほどです。それと比べれば、どれだけこの国の王族が庶民的な生活を送っているかがわかるでしょう?」


「いや、分かんないから!王子様の日常生活とか知らないし!」


ああ、そういわれればそうだ。

魔女の関係者という立場上、どうしてもイングリットとは違う視野になってしまう。イングリットからすれば、王子の日常生活について当たり前のように話されても、ただ当惑する事しかできないだろう。

この子がもし、本当に魔女になりたいというのなら、こういうことも知っていかなければいけないのだが。

いずれにしろ、当面のところはこの子には関係の無い話だ。


「要するに、この国の王子様は、貴方が思っているよりもずっと気さくな方だというだけの話ですよ」


これで、この話はおしまい。

再び皿をしまいながら、私は次の話題を持ち出す。


「イングリット、貴方、料理はどの程度出来ますか?」


「え?あ、お粥とか、おひたしとか、野菜スープとか、ポテトサラダとかなら作れます。あと、簡単なお菓子とかも」


「なぜ作れる料理といって一番最初にお粥が出てくるのでしょうか・・・・・・ああ、そういえば貴方の育った家は個人病院を経営していたのでしたね。ということは病院食ということですか」


「何で知ってるの!」


イングリット、啞然。


「貴方が寝言で、自分の育った環境とか、この館に来る事になった理由とかについて物語のように滔々と語っていましたから」


イングリットのまん丸な眼が、さらに大きく見開かれた。あの語り口調からして寝たまま物語をつむぐのは初めてではないと思うのだが、どうやら本当に気がついていなかったらしい。


「まあ、それはいいとして、ケーキをつくたことは?」


イングリットの眼がいきなりきらっと輝く。そしてきらきらと・・・・・・というよりかむしろギラギラとした目をしたまま、ぐいっと私に詰め寄る。


「ケーキを作るの?ひょっとしてチョコレートケーキ?!」


私が一歩退がる。

そんな私を物凄い形相で見上げるイングリット。どうやらケーキの事になると目の色を変える性格らしい。

なんだかイングリットの意外な一面を知ってしまった気がした。


「ええ。本来は貴方と姉が帰ってくる前に作ってしまう予定だったのですが、予定などずれて当たり前のものですし、貴方と一緒にケーキを作るというのも、楽しいかもしれません」


満面の笑みを浮かべたイングリット。果たしてイングリットは、ケーキを作るのが好きなのか、食べるのが好きなのかはわからないけれど、作って食べるのだからどちらでも変わらないだろうと思い、私もイングリットににっこりと笑いかける。


「一緒にチョコレートケーキを焼きましょう」


 ※ ※ ※


そのとき、だった。

館の門が勢いよく開かれると同時に、どやどやという、閑寂な魔女の館にはふさわしくないほどの数の足音が聞こえた。

一瞬、私もイングリットも何が起きたのかわからず、呆然と門のほうを眺めて―――  

その足音が一体何を意味するのかに気がついたときには、既に手遅れだった。

館の中にまでその足音が進入してきて、やがて銀色の鎧を纏った兵士達の姿が見えた。


「いけない!イングリット。隠れなさい!!」


私がそう叫んで、一瞬呆気に取られたイングリットが慌てて奥の部屋に入り込むよりも、


「その娘を捕らえなさい!」


という胸のむかむかするような声にしたがって一人の兵士がイングリットを抱え上げるほうが一瞬早かった。

兵士の手から逃れようと手足をばたばたとさせるイングリットだが、大の男とイングリットでは体格が全く違う。結局イングリットの口がふさがれ、より一層強く拘束されただけで、無駄な抵抗でしかなかった。


「やれやれ、本来は王子殿下を連れ戻すためにきたのですが」


私は声の主を睨みつけるが、所詮は私も子供。そいつは何事も無いように私の視線を跳ね返してくる。


「思わぬ大捕り物、というわけですか、宰相閣下?」


私の声に、宰相は普段から鋭い目をさらに細める。

長い銀髪は背中の後ろまで伸び、まるで針金細工のようにひょろ長いからだ。眼鏡という高級品を身につけたその男に対して、今の私はあまりにも無力だ。


(お姉ちゃんがいれば、どうとでもなったのに)


そういう思いが頭をよぎる。


「あの一瞬でイングリットの顔の上に浮かんだわずかな黒いシミを見つけてしかもそれが忌諱すべき腐死病の証だと気がついたのはさすがですね、宰相閣下」


イングリットが目を見開き、抵抗を止める。

彼女は自分が腐死病にかかっていると知らなかったのだから、それは当然の事だ。


「それだけが、私のとりえですからね」


返事をするのも面倒だというようにそっけなく答える宰相。姉がいないときの私など、彼からすれば取るに足らない存在なのだろう。

このままではイングリットは殺されてしまう。宰相にとって、腐死病が駆除で来るのなら一人の少女の命など安いものなのだ。

でもまさか宰相も今この場でイングリットを殺すようなことはしないだろう。ここは魔女のお膝元ともいえる館の中。魔女を敵に回すのが下策だということぐらいは宰相にもわかるはず。だが、それは逆に言えば、ここで私が身を引けばイングリットの死は確定するという事。それだけはなんとしても避けなければいけない。イングリットにはそれがわからないだろうから、イングリットのために何かが出来るのは、ここでは私だけだ。

姉がこの場にいないからこそわたしの発言力が弱いというのであれば、姉が帰ってくるまで時間稼ぎをすればいい。

しかし、それは不可能に近い。

宰相が王子を迎えに来るということは、あの変態王子はまたもお付の人を放り出して一人でふらふらとここまでやってきたのだろう。

姉のような不器用な人が王子ほど雄弁な方をそう簡単にあしらえるはずがないから、薬草を摘みながら帰ってくるとして、下手をすれば日没だ。悠長に待っている時間は無い。

私は、ハタと顔を上げた。

何のことは無い。宰相がイングリットを殺せないような状況を作り上げればいいだけのことだ。腐死病に潜伏期間があることは一般にほとんど知られていないはず。判断力と決断力の高さを買われて今の地位についた宰相は、そういう知識分野に限れば普通の人と大して変わりがない。


「その子供、イタカの村からやってきたのですよ」


急に話題が飛んだことに、宰相は警戒の色を見せる。


「戸籍を確かめていただければわかると思いますが、その子供イングリットという名前でして、イタカの村からここまで一人で旅してきたそうです。賢明な宰相閣下ならその意味がお分かりになるでしょう?」


宰相と兵士達の顔が驚きにゆがむ。

イングリットほどの歳の子供の足でイタカからここまで歩いてくるのだとしたら、それだけで二週間はかかるだろう。一般に知られている腐死病の症状では、そんなに長い間生き延びることは不可能だ。


「姉はどうか知りませんが、われわれはその子供がひょっとしたら腐死病に対する免疫を持っているのではないかと思っています」


「・・・・・・その子供を拘束して馬車に載せなさい。王都まで連れて行きます」


判断力だけがとりえの宰相は、とりあえずは私たちにとって都合のいい判断をして、館を出て行った。どやどやと、銀色の兵士達も続く。

ぷつん。と、緊張の糸が途切れ、私はぺちゃりと床に座り込んだ。

これで何とか時間稼ぎが出来た。後は姉が帰ってくるのを待って狼で追いかけてもらえばいい。人の足と狼の足だったら狼のほうがはるかに速いから、あっという間に追いついてイングリットを取り返す事ができるだろう。

私に出来るのは、姉を待つ事だけだ。手持ち無沙汰になってしまったが、ケーキを焼くのは後回しだ。

一緒にケーキを焼こう。

そう、イングリットと約束したから。


次の更新は7/10です。


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