第一章。まだ、少女イングリット
「つまり、イングリットの村の人がみんな腐死病にかかったのになぜかあなただけ難を逃れて、その上薬を依頼しに行くという名目で村を追い出された、というわけね」
一日廻って翌朝である。
あのあと、結局あたしは意識を保ちきれずに眠ってしまったらしい。
一体その間にどういうことがあったのかは知らないが、気がついたらあたしはふかふかのベッドで寝かされていた。雨と泥でぐちゃぐちゃだったせいか、あたしはいつの間にか魔女やロッキンツォンさんとおそろいのやや質素な白い服に着替えさせられていた。空腹でおなかを高らかに鳴らしながら目を覚ますというなんとも恥ずかしい起き方をしてしまったあたしは、なぜか床に並んだ大量の皿を片付けている魔女と眼があった。
さすがに魔女といわれるだけのことがある。
あたしが話をするまでもなく、どこからかあたしの村の情報を仕入れてきたらしい。
素直に感心したいものだが、えっちらおっちら皿を片付けているその姿ははっきり言って間抜けだった。
あたしは大量に皿が並んでいる理由について、一つ仮説を立ててみる。
「この部屋、そんなに雨漏りがひどいの?」
「え?そんなことないけど。・・・・・ああ、このお皿ね。これは餌」
「餌?」
「そうよ。ほら、アサさん、覚えてる?」
アサ?
・・・・・・ああ、昨日あたしを食べようとした小動物か。
あたしはこう見えて自分の嫌な事はすぐ忘れられる性格だから、もう少しで忘れるとこだった。
「あの子の餌よ」
「ええええええーっ。どう考えても体積分以上食べてるじゃん!?一体どういう胃袋してるのよ!」
「あの子、大喰らいの上にグルメだからね。当然、あたしやロッキンツォンよりもいいもの食べてるし、ずぼらなくせに食事の時間にだけは厳しいし」
「だからってありえないわよこの量はっ。二十皿以上あるじゃない!見てるだけで気分が悪くなってくるわ!」
「まあ多少食費がかさむのは―――ああ、言い忘れたけど、起きたばかりであまり大声を張り上げないほうがいいわ。一時酸欠状態になって気が遠くなるから」
そういうことは先に言ってほしい。あたしはすぅーっと意識が遠くなりそうになったところを根性で何とかこらえて、両頬をぱちぱちとたたいた。このあたしがこんなに簡単に気絶しかかるということは、やっぱり雨で打たれたせいで体力をかなり削られているみたいだ。
「それで、どうするの?」
唐突に魔女が話題を変えて、あたしは一瞬何の事かわからずに混乱する。
「腐死病に利く薬、私に依頼するの?それとも依頼しないの?」
「あ・・・・・・」
どう、しようか。
そのために、ここまできたんだ。
けど、もう、薬を必要としている人達はいない。
「薬は・・・・・」
あたしは、返答に窮した。即座にいらないとは答えられなかった。頭では無駄だとわかっていても薬を作って欲しいと思っている自分がいる事に違和感を覚えた。そのまま、ずいぶん長い事逡巡した。皿を片付け終わった魔女はその間一言も発せず、ただじっとあたしの顔を見つめていた。
やがて導き出された結論。
「あたしは、あたしの目的を果たすまでよ」
確かにあたしは村の人たちに裏切られた。けれどもそれによってあたしは助けられて、生き延びる事ができた。だから、たとえ無意味な事だとわかっていても今度はあたしが村の人たちを助けるために努力しよう。それが、彼らの弔いになるだろうと信じて。
村を出るときにはかばん一杯に詰まっていた銅貨も、途中で親切な旅人に銀貨四十枚と交換してもらい、その後立ち寄った商館で金貨十枚と交換してもらった。商館での両替では多少手数料を取られていたとしても、あたし自身はこの旅程で一切そのお金には手をつけていない。秋の森には果実や水が豊富だったし、雨が降ったりしなければ森の中で野宿するのも悪くなかった。何度か、空腹や寒さにまけかかったこともあったけれど、これは自分のお金じゃないと言い聞かせて我慢した。
いくら森の魔女の薬とはいえ、それだけのお金があれば村の人全員分の薬代を払うぐらいたやすいことのはずだ。
だが、あたしが金貨を魔女に渡すと、魔女は一瞬変な顔をした。
「ねえ、イングリット。確か元は銅貨三千枚だったわよね」
「三千百三十二枚よ。何度も数えたから、間違いないわ」
「・・・・・・そう・・・・・・・・・」
何を思ったのか、魔女は手元の金貨をもてあそびながら黙りこくってしまった。
「ひょっとしてあたし、両替したときにお金くすねられてる?」
ふと沸いた懸念。
だが、魔女は否定した。
「銀貨に換えてもらうときとか、金貨に換えてもらうときとか、相手の人に事情を話したりした?」
「ん?そりゃまあ、いくら平和な世の中とはいえこんな小さな女の子が一人で旅をするなんてそうそうないことだから、興味本位から聞かれたりはしたよ。腐死病って言うとそれだけで差別されたりするからそこらへんは適当にぼやかしたりはしたけどさ。故郷で疫病がはやってあたし以外みんな大変な状況だから、薬を買いに行くんだって感じに」
「そう。だからかしらね」
「何が?」
「銀貨って。銅貨何枚分の価値だか知ってる?」
また唐突に話題が変わった。
あたしは元の銅貨の枚数と銀貨になったときの枚数から、ざっと暗算する。
「八十枚ぐらい?」
「はずれ。銅貨百枚で銀貨一枚分よ」
そういって、魔女は金貨を一枚、指の間に挟むように掲げる。
「そして銀貨五枚が金貨一枚分の価値と等しいわ。もっとも、金貨って価値が高すぎで逆に使いにくいから、大抵銀貨を金貨に両替する人はいないんだけどね」
「それじゃあ・・・・・・」
「金貨十枚という事は、銅貨五千枚分もの大金よ。あなたの身の上に同情した人たちがこっそり寄付してくれたおかげで、額が膨れ上がったのね」
そういって、魔女は優しく笑った。
世の中には、いい人がいる。
それは村の人たちだったり、旅人だったり、商館の館長だったり、森の魔女だったりする。
あたしは、そういう人たちに支えられているから生きている。
それはひょっとしたら、とてもすばらしい事なのかもしれない。
感動に打ちひしがれるあたしをちょっと見た後、魔女は、不意に表情を暗くした。
「依頼は、確かに受理したわ。・・・・・・でもね、これじゃあ駄目なのよ」
「え・・・・・・駄目?駄目ってどういうこと?」
「腐死病に利く薬草は蒼人参と言う植物の実から作られるの。でもその実は春にしか取れない上に、その植物の特性から群生する事がなくて、さらに言うと生薬でないと薬効は著しく低くなるのよ。今はもう晩秋だから、薬を作ろうにも最低でもあと百日は待たなければいけないわ」
「・・・・・・そんな・・・・・・・・・」
「もちろん、今現在保存している分がないわけではないわ。一度この実から作った薬草を北の氷国に運んで氷漬けにして、それから再輸入したものならまだ少しなら残っている。でもね、そちらは絶対量が少ないうえに移送費用と保管費用が馬鹿にならないからね。金貨十枚じゃあ一人分も買えないのよ」
「・・・・・・・・・・・・」
魔女の言う事は正論だった。
ただ薬を作れないといわれただけなら駄々をこねていただろうわたしのために、薬がどうして高いのか、その理由までも理路整然と説明してくれた。
確かに金貨十枚は大金だ。あたし一人ぐらいなら一年は遊んで暮らせる。でも、魔女の薬はあたしが普段眼にしている薬とは額が違う。森の魔女は、王様や、国の偉い人たちが買いに来る様な格の違う薬師だ。
「金貨十枚で、どのくらい買えるんですか」
でも、あたしも引き下がるわけには行かなかった。
正直、魔女は優しそうだから、頼み込めば少しは譲ってくれるんじゃないかという甘えがあった。お金持ち相手の商売ばかりしている魔女だから、少しぐらいただで薬をくれても懐は痛まないだろうという打算もあった。
魔女は、冷ややかな目であたしを見た。
親しみのこもっていない、見下した視線だった。
「金貨十枚分あなたに譲って、その薬であなたは何をするの?誰かを助けられるの?」
「た、助けるって・・・・・・あたしはただ、村の人たちを・・・・・・・・・」
「もう、死んじゃってるのに?」
かっとあたしの頭に血が上る。それは分かっていても言われたくない事だった。
怒鳴り散らそうと口を開きかけたあたしを制するように、魔女が言う。
「あなたのエゴのせいで、私のところまで充分なお金を持ってきたのに薬を買えずに死ぬ人がいるとしたらどうするの?」
ずん。と胸が重くなった。
金貨十枚でも一人分も買えないほど貴重な薬。
あたしがここで薬を買ったら、その代わりにあたしの知らない誰かが死ぬかもしれない。それで村の人が一人でも救えるならいい。一人救って、一人見捨てる。それなら大切な人のために見ず知らずの人を犠牲にしてもいいだろう。
あたしはただ、自己満足のために薬が欲しいだけだ。
自分は村の人のために頑張ったという、全力を尽くしたという免罪符が欲しいだけだ。
そうでもしなければ、村の人たちを見捨てたあたしはあたし自身を許す事ができないから。
(金貨十枚もあるなら、それで生まれ変わればいいじゃないか)
あたしの中で誰かがささやく。
(それだけのお金があれば、子供でもかくまってくれるやつがたくさんいる。ここでごみにしかならない薬を買って文無しになるよりもそっちのほうがずっと村の人たちへの恩返しになるんじゃないのか?)
薬を買って、誰かが死ぬなら。
―――あたし自身が幸せになったほうが、村の人たちも嬉しいだろう。
考えれば考えるほど、薬を買わない方向に意志が傾いていく。
誰かのために薬を買わないという、新しい免罪符を手に入れたあたしは、急に目の前の金貨が惜しくなった。
そもそも、村の人たちはあたしのためにこのお金を用意してくれたんだろう。保護してくれる人たちがいなくなっても、わたしが食べるのに困らないようにお金を残してくれた。それがわかっていたからこそ、あたしは意地でもそのお金には手をつけなかったし、他人のお金だと言い聞かせてきた。
プライドが許さなかったのだろう。
所詮、自分を支えていたのはそんなくだらないものだったんだ。
「魔女さん」
しばらくぶりに、あたしは魔女としっかり目を合わせた。
そして、魔女の手の中に在るきらきら光るお金に視線を落とす。
「そのお金の分、次にお金が足りなくて薬が買えない人が来たときに、薬を譲ってあげてください」
・・・・・・あれ?
・・・・・・・・・・・・あれれ?
今あたし、なんか間違ったこといわなかった?
思考と発言がかみ合わずに一瞬きょとん。
それからあたしは小首をかしげた。
魔女が笑って、あたしの頭を撫でてくれた。
「そうね。あなたなら、そういう答えを出すかもしれないわね」
うんうんと頷く魔女。
いや、だからあたし、言い間違えただけなんだって!!
この話はもうおしまいというように、魔女がまた話題を変える。
「何日か、この館で休んでいきなさい。家事を手伝う事を条件に食費とかはこちらで面倒を見てあげるから」
「・・・・・・はあ」
もはや自分で勝手に結論を出してしまっている魔女に、あたしは仕方なく頷いた。
※ ※ ※
数日後。
まだ体が弱っていて固形物の消化を受け付けないらしいあたしの胃袋のために木の母乳を混ぜた栄養ドリンクを飲んで、それから例の苦っがい薬も飲んで、あたしは漸くベッドから降りる許可を得た。許可とはいっても制限付で、魔女かロッキンツォンさんと一緒じゃなければ外に出たらいけなかったり走り回ったりしたらいけなかったり、まるで重病人に対する扱いであたしはちょっと体力をもてあまし気味。
そんなあたしの様子に気がついたのか、昼食のあとで魔女が森の散策に誘ってくれた。
「散策というより、捜索ね」
「え?誰かを探しに行くの?」
「そんなところ。マサさんって言うんだけどね、アサさんと同じ猫って言う動物で、盗癖がある上に方向音痴なのよ。マサさんが遭難してしばらく帰ってこないのはいつもの事なんだけどそろそろ冬も近いからね。薬草を採集するついでに家に連れて帰ろうと思ってね」
「猫?それってあの絶滅危惧種に指定されている猫の事!?」
あたしは驚いて目を見開いた。
あたしの記憶が正しければ、歳経た猫はやがて人を食べるようになるという噂から何十年かまえに乱獲が行われたはずだ。その結果今では百匹も残っていないといわれ、半ば伝説の存在と化している。
でもあの愛らしい姿からは到底人を食うような印象は・・・・
あ、そういえば出会いがしらに食べられかかったな。
それにあの猫、普段から二十皿完食するぐらい大食らいだし。
「アサさんの大食らいは別に猫全般に共通する特徴じゃないわ」
まるで心を読んだかのように魔女が言った。
「それに、家の猫は二匹とも変わってるのよ。本来猫は方向感覚がよくって、半日ぐらいの絶食で飢え死にしかかったりはしないんだけどね」
半日食べないでもう飢え死にかい!
そりゃあ変わってるよ!?
「もっとも、私だってアサさんとマサさん以外の猫にはあった事がないから猫の特長なんていうのもいい加減なものなんだけどね・・・・・・あら?」
ふと、そこで魔女が顔を上げた。
あたしもその視線を追うと、なぜかエプロンをつけてハタキを持ったロッキンツォンさんがいた。
「わざわざ見送りに出てきてくれたの?珍しいわね」と、魔女。
ロッキンツォンさんは魔女のほうを向いてちょっと呆れたような表情をすると、あたしのほうを向いていった。
「イングリットさん。くれぐれも体調にはお気をつけて。体に痺れを感じたり、指先が急に冷たくなったりしたらすぐ森の魔女に言うんですよ」
・・・・・・ん?
ずいぶん症状が細かいな。
体調が悪くなったらすぐ言えって言うならわかるけど、どうして体が痺れたり指先が冷たくなるってことが前提なんだろう?
あたしは疑問に思って後ろを振り返ったが、もうロッキンツォンさんはいない。わたしとほんの何歳かしか離れていないのに、一人前の働き手としてこの館の事を切り盛りしているのだ。その事にあたしは少し敬意を払いたい。
「あの子ったら、それだけのことを言うためにわざわざ顔を出したのかしら?私がついているんだから患者の体調悪化に気づかないなんてことはないのにね」
あたしと魔女は、顔を見合わせて笑った。
※ ※ ※
改めて魔女と一緒に森の中を歩いてみると、まるで整備された道があるときのように簡単に移動できる事に気がつく。魔女以外ほとんど誰も入らない森なのだから未開地といっても語弊はないようなところなのに、平らな道を歩くのと大して変わらない速度で移動できるのは、きっと魔女と一緒にいるからだ。そのため、あっという間に魔女の館が見えなくなってしまった。
時刻はそろそろ三時過ぎのはずだが、森の中にいる限り、時刻はほとんど関係ない。木々はうっそうと茂り陽光をさえぎり、立ち込める蒸気が熱気を帯びてむしむしとしている。森国といってもここまで植物に侵食されている場所というのも珍しい。なれない環境に、あたしは少し居心地の悪さを感じて身じろぎした。
「どうしたの?眠いの?それともお腹が空いたの?」
あたしの動きに反応して即座に魔女が尋ねてくる。
・・・・・・てか、まるであたしが食べる事と寝る事しか考えてない単細胞生物みたいな言い方は止めてほしい。
ここ何日か一緒に過ごしたんだから、いくら他人とはいえ魔女もあたしの生活パターンぐらい知っているだろうに・・・・・
朝起きて、ベッドに寝っころがったまま薬を飲んでご飯を食べて昼寝して、昼食の後に居眠りをして夕飯を食べて就寝・・・・・・・・・
・・・・・・あれれ?
あたしはがくっと肩を落とした。
本当に食べて寝るだけしかやっていない。
一応、ベッドから出る事を魔女から禁止されていたと言い訳できなくもないけど、それにしたって意気地がしゅんと萎えてしまう。
「ま、まあ、果物ならいくらでも食べ放題よ。ほら」
意気消沈したあたしに、何を勘違いしたのか魔女があわてて手を差し出す。
すると、まるで示し合わせたかのように上の木々から林檎が一個、魔女の手の上に落ちてくる。
嗚呼。
やっぱり、魔女っていいな。
わざわざ木に登ってくだものを採ってこなくても、魔女が望むだけで森がいくらでも果物を分けてくれるんだもの。
あたしは魔女から受け取った林檎をかじりつつ、遠い目になった。
森の魔女といえば、誰もがなりたがる憧れの職業だというけど、それも確かに頷ける。おいしい果物は、誰にとってもあがないがたい魅力だ。
「・・・・・・普通、魔女になろうという人は林檎ではなくて権力に魅力を感じているのよ」
魔女があきれつつも訂正を入れる。
・・・・・・心読まれた!?
「森の魔女ほどの薬師になれば当然注文に来る顧客も選ばれた人たちになるわ。魔女は大臣とか宰相とか国王とのつながりも強いし、他の国にもコネがある。だから大抵森の魔女になりたい人って言うのは権力は欲しいけれども努力をするのが嫌いな無責任な人たちね」
もっとも、今の時代努力をしたり苦労をしたりしてまで権力を得たいと思う人は少なくなってしまったけどね。と、魔女が、森の魔女について説明してくれた。
「魔女さんも、権力が欲しかったから魔女になったの?」
「んん?私は違うわよ。ただ単に先代の魔女に憧れたってだけのこと。・・・・・・あと、成り行きかな?」
「成り行き?」
「ええ。昔私が住んでいた町でも、腐死病が流行してね。私も両親を亡くしちゃって、まだ赤ん坊だったロッキンツォンを育てるために先代の魔女のところに身を寄せたのよ。・・・・・・ああ、今思えばあれが全ての始まりだったわ」
なぜか遠い目をする魔女。
いろいろ思うところがあるらしい。
「じゃあ、あたしと同じような境遇だったってこと?」
「ええ。見方によってはそうなるわね。もっとも、数年に一回は腐死病で滅びる村や街があるんだから、私やあなたと同じような境遇の人なんて沢山いるでしょうけどね。ただ、まさか自分の村で腐死病が蔓延するとは思わなかったけれど」
「・・・・・・それも、そだね」
あたしは大きく目を瞠り、ややあってうつむいた。
村の、ロコさんの声が頭に響く。
イングリットが頑張れば―――
たいていの人にとって、腐死病は自分とは関係のない事なのだ。でも、当事者たちにとっては運が悪いという言葉では済まされない。いくら魔女が腐死病を治せる薬を作れるからといって、魔女は大陸中でたった一人しかいないんだし、どんなに魔女が頑張っても作れる薬の量には限界がある。それに、魔女の言葉が正しければ腐死病の薬草自体稀少なものらしい。
誰かが頑張ったところで、救える命の数なんて高が知れている。
・・・・・・うん、わかっているつもりだ。精一杯頑張っても、どんなに手を伸ばしても、指と指の間から零れ落ちていってしまう命があるのは避けられない。それは魔女のせいでも他の誰のせいでもない。
でも、それを仕方がないとしてしまうのは、違うと思う。精一杯頑張っても助けられなかった命だって、何とか助ける事ができた命だって、どちらもかけがえのないものであったのには変わりがないんだから。
「ごめんなさいね」
ふいに魔女が言った。
イタカの村の人たちを助ける事ができなくて、ごめんなさいと。
魔女は、そういう人だ。
自分の力の及ぶ限界まで頑張って、それでも助けられなかった命に対し、ごめんなさいと涙を流せる人だ。
その優しさは、ロッキンツォンさんに通じる。きっと、先代の魔女もそういう優しい人だったんだろう。
「魔女さんは、悪くないよ」
まだ何かを言おうとする魔女を制して、あたしは言った。
「あはは。なんかさ、魔女さんって言ってもあれだよね、普通の人と変わらないような気がする。村にいたときにはあたし、魔女って言うと森の奥で隠棲生活を送ってる悟りきった人みたいなイメージがあったのに、目からウロコだよ」
「魔女について今流れている噂のほとんどは、先代の魔女のものなのよ。魔女の容姿って言うと腰の曲がったしわくちゃ顔のおばさんみたいな感じがするでしょう?それは明らかに先代の特徴だし、薬を作るときにサンバを踊るって言うのも先代の魔女が編み出した技法なの」
「ちょっと待って!その噂は聞いた事がないわ!?しわくちゃのおばあさんがサンバを踊りながら薬を作るの?それってある意味・・・・・・」
想像開始。
想像終了。
「・・・・・・絶対見たくない光景だわ」
むしろそんなファンシーなばあさんが森の魔女なんてやってたから、魔女に『近寄りがたい』みたいな印象があるんではないでしょうか。
「知りたくなかった魔女の実態、というより噂のまんまの怖そうなおばあさんのほうがまだよかったわ・・・・・・」
弱弱しく頷くあたし。
気がつくと口元に手を当てた魔女がぶるぶると震えている。
笑ってる!?
「ちょっと!何でそこで笑うのよ!?魔女って言うと結構憧れの存在だったのよ!あたしの夢を返してよ!!」
「まあ、あなたの夢が壊れてしまったのは残念に思うわ。でもそれを私に当たるのはお門違いじゃないかしら。誰かに責任を取らせないと気がすまないなんて・・・・・・そんなの、ただの横暴よ」
魔女の言っている事は正論だった。
でも納得は出来ない。
正論は必ず人を傷つける。
ここで引いたらイングリットの名が廃る!
「じゃあ魔女さんは一度も誰かに文句を言ったことはないって言うの!!」
「ないわね」
即答!?
てか、嘘でしょ!
「魔女さん!」
あたしは断固とした抗議の意味をこめて、魔女の前に立ちふさがった。
一体何事かといった感じで、魔女が目を丸くする。
その魔女に向かって、あたしは大きく息を吸った。
普段なら、いくらあたしが抗議したところで、魔女に軽く言いこめられて終わるところだ。けれど、今回は例外だった。
突然、あたしたちのすぐ横の木が倒れなければ。
ぎいいいいっ、ばたんっ!
そんな、立て付けの悪いドアみたいな感じで腐った巨木が倒れ、一瞬、誰もが硬直した。・・・・・いや、あたしと魔女の二人だけだけどさ。
「あ、あっぶな~。なによこの木、もう少しで怪我するところだったわ」
「一応、謝罪しておくわ。森の管理人たる魔女として」
森の魔女が淡々と言って倒木に近づく。
「ああ。やっぱり」
やがて魔女は言った。
「やっぱりって何?その木が何か変なの?」
「イングリット。とりあえずあなたは館に帰りなさい」
「へ?」
唐突に言う魔女に、あたしの頭には「?」が浮かんだ。
「森林散策は中止よ。薬草もまだ全然採れてないけど、そっちの予定も後回しね。ほら、見てみなさい」
森の魔女に促されるままに、倒木に近づいたあたしは、
「な、なによこれ!?」
倒木に深々と突き刺さった矢を発見した。矢は真っ直ぐに、魔女のいた場所に向いている。朽木がたまたま倒れたから、その矢が防がれたのだ。
「ま、魔女を殺そうなんて考える人がいるの―――!」
「安心しなさい。彼が自分の登場シーンを派手なものにしようとして悪質ないたずらをするのはいつもの事だから」
「彼って・・・・・・もう少しで魔女さん、死んでたんですよ!!」
そういって、ハタと気づく。
魔女がこんな事で死ぬわけがない。森にいる限り、全てが魔女の味方だ。
「森が傷つくからやめてくれとはいつも言ってるんだけど、聞く気はまったく無いようなのよね。害意は無いんだろうけど・・・・・と、言うわけだから、イングリット」
魔女は、ぐるりと辺りを見回しながら言った。
「あなたがここにいると無駄に話がこじれそうだから、先に館に帰っていなさい」
「でも、帰り道わからないし!」
「案内をつけるわ」
魔女がそういうと、どこからとも無く狼の群れが現れる。総勢数百匹、これが魔女の言う「案内」なのだろう。
案内なら一匹でいいだろうとか律儀に心の中で突っ込みを入れながら、あたしはとりあえず狼の群れについていく事にした。
なぜ、あたしがいると話がこじれるのか、その理由には気づかずに。