第十一幕。再び、コスモス
ライヒビ王国が誇る国家書庫内。
「ニミカカ山脈中腹にあったカニミ村、ジェマ村、政令都市ナグタール。コミュギ峠にあったビーマ村。死火山レノハ山のカルデラ内にあったマルク村。マニラ山カルデラ湖のほとりにあった漁業都市セメティレウス。シマ山にあった隠れ里ミルガン。リサ高原にあったケマ街、ノレマーヌ自治区。避暑地ロマヌ山、ベンド山にあり、今でも細々と生存者が暮らすプライベール町。裸山の上に作られたチチコマ村。歴史上最も多くの人が死んだとされるシミレム台地のサルメール男爵領、そして、イタカ山にあったイタカ村」
イーマが、わっちが調べた資料と地図を照らし合わせていく。ライヒビも地盤変化や火山の隆起などによって百年単位で考えると相当地形も変わっているが、それらを考慮に入れて改めて検証してみると、一つの事実が浮かび上がってくる。
「腐死病が蔓延しているのは、標高の高いところにある村や町ばかりだ」
統計学的に考えて、絶対にありえない確率だ。
本当に、どうしてこんな事に今まで気がつかなかったのだろうと思うが、何十枚もの地図を一つ一つ年代記と照らし合わせなければいけない作業は骨だった。
「つまり、ベッタラ・・・・・・じゃのうて、ええと」
「ベッタラであっている。蒼人参と言うのが一応は正式な名前になっていると言うだけだ」
「蒼人参の実る春まで待たなくても、ただ単に標高の低いところに逃げ込めばいいということじゃな」
わっちは得意満面といった顔をする。イーマがエライエライといってわっちの頭を撫でてくれた。ちょっと悔しそうな顔をしているのは、わっちの方が先に腐死病への対抗法を見つけ出したからだろう。わっちは機嫌のいい猫のようにぐいぐいと頭をイーマに押し付けた。
「だか・・・・・・さて、どうしたものかな」
急に思慮深い顔になるイーマ。その顔は精悍で、わっちは一瞬見とれてしまった。
「何か問題があるのじゃな?」
「ある。国中の人間に腐死病の事を通達して、混乱を一切きたさないようにこの対策について教え、国民が避難するための施設と食料と水を確保し、老人や子供が逃げ遅れて腐死病にかからないようにヘルパーとして城から兵士達を派遣するとしよう。どのくらいの期間が必要だと思う?」
「・・・・・・一年?」
「そのくらいか、下手をするともっとかかる。腐死病が蔓延するまでに三日。その後で死に至るまでに最長でも一週間。苦しい判断だが、少しでも多くの生命を救うためにはここから遠く離れた片田舎の村は犠牲にするしか・・・・・・無いだろう。それでも救えるのはせいぜい、三千人―――」
三千人。
国の人口の十分の一にも遠く及ばない。
彼は、三千人を救ってそれで自己満足できる程強くない。下手に頭がいいせいで、考えてもしょうがないような事にまで想像をめぐらしてしまう。
救えた命よりも、救えなかった命のほうが重い。
「・・・・・・・・・・・・」
イーマは、ぎりと歯を噛み締めて手に持った地図を握り締めた。
その目は虚空を眺めていたが、思考を放棄しているようではなさそうだ。むしろ、一人でも多くの人間を助けるために全力で打開策を考えているようだ。
「所詮、あなたの思考能力じゃあ人の限界は超えられないという事ね」
声に驚いて振り向くと、書庫の入り口に魔女がいた。
身にまとう白い服は素朴ながらも神々しく輝いていて、堂々と仁王立ちする姿はまるで窮地に現れる英雄のようだった。
「魔女殿、か。ここは王族の人間しか入れないはずだが、どうやって兵士達を言いくるめたのだ?」
イーマが噛み付くように言う。実際、掴み掛かりそうな迫力で魔女を睨みつける。
「宰相閣下の紹介でナコとか言う侍女が出てきてね。あの娘、お城のアイドルか何かなのかしら?ナコが微笑みかけたらこの書庫の門番たちはみんなイチコロだったけど」
「・・・・・・やっぱり、あやつ、魔王か何かじゃろうか」
まさか国家書庫の門番までも侍女に絶対服従を誓っているとは思わなかった。
「さて、話は戻るけど、所詮人間の貴方には人間のできることにしか考えが及ばないようね。例えば、伝説に出てくるエルフの民が出てきて助けてくれるんじゃないかとか、実は今の状況が夢で眼が覚めたら何事も起こっていなかったとか、そういう奇抜な発想は出来ないのかしら?」
明らかな挑発に、イーマがますます視線を鋭く尖らせる。
魔女はチョイチョイと不意に現れた手に後ろから脇をつままれる。
「姉さん。絶望的状況にある人にそういう言い方をするから空気読めないと言われるんですよ。ちゃんとした言い方しましょう。『あなた方はなんて無脳なのかしら、目の付け所が全然違いますよ』って」
「あら、その言い方では駄目よ。口調は丁寧だけれどものすごく毒を含んでいるもの。前半部はどうにかしなければいけないわ」
「・・・・・・魔女殿」
イーマが魔女を呼んだ。
「それでは姉さん、こんなのはどうですか?『貴方達はとても有能ですね。そこまで突飛な目のつけ方をなさるなんて』といった感じに」
「・・・・・・・・・魔女殿」
「ロッキンツォン、それでは皮肉になってしまうわ。前半部はよくなったけれど、後半部は悪化してるもの。ここはいっそ、後半部をばっさり省略してはどうかしら」
「・・・・・・・・・・・・魔女殿っ」
「う~ん、そうすると、こうなりますね。『貴方達はなんてすばらしいオツムをしておいでなのかしら』って」
「・・・・・・まじょど・・・・・・ああ、いや、いい。気の済むまでやってくれ」
力なく俯いたイーマ。
なんだか先ほどまでの精悍さのカケラも感じられなかった。
なぜか魔女とロッキンツォンの後ろにいるイングリットが、ちょいちょいと、魔女をつついた。
「どうしたの?イングリット?」
即座に尋ねる魔女。何故か親しげだった。
「いえ、多分だけれど、師匠とロッキンツォンさん以外状況を理解していないんじゃないかな」
実に的確な忠告だった。何故かイングリットのさらに後ろに立つ私の父がこくこくと同意するように頷く。
「ああ、それならそうといってくれればよかったのに」
そうして、イーマのほうに向き直る魔女。
「腐死病は空気感染で蔓延する。それは規模が国レベルになった今でも変わらないわ。だったら蔓延する前にその空気を浄化してしまえばいいだけの話じゃない。腐死病の蔓延を王都だけにとどめることができたら、あなたたちの才能を持ってすれば王都の人達全員を避難させることぐらい朝飯前でしょう」
にやりと笑う魔女。野性味を感じさせる白い八重歯がきらりと光った。
※ ※ ※
ほとほと、魔女の力は上限が無い。
雲に乗って空を飛ぶとか、未来が予知できるとか、ゴスロリの少女ばかり集めてレズハーレムを作っているとか、興奮すると刻の声を上げながら太陽に向かって走り出すとか、すっぽんぽんでも往来を平気で歩けるような変わった男にしか興味が無いとかと言う眉唾物の噂も、実は真実なのではないかと思ってしまう。
「これだけの力が人間のものになったら、どれだけ素晴らしいだろうな」
さすがのイーマもあきれ気味に呟く。
魔女が採った方法。
口で説明するのは簡単で、人間には絶対に不可能な方法だった。
魔女はそもそも風呂場でわっちとイーマに蒼人参を飲ませたときからこの方法は思いついていたと言う。
ただ、それでももう王都は救う事ができないから、王都を救うにはとっくに手遅れだという事で投げやりになっていたらしい。例え国中の人間が生き残っても、王都の数千人が救えないで無力感に絶望するならばいっそのことみんな死んでしまえばいいという、魔女ならではの考え方はわっちには到底理解ができなかったが、いずれにしろみんな助かるのだ。何も言うまい。
どこで何があったのかは分からないが、魔女は人を救おうとし、イーマとわっちはその方法を提供した。それがここで必要な唯一の真実だろう。
「コスモス、呆れて間抜け面をさらしている時間は無いぞ。都民を非難させるのがまだだからな」
イーマは言う。
―――雨を降らせる。
ライヒビ全土に、これでもかと言うぐらいじゃんじゃん雨を降らせると言うのが、魔女のとった方法だった。空気感染する腐死病はその特性ゆえに雨で流れてしまう。既に感染してしまっているであろう王都の人間は別として、そもそも腐死病が蔓延しなければ感染後の対策を取る必要は無い。
その効果は、覿面だった。
森の魔女は、それこそ理屈を越えた力によって奇跡を起こした。
「私の力というのとは、ちょっと違うけれどね」魔女は言う。「これは、森という漠然とした意志の力。私は森に頼み込んだだけに過ぎないわ。本来、人の起こした事の始末は人がつけなければいけないのだけれどね」
「ん?今回の件は、腐死病だから天災じゃろう?」
わっちがそういうと魔女と魔女の妹が即座に「違います」と首を振った。
「腐死病は天災だけれども、腐死病の少女を国の心臓部といえる王都につれてきたのは人間、わざわざ隔離しておいたのに興味本位からその少女に密会した上、腐死病にかかってしまったのも人間、延命措置をとったことによって、国中に腐死病菌を振りまいたのも人間。腐死病は確かに深刻な問題だけれども、自然の摂理にのっとったものであるから放っておいて国が滅びることは無いわ」
わっちも含めてその場にいた数人がしゅんとする。思うところがあるのだろう。
「魔女殿、最後に一つだけ、いいか?」
王子が魔女に向き直って言う。
「魔女殿なら、腐死病そのものを撲滅する事ができるのではないか?天候そのものすらも左右できるあなたなら、腐死病ぐらい、根絶やしに出来るのではないか?」
してはいけない質問だと、彼自身わかってはいるのだろう。
魔女は決して人間のためにあるのではなく、あくまでも人と自然との間を取り持つ存在なのだから、人の味方ばかりは出来ない。人が自然を侵略するのも、天災によって人が滅びるのも同じように阻止する。人とそれ以外とのボーダーラインを守るための存在なのだから。
「あなたは、愛する人が凶悪な殺人鬼になったとして、その人の殺人を止めるためにその人を殺せる?」
魔女の問に、父の宰相は私を見て、私は王子と父を見て、王子は私と魔女を見て、魔女の妹はイングリットと己の姉を見て、イングリットは魔女と魔女の妹を見て、魔女は、平等に全員を見た。
今見た相手が、きっと彼ら彼女らにとって愛する人なのだろう。
「殺したりは、できんな・・・ん、いや、すまない。詮無い事を聞いた。ゆるしてくれ」
「かまわないわ。人間の事を最優先に考えるのは、人として当たり前の事だから」
それは、まるで自分は人間ではないというような言い方。
「魔女は、人じゃないわよ」
心を読んだように魔女はそういった。
けれど、魔女と人も互いに歩み寄れるかもしれない。
いつの日か、人と森との境界がゆるくなったらそういう日が来る。
ただし、それは人間がこの世界で苦労して勝ち取ってきた特権を全て捨てればの話だ。
わっちはイングリットを見た。
彼女は魔女の弟子になるのだという。
そして、わっちの名を抱くものだ。
人と森との間に存在する魔女の、さらに魔女と人間の間にある存在―――
それはどちらから見ても架け橋となる、希望なのかもしれない。
あと三時間後にエピローグを掲載します。