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第九幕前編。再び、イーマ

「コスモス、湯加減はどうだ?」


「服を着て今すぐ出て行け不埒者!」


私が風呂場に入るなり、何故か飛んできた風呂桶に吹き飛ばされて私は風呂場の外の壁に叩き付けられた。


「ひどいぞコスモス!昔から親睦を深めるためには裸の付き合いと言うのを知らないのか!?」


勿論私だって女性の風呂に入るつもりはない。これは腐死病のことで気が滅入っているコスモスを元気付けるためのお茶目なスキンシップだ。


「おぬしは親睦を深める前に思慮を深める事じゃな!」


「そんなっ!昔はよく一緒に入ったじゃないか!」


「・・・・・・」


返ってきたのは何故か沈黙。ここで、「子供のころの話じゃろうが!おぬしは自分が一国の王子であるという自覚があるのか!」という答えが返ってくることを予想していたので拍子抜けしてしまった。


「・・・・・・一緒に風呂に入ったことなんてあったか?」


「忘れてるのか!?昔はお前のほうから俺の風呂に入ってきたものなのに」


わざと愕然としたような言い方をすると帰ってきたのはまたもや沈黙。


「・・・・・・じゃあ、いいじゃろう」


一緒に入って良いの!?

私は脊髄反射の勢いで風呂場に飛び込んだ。


「コスモス。背中流しっこしよう。でもその前にお湯かけっこしよう!」


「おぬしは子供か!?自分が王子である事をちょっとは自覚しろ!」


何故かまたもや風呂桶が飛んできた。しかし今回は予想の範囲内だったので軽く体をひねってよける。

そのまま浴槽へダイブ!


「へぶっ」


久しぶりに、一子相伝(いっしそうでん)(じょう)下町仕込超(かまちじこみちょう)高々度(こうこうど)三段(さんだん)階式(かいしき)踵落(きびすおと)しコスモス流が私の顔面に炸裂して、私は風呂の底にたたきつけられた。

ちなみにこの風呂、王族専用の風呂で無駄に広いし無駄に深い。ライヒビに三つしかない天然の湯源の内の一つを利用しているのだが、数十年に一度前兆なしに沸騰するという非常に危険な風呂だと言う。

命にかかわる、なんとも恐ろしい風呂場だ。

だが、そんないわくはとりあえず関係がなかった。

誰彼構わず踵落しを食らわすなんとも恐ろしいゴリラが住み着いた以上、もはや風呂場は一年中安息の地ではなくなった。


「誰がゴリラじゃ!」


再び私の脳天に振り下ろされる一子相伝(いっしそうでん)(じょう)下町仕込超(かまちじこみちょう)高々度(こうこうど)三段(さんだん)階式(かいしき)踵落(きびすおと)しゴリラ流。

デブ豚でもこれだけの重量はないだろうと思うほどの重い一撃は再び勇者を地面へとたたきつける。

もはや駄目かと思ったが、勇者は再び立ち上がった。


「さあ来い!貴様の一子相伝(いっしそうでん)(じょう)下町仕込超(かまちじこみちょう)高々度(こうこうど)三段(さんだん)階式(かいしき)踵落(きびすおと)しデブブタ流などこの私が跳ね返して見せよう!!」


「なっ!?貴様今可憐なわたしのことを豚と言ったか?!豚と言ったか?!・・・・ええい、そのような無礼を許しておけるか!そこに直れ、私の一子相伝(いっしそうでん)(じょう)下町仕込超(かまちじこみちょう)高々度(こうこうど)三段(さんだん)階式(かいしき)踵落(きびすおと)し天誅流で改心させてやるわ!」


「来い山猿め!イーマ様が相手をするからには明日は無いと思えよ!」


「貴様―――言っていい事といけないことがあるだろう!だれが直視すらも出来ない醜いブタザルだ誰が!?」


「自分でより語彙を悪化させている!お前はマゾか?」


「だから誰が悪臭ブタゴリラかと聞いておろうが!?」


ぎしゃーっ。と爪をむき出しにして猫のように飛び掛ってくるコスモス。

私たちはそのまま掴み合いと引っかき合いの乱闘に突入してしまった。

体格的には男である私のほうが勝っていたが、城下町に足繁く通っているコスモスも私に負けず劣らず喧嘩の仕方を身につけていて、私とほぼ五分の戦いを見せていた。どったんばったんと風呂場の中を転げまわった結果、両者ともまともに立てなくなるぐらいまで疲弊してひとまず休戦と言う事になった。


「済まなかったな。わっちとしたことがつい熱くなってしまった」


「む!先に謝るとは卑怯なやつめ。お前が先に謝っては、私はお前よりも聞き分けがない子供じみた奴と言う事になってしまうではないか」


私はそういって(むく)れてみせる。コスモスはそんな私をややあきれた表情で眺め、それからどちらからとも無くぷっと吹き出した。

再び湯に浸かったコスモスと湯に浸かった私。体中に出来た傷に湯がしみて痛かったが、それが生きている事を私たちに痛感させた。

私は改めてコスモスを見る。こうしてコスモスと語り合うのも最後になるかもしれないという不安と、腐死病になってもコスモスがいつものように笑っているという喜びで、私の胸は満たされていた。


「思えば、お前も大きくなったものだな」


「なっ!そういう卑猥な台詞をレディーの前で言うな!」


「え?あ!いや、性的な意味では無くて、こう、もっと広い意味でだな、昔とは変わったと」


「そうか?」


疑わしげな声。

コスモスに言わせれば、変わってしまったのは私のほうだろう。

人の心の本質は小さい頃に形作られて変わらない。変わるのはあくまでも心の外堀の部分だけだ。

昔に戻りたいとは思わないが、昔のほうが幸せだったような気がする。今だって幸せだと言えばそうなのだが、昔に戻りたいかと聞かれれば私もコスモスも迷い無く(はい)と答えるだろう。

昔の時間も、今の時間も同じように大切ならば、失ってしまったもののほうがより重く感じられるものなのかもしれない。

昔の詩人は、こう謡った。


人は過去に思いを馳せては「あの頃はよかった」と言い、

未来に思いを馳せては「きっと今よりいいだろう」と言う。

未来と過去はいつだって、明るい光に満ちている。


コスモスの嫌いな謡だ。

未来や過去に目を配っていては、今だから手に入れられる幸せを見逃してしまうじゃろ。と、そう言っていた。

私にとって今の幸せは、こうしてコスモスと何気ない時間を積み重ねていく事なのかもしれない。


「お前は変わったよ。昔は清楚でおとなしくて優しくて草花を愛でるような優雅さを持ち合わせた、人のことを気遣える子供だった」


「それはあれか?昔おぬしが気品あふれて紳士的で穏やかで、十人いれば十人が振り返るような美貌を備えた、とても親孝行な殿方じゃったのと同じことか?」


素早く切り返すコスモス。

口の悪さは変わらない。

そして、私は気づく。

過去においても現在においても未来においても、私の幸せはいつもコスモスだと言う事に。


「前言撤回だ。お前は変わらないな」


私の中でコスモスがとても大きなものだと言う事には変わりは無い。

それがイーマ・ライヒビの本質なのだろう。


「それはお互い様じゃろ」


コスモスが言って。

なんとなく、お互いに言葉が詰まった。けれどもそれは何を話したらいいのかわからない重苦しい沈黙ではなく、お互いに、音の無い静かな空気を楽しむような穏やかな沈黙だった。絡み合うお互いの視線が、言葉よりも雄弁にお互いの気持ちを語っていた。


「のう、イーマ。一つだけ言わせてくれりゃ」

やがて、ぽつりとコスモスが言った。


「わっちはいつか死ぬ。例え腐死病ですぐに死ぬ事が無くとも、老いが来れば人はいずれ死ぬものじゃからな。イーマのほうが先に死ぬかも知れんが、わっちだっていつまでも生きられるわけじゃない。イーマよりも先に死ぬ可能性も充分あるじゃろう。じゃがな、イーマにはそれで自分自身を責めてもらいたくないのじゃ。おぬしは優しいから、知人の不幸を何でも自分の責任に転換してしまうところがある。じゃから、忘れんでおいてくれ。いつ、どこで、どんな死に方をしてもわっちは幸せに死んでいったと。おぬしが後悔せねばならんことは何も無いのじゃと。おぬしがわっちを幸せにしてくれたのじゃとな」


コスモスは胸に手を当てていう。大切な言葉を紡ぐように。


「わっちは、イーマに出会えてよかった。イーマが例え森の魔女にうつつを抜かしてわっちの事をちっとも構ってくれなくても、わっちの愛しているのは・・・・・・」


と。

そこで、せっかくいい空気だったのに、ぶち壊す奴がいた。

私はそれまで静寂を守っていた風呂場の扉をばたんと大きく開けて、コスモスの言葉を遮った空気の読めない奴をにらみつけようと扉のほうを見た。

噂をすれば影が差す。

森の魔女が、息を切らしてそこにいた。


 ※ ※ ※


「な、何をやっているんですか貴方たちは!」


ハルは私たちを見るなり美しい柳眉を吊り上げた。


「だーっ。申し訳ない申し訳ない申し訳ない申し訳ない申し訳ない私としたことが魔女殿と言うものがありながらこんな悪臭ブタゴリラに誑かされてしまうとはどう言い訳したらいいか分からない。ここは体で払って罪を償わせてもらおう!!」


私はコスモスと二人っきりで風呂に入っているのがハルの不況を買ったのかと思ってそう謝り倒したのだが、ハルはより一層鋭いツララのような軽蔑の視線を私に向けただけだった。


「・・・・・・イーマ」


と、背中のすぐ後ろからなにやら物凄くどす黒い気配を感じる。

それがコスモスのものだということはすぐに分かった。

前門の魔女、後門の悪臭ブタゴリラ。

悪臭ブタゴリラのほうがまだましだと判断してコスモスに声をかける。


「なあ、コスモス」


「うるさい黙れそして死ね」


取り付く島も無かった。

むしろ心の孤島に取り残された寂しさがあった。

仕方なく魔女のほうを向く。


「なあ、魔女殿」


「あなた、本当に延命措置には代償が無いと思ったの?」


魔女のほうがまだましのようだ。

って・・・・・・は?


「延命措置にはね、当然対価を伴うの。貴方が延命措置に半信半疑のようだったし、そもそも延命できる段階で腐死病が見つかる事が稀有だったからあのときには教えなかったけど、延命措置を施すと腐死病菌は怒り出して、感染力が飛躍的に上がるのよ。それこそ、コスモスさん一人を感染源にして国中に腐死病が蔓延するぐらいにね」


私の顔から、表情が抜け落ちた。

そうだ。確かにあの時、私は疑問に思ったはずだ。

こんな方法があるなら、なぜハルは今まで隠していたのか、と。

あの時ハルは、この方法が使える機会がないだろうからだと答えたが、それは隠していた理由にならないことは私自身理解していた。教えたところで大して意味がなくても、教えたことで一人でも救えるかもしれないと思えば、ハルは惜しげなく知識をさらけ出す人だ。

だが、もうそんな過去のことは関係がない。事実として過ぎ去ってしまって、私は選択肢を選び終えてしまった。

天秤の片側が空だといっていたのは、いったい誰だったろうか?

コスモスと国民と、天秤にかけるのを嫌がって現実逃避した挙句、正しい取捨選択ができなかったのは、ほかの誰でもない、この私だ。

そしてそのしわ寄せがこれだ。

森の魔女は、王子である私に対して国民全員の死刑を宣告したのだ。


「嫌じゃ・・・・・・嘘じゃろう?」


そして、私よりも衝撃を受けているのは、その手で国民を殺すと言われたコスモスだ。私の犯した罪にもかかわらず、コスモスにまで罪を背負わせてしまっている。

無力なら、せめて自分だけで罪を背負えばいいものを。

イーマ・ライヒビは、自分のケツすらも女に拭わせるような愚図だったのか

コスモスの顔は真っ青になり、風呂に入っているにもかかわらず寒いかのようにがたがたと震えている。

いや、違う。

コスモスが恐れているのは国民の死ではなく知り合いの死。私や、城下町の知人たちの顔が頭に浮かんでいるのだろう。

私もコスモスのように目の前のことだけに気を配っていればよかったのかもしれない。

それが言い訳だということは判っているけれど。後の祭りだということもわかっているけれど。


「魔女でも、馬鹿につける薬は持ち合わせていないわ」


まるで私の考えなど見透かしているようにそういって、魔女は冷ややかに笑った。


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