第二章 〜天使と悪魔と学園生活5〜
月が無い夜だった。
少女は屋上に立ち、その時を待った。
契約により、今日、彼女は全てを奪われる。
「あ〜、いたいた。意外意外、てっきり今朝みたいに逃げていると思ったんだけどね」
そう言って、一人の男が屋上に現れた。
男は黒のスーツに眼鏡、細めながらしっかりとした肉付きの体。
「契約では今日まで、だったはずよ? 放課後までまってくれてもいいでしょう」
「そんなにこの学校に未練があったのかい? そんな訳ないよね。君にとって学校は、より良い就職のために履歴書に書く程度の意味しかなかったはず」
「私の事を知ったような事言わないでほしんだけど」
男はそれを軽く無視し、少女に近づく。
「いや、でも本当によくここに残っていたね。逃げ出さないなんて偉いねえ」
「私が逃げれば、弟の方へ行くんでしょ? ……私は、あの人達とは違う」
少女は睨むように男を見る。
怖い怖い、と男は茶化すように笑い肩を竦める。
「あの人達、って君の両親だろう? 酷い娘だね、君」
「子供を売り払う親の方が、酷いと思いますけど」
少女が冷たく言い放つのを、男は小さな微笑で返した。
「君は本当にいい子だ。そのまま大人しくしていると良い。買い主には満足いただけるかどうか怪しいがね」
「……一つ聞いていいですか?」
男の下卑た笑みを見ないように少女は言った。
「人身売買なんて、正気ですか?」
途端、男の笑みが花を咲かせたように広がった。
「当たり前だよ! 今のこの世界で、これほど儲かる仕事もない!」
怪訝そうな目で自分を睨む少女を気にせず、男は熱く語りだした。
「人身売買には色々あるんだ。例えば、快楽主義者に玩具を売るとか、人の集まらない極寒での仕事の奴隷として売るとか。ああ、警察に捕まってない犯罪者を遺族とかに売る、って言うのもある。意外と売れ筋なんだよね、仇討ち制度がなくなっちゃったけど、憎しみはなくならないからね」
「……最低」
「最低で結構」
男は眼鏡の位置を直し、少女の体を舐めるように視線を移動させる。
「君はいい体をしているからねえ、相場の十倍近い値段で売れたよ。バイト、力仕事もしていたんだろ? 締まりのいい体が、金持ち連中は好きみたいでねえ」
少女は男の視線から逃れるように夜の街へと視線を逸らす。
街はいつも通り。自分が人生を売ろうとしていても、何一つ変わりはしない。
「怖いよね、人間の『欲』って。自分の『欲』を満たすためなら、他人がどうなろうと知ったこっちゃ無いんだからさ。おかげで私は随分と儲けさせてもらった。……本当、あれは神様の導きみたいだ」
最後の方は呟きで、ただの独り言のようだった。
「さて、そろそろ君の買い主が現れる時間だ。いや、飼い主かな? どうすればいいか、わかっているよね?」
悪意のある笑みを浮かべた男に、少女は答えた。
「……わかっているわ。抵抗せず、何でも言う事を聞けば良いんでしょう? そうじゃなきゃ……」
「そうだねえ、弟くん、まだ小学生だよね? ショタコンって知ってるよね?」
ぞっと寒気がしたが、それを悟られないように少女は言う。
「本当に、弟には手を出さないんでしょうね?」
「勿論。君を売った時点で十分儲けさせてもらったからね」
そう言って男は執事のように恭しく頭を下げた。
「約束を守らなければ、顧客は得られないんだよ」
そして。
ギィー、と。
扉が開き、一人の男が現れた。
その男は黒のマントに身を包み、ヘルメットで顔を隠していた。
男は時間を確認し、男に笑みを浮かべる。
「時間ぴったり、それではまず先に現金の方を。その場で見せて下さい」
ヘルメットの男はそのマントの下からアタッシュケースを取り出し、開けてみせた。
そこには、諭吉を百枚で束ねたものが百程あった。
「いいですね……。では、交換といきましょう」
男は少女を引っ張り、そしてヘルメットの男の前に連れ出した。
少女に手錠をかけ、まずその鍵をヘルメットの男に渡す。
「商談成立。返品は不可ですが、いいでしょうか?」
「……………」
ヘルメットの男は無言で頷き、そしてアタッシュケースを男に渡す。
「では、コレはあなた様の持ち物になりました。愛でるなり、壊すなり、お好きなように」
男はそのアタッシュケースを肩に担ぎ、そして夜の校舎の中へと消えた。
夜の学校の屋上に、一人の人間がいた。
一人は……人間ではなかった。
ヘルメットの男が尋ねた。
「……名は?」
少女は、答えた。
「……奈美、です。…………………ご主人様」