5.
「王都からいなくなるだなんて、正気ですか!?クロエさん!!」
「ええ。そういう任務だから」
あの任務を受け、宿舎で軽く任務を済ませたクロエは隣室に住んでいる聖騎士団副団長シトリー・ブレイカーを捕まえ、その部屋で昨日の事を話していた。ちなみにシトリーは本日出勤のため、かなり早い時間である。少し眠そうに目をショボショボさせているところがなんとも可愛らしい。
『シトリーちゃんには俺から伝えておくから大丈夫だよー』などとエルヴィヒは任務説明の時に軽く言っていたが、彼の性格上どんな伝え方をするか分からない。ハッキリ言ってしまうと、#エルヴィヒ__あの生き物__#は基本的に自ら進んで火に油を注ぐようやつなので信用できなかった。根っからのクソ野郎に信用も何もない。だから事前に時間を取って、副団長であり、部下、親友であるジェレミーの妹であると同時に気のおけない友人である彼女には予め伝えておこうと思ったのだ。
代理団長として、他の騎士達のことを頼んだ――と。
「なら、私も同行します」
「それはダメ」
「何故ですか!クロエさんが名指しで指名されるってことは、相当危険な任務なのでしょう!!?ダメというならあの怠慢ぐーたら王子か兄様を脅してでも――」
「そんなことをしたら逆についてくる道が遠のくと思うけど、やりたいならエルヴィヒにだけどうぞ。けどね、もし許可が出たとしても、シトリーまで来てしまったら、誰がこの団を率いていくの?」
危険だという部分は敢えて否定しない。しかし脅すという部分は見逃せなかった。どうせ団長代理となるのであれば、任務履歴を調べずとも、そのうちある程度の事はバレるだろう。なにせ、王都からいなくなる人員が人員だ。団長・副団長レベル、そして団の中でも折り紙つきの実力者が選出されていると言われている。
それに、シトリーはことクロエに関することでは異常なまでの心配性だ。それを考慮し、規約にも特に書いていなかったからと危険性が低くなっているというアピールのために二人の名前を出してしまったのが間違いだった。
エルヴィヒに被害がいくのは別に良いが、兄であるジェレミーは今回の件に関してはむしろ元々はシトリーの味方側の立場だった。流石に妹から直接脅されるのは可哀そうだろうと思い、一応全ての矛先がエルヴィヒに行くように仕向けておく。
「代理団長だったら、私以外に頼めばいいんですよ。私は貴女と一緒にいられる時間が長いからこそ、この副団長の役割を受け入れたんです。それなのに貴女がいないなんて、意味がないじゃないですか」
「シトリー……」
彼女はクロエとは別のタイプの魅力を持っている。団内でもクロエが女神のように神々しいなどと言われている――本人は気づいていないが――中で、シトリーは天使のような可愛さを持つと言われているのだ。
瞳を潤わせて、此方を悲しそうな上目遣いで見つめる姿に思わずぐらりと来る。きっとこれもクロエを引き留めるために自分の可愛い容姿を利用しているだけだろうという事が分かりきっていても、だ。
彼女は一見か弱そうに見えて、中身はかなり強かだ。兄であるジェレミーを除けば、最も長い付き合いであるクロエはそれをちゃんと知っていた。
シトリーとクロエはもう出会ってから9年近く経つのである。それこそ平の騎士の頃からの付き合いだが、シトリーもそろそろクロエがいなくても何でも出来るように独り立ちするべきだと考えていた。訓練も鍛練も、プライベートも、任務ですら『全て一緒』というのではもうダメなのだ。
これもある意味では良い機会なのかもしれないと思う。もし今回の任務で数年後に無事に帰ってこられたとしても、クロエの方がシトリーよりも年上な分、シトリーよりも先に一線を退く。このままでは退いた後に困るのはシトリー自身だ。今までは妹のように可愛がっていたこともあり、甘やかしてはいたが、このままでは駄目だとずっと思っていた。
だから今は我慢して、彼女の#お願い__・__#を拒否する。絶対に連れて行くわけにはいかないのだ。それを伝えるためにも一切の躊躇いなく、願いを拒絶した。
「そんな可愛い顔をしてもダメなものはダメ!」
「っ酷いです!意地悪なクロエさんなんてもう、嫌いです!!」
「ごめんね、それでも貴女を連れて行くことは出来ないの……だってこの王都で、私はシトリーを一番頼りにしているから。部下達を任せられるのも、この立場を真の意味で守れるのも貴女しかいないと考えてるわ。だから、お願い!」
その言葉を口にした瞬間、シトリーの方から息を呑む音が聞こえた。
クロエも少しズルい手だとは思うが、シトリーはクロエが『頼りにしている』や『シトリーしか任せられる人がいない』、そしてなによりも『真の意味で守れる』という言葉をかけると大抵のことは引き受けてくれるという事を知っていた……とは言っても、この方法は本当は使う気はなかったのだが。
「……ズルいです。そんなこと言われたら、聞かないわけにはいかないじゃないですか。それと、ごめんなさい。意地悪だなんて――クロエさんを嫌いだなんて嘘です。好きです。大好きなんです」
「うん……分かってる。私も大好きだよ」
シトリーの涙と真っ直ぐな言葉に心の中で「ごめん」ともう一度謝って、彼女の自分よりも一回りほど小さい身体を抱きしめる。任務という騎士としての大義名分があるとはいえ、全ての本当の切っ掛けはクロエの失恋であり、大切な人達の最後の痕跡を探しに行きたいという意志でもある。複雑に絡み合ったそれらを話してはいない。シトリーに言ったのは全てが真実というわけではないのだ。
それに少しの罪悪感が産まれる。
確かにクロエの中の#理由__・__#には親友……シトリーの兄でもある彼だけに何も知らずに全てを背負わせて死地に向かわせたくないという気持ちやシトリーの姉離れならぬクロエ離れというものも存在する。しかし未だに大きいのは最初の切っ掛けの部分だ。そこに偶然や今まで出来ていなかったかったことや気づかなかったことというものが重なって、今現在、こんな状態になってしまっているのだ。
人は大人になればなるほどに、ズル賢くなっていく生き物だ。傷つかないまま、純粋無垢なままではいられない。
傷の恐ろしさを知っているが故に、懐のそれが深くならないように内側からドロドロと薄汚くなっていく。何をしに行くのか、それをシトリーに知られたくはなかった。
だってもしかしたら今回の事で、自分はこの国を裏切ることになるかもしれないのだ。
あの話の後、ずっと考えていた。今、こんな簡単にエルヴィヒから与えられたクロエの大切な人達の最後の痕跡になりうるヒント。これが今まで肉親であり、騎士としての立場もそれなりにあったクロエに伝わってこなかったのはどう考えてもおかしい。昨日のことを切っ掛けに、目が醒めたかのように今まで疑問を持っていなかった部分に疑問を持ち始めた。まるで洗脳されていたかのように、彼女はこの国の全てに疑問を持たず、伝えられるがままに受け取っていた。今考えれば、かなり妙である。
可能性を考える。もし国全体が何かをして、クロエにその事実を故意に伝えていなかったのだとしたら?正直、エルヴィヒはあまり信用できない。もしかしたら、状況によっては、エルヴィヒは勿論、ジェレミー、そしてリオンとも対立することになるかもしれない。あまり考えたくはない可能性であったが。
復讐のためには全てを切り捨てる人間である。クロエは自分のことをそう、理解していた。元来、あまり感情を抑えるのは得意ではないのだ。
だからそんな状況になってしまった時、せめてシトリーは巻き込みたくはない。生まれ育った国、そして実の兄か、何も持っていないクロエかを選ばせるのが嫌だった。もしかしたら、シトリーだったらクロエを選んでくれるかもしれない。でも、そんな状況に陥って、全てを敵に回させてしまった時は何よりもクロエが耐えられないのだ。
大切だからこそ、何も伝えずに置いていく。それがクロエがした選択だった――。
先代が築き上げた団長という立場を守ってほしいなどと言いながらも、自分はこの国を裏切るかもしれないという因子を孕んでいる。矛盾しているなとはクロエ自身も分かっていた。でも進まずにはいられないのだ。
シトリーの涙が落ち着いたところで抱擁を解いて、身体を離す。離れてから目を合わせて、心の中で『ごめんね』と謝る。きっとこの気持ちは彼女には伝わらない。
シトリーの瞳は、既にやる気と眩い未来への輝きに満ちている。それを嬉しいと同時に少し羨ましく思いながら、その感情を誤魔化すようにストロベリーブロンドの柔らかい髪を撫でた。
「部下達をよろしく頼んだよ、シトリー」
「はい!クロエさん!!」
いつの間にか得意になっていた嘘を誤魔化すための笑顔を浮かべながら――。




