26.
「……ここ、は?」
皮膚に染み込むひんやりとした空気。身体を動かそうとしても動かない。怪訝に思い、下半身に視線を落とすと、ジャラジャラとした鎖によって下半身が縛り上げられていることが分かった。
そして、天井から吊られた両腕。まるで囚人のようだ。しかもご丁寧に鎖からは強力な魔力封じの力を感じる。きっとここは城の地下牢なのだろう。何度か来たことがあったため、起き抜けの頭で暫く考えたら答えが出た。
「何故、私は生きているの?」
あの最後の瞬間。リオンはフローリアと同化していたクロエの首に剣を突き付けていたはずだ。意識がなくなった自分は首を刎ねられたのではないのか。
クロエは、無差別に城にいた人間達を攻撃したはずの自分が今、生きてここにいる理由が分からなかった。
今は女神の気配が何故か遠ざかってはいるが、いつ戻るのか分からない。だから早く殺してもらわなくては――。そこまで考えた所で、ある一つの仮説に辿り着いた。
クロエの身体は既に女神と同化している。それは即ち、あの夢現の中で見たことが事実であるならば、自分は人ならざる存在になっているのではないか。それ故に殺せなかった。だからここに閉じ込められている。
クロエがそこまで考え、納得したところで、重厚な扉の向こうから何かがやってくる気配がした。
「……今の貴女はクロエさん、ですか?」
誰か分からないこともあるが、こんな事態を引き起こして、どんな顔をすればいいか分からなかった故に顔を伏せていたクロエに、彼女が今一番会いたくて会いたくなかった人の声が掛かる。
「――っ」
彼がどんな恐ろしい顔をしているか、それを見たくなくて顔を背けた。
なにせ自分は幾人もの命を引き裂き、民の命を脅かした挙句に騎士達、そして王の命をも狙い、最終的には目の前の彼を――リオンをも殺そうとした。きっと強い憎悪の感情を向けられているだろう。
「答えは分かりました。それでは今からする質問に答えてください」
彼はどちらと受け取ったのだろうか。クロエには何も分からなかった。
「貴女の身体の中身の正体。それはなんなのですか?」
「…………フローリア」
「フローリア?それは神話に残るあの女神と呼ばれる存在の?」
「…………」
「答えない、か。まあいいです。それでは質問を続けます。何故、あんなことをしたのですか?目的は?」
「恨んでいたから。貴方達王都の人間が憎くて憎くて仕方なかったからよ。私を生かすのであれば、ここから抜け出して、また虐殺するわ。――今度は王も、民も一人残らず皆殺しにする」
きっと彼女はそうする。だから早く何かしらの方法で、今抑え込めている間に自分を殺すなり、封印するなりしてくれ。そういう意志を込めての言葉だったから、敢えて自身が危険人物であるかのように言った。今現在は女神が意識の奥深くに沈んでいる事がクロエにも感じ取ることが出来るが、しかし実際次あの女神が目覚めたら、クロエでは抑えきれないだろう。
「っ何故、貴女はいつも僕のことを頼ってくれないんだ。その指輪だって……。目の前にいるのは僕だというのに、どうあっても―――――を選ぶというのか」
「え?」
「……なんでもありません。質問を続けます」
ボソボソと一人で呻くように囁かれたその声。聞き返しはしたが、彼が答えてくれることはなかった。
そこからのリオンの質問は、なんとも彼らしいものだった。
まるで全てフローリアのせいだと認めさせようとする質問の仕方。彼はどうあっても、かつての同僚であったクロエを助けようとしている。それは誰の目から見ても明らかなほどに分かりやすい行動だった。
だからその意図を察して、敢えてクロエ自身の意志でやったという表現をする度にリオンは舌打ちを繰り返す。その頃にはクロエもリオンの顔を見る覚悟ができて、彼の顔をちらりと覗いた。しかしその直後、その行動を後悔することになる。なにせ彼に浮かぶのは怒りでも憎しみでもない。ただただ必死な顔と応えてもらえない悲しみが滲み出ていた。
きっと彼はクロエを殺したくないのだろう。性格が悪いという欠点はあるが、他人に冷たいように見えて、生死に関わればちゃんと助けてくれる。相変わらず彼は、優しすぎる。
自身に対して、面倒な感情を抱いている女だとしても、直接追い出すようなことはしない。しかも窮地に陥れば、助けようとしてくれる。結局はこれが彼の本質なのだ。だから、クロエがなんとかしなければならない。
だからクロエは決心した。
リオンに自身の処分をさせるという真似はさせたくない。彼にはその手を汚さずにいてほしい――。
そう考えが行き着いた瞬間、身体の奥底から女神のものとは別の、膨大な魔力が湧きあがってくる。魔力を封じるはずの鎖を侵食し、内側から壊すほどの力が。『大切な何かを想う強い感情は、身体の奥底から強い力を生み出すんだ』。リードが良く使っていた表現。初めてそれを実感した気がした。
漲る魔力で、彼に気付かれない内に結界を張り、自身と女神を封印するための魔法式を紡いでいく。まだ彼には気づかれていない。
「今から起こる事は、何一つとしてリオンのせいじゃない。むしろ、貴方は助けようとしてくれた」
そう。なんだかんだと傷つけられる出来事はあったが、リオンは現在も一貫してクロエを助けようとしてくれている。その心は真実なのだとクロエでも簡単に理解することはできた。だからこそ、頼りにしていなかっただなんて言われたくなかった。最後を看取ってくれるのは彼がいいと思えた。
「私、これでも、貴方のことはライバルとして一番頼りにしていたのよ?だから、頼ってなかっただなんて言わないでよ」
「え……なに、を言って」
「最後に一つだけ。全てが終わったら、私の身体ごと再び北の地に封印して。……自分がしたことの責任はちゃんと取るから」
本当は伝えたい事などたくさんあった。感謝の気持ちや、あの日肯定してあげられなかった自身の気持ち、本当は死にたくなんてない、女神ごと自分を封印したくなどない、助けて――なんて。でもそれらは全て彼の重責となるだろう。だからあえて何も言わなかった。唇を強く噛む。
そして自身を落ち着かせるために言い聞かせる。
感覚からして、リードとコールは助かった。だから自分に思い残すことなどないのだ、と。ずっと死と隣り合わせの場所で生きて来た。だから覚悟なんて疾うに出来ている。怖くなんてないんだ、と。
そうしないと、心の奥底から魔力と一緒に湧き上がってくる恐怖心で泣き出してしまいそうだった。
指の先端、足の爪先、身体の端々から段々と結晶化していく。
最も強固と呼ばれる封印術――『晶化封印』。自身の半径1メートル以内のあらゆる全てのものを結晶化させ、魔力を封じる。高い白魔法適性がなければ失敗するだけでなく、代償として術者ごと結晶化され、封印されてしまうというものだが、その分内側からはどれだけ力を使おうとも破る事はできないという最強の封印術。
「……泣かないでよ」
結界の外側でリオンが泣き叫んでいるのが見える。
結晶化していく身体では、既に何を言っているのか聞き取れなかった。でもなんとなく、最後に見るのが彼の泣き顔なのは少し悲しいな、なんてクロエは思うだけだった――。




