第12話「最後の選択――書の封印」
数日後、王都では盛大な裁判が開かれた。
リオン侯爵とその一派の罪を裁く、公開裁判。
多くの市民が集まり、固唾を呑んで見守っている。
私とセルゲイも、証人として出廷した。
リオン侯爵は、憔悴した様子で被告席に座っていた。
かつての威厳は失われ、ただの老人に見えた。
「リオン侯爵、お前の罪状を読み上げる」
裁判長が厳かに宣言した。
「虚偽の告発、陰謀、魔法の不正使用、王族への脅迫——全て、死罪に値する重罪だ」
リオン侯爵は何も言わず、ただ俯いていた。
全てが終わったのだ、と諦めているようだった。
「何か、言い残すことはあるか?」
裁判長が問いかけた。
リオン侯爵は顔を上げ、私を見つめた。
「……一つだけ」
「言ってみよ」
「リアナ・ヴァレンティア。お前は、強い娘だ」
その言葉に、私は驚いた。
「私は、お前を見くびっていた。侯爵令嬢など、簡単に潰せると思っていた」
リオン侯爵は自嘲するように笑った。
「だが、お前は私の予想を遥かに超えていた。契約の書を使いながらも、最後は自分の力で戦った。それは……見事だった」
「リオン侯爵……」
「だから、お前に忠告しておく」
彼は真剣な表情になった。
「契約の書は、まだこの世界に存在する。いつか、また誰かが手にするだろう。その時——お前が、止めるのだ」
「止める……?」
「ああ。お前は、契約の書の恐ろしさを知っている。だからこそ、次の犠牲者を出さないために、お前が動くべきだ」
その言葉が、胸に刺さった。
リオン侯爵は、最後に私へ使命を託したのだ。
裁判は滞りなく進み、リオン侯爵には終身刑が言い渡された。
死罪は免れたが、もう二度と自由の身にはなれない。
彼は静かに刑を受け入れ、連行されていった。
裁判所を出ると、書士が待っていた。
「リオン侯爵の言葉を聞いたか?」
「ええ……」
「彼の言う通りだ。契約の書は、まだ存在する」
書士は真剣な表情で言った。
「だが、このまま放置すれば、また誰かが悲劇に巻き込まれる。だから——」
「封印するんですか?」
「そうだ。そして、お前に手伝ってほしい」
その夜、私は再び王立図書館の真書の間を訪れた。
セルゲイとリュートも一緒だった。
書士は契約の書を台座の上に置き、周囲に魔法陣を描いていく。
「この封印は、永遠ではない」
書士が説明した。
「いつか、誰かが必要とした時、また現れるだろう。だが、少なくとも数百年は封じることができる」
「数百年……」
「ああ。その間に、人々は契約の書のことを忘れる。伝説になり、おとぎ話になる。それが、一番安全だ」
書士は私を見つめた。
「リアナ、お前の力が必要だ。真書の加護を受けた者だけが、契約の書を封印できる」
「分かりました。何をすればいいですか?」
「この魔法陣の中心に立ち、契約の書に触れなさい。そして、心の中で唱えるのだ。『この書を封じ、世界に安寧を』と」
私は頷き、魔法陣の中心に立った。
契約の書が、目の前にある。
黒い革装丁の、禍々しくも美しい本。
これが、全ての始まりだった。
手を伸ばし、本に触れる。
瞬間、記憶が流れ込んできた。
絶望の夜、図書館で泣いていた私。
契約を結び、過去に戻った時の高揚感。
そして、代償を知った時の絶望。
全てが、走馬灯のように流れていく。
「ありがとう、契約の書」
私は心の中で呟いた。
「あなたのおかげで、私は成長できた。辛かったけど、後悔はしていない」
本が、微かに光った。
まるで、私の言葉に応えているかのように。
「さあ、唱えなさい」
書士が促した。
私は目を閉じ、心の底から唱えた。
「この書を封じ、世界に安寧を」
魔法陣が輝き始めた。
光が契約の書を包み込み、本は徐々に透明になっていく。
そして——。
完全に姿を消した。
「終わった……」
書士が言った。
「契約の書は、真書の中に封印された。もう、誰も手にすることはできない」
私は深く息を吐いた。
終わったのだ。
本当に、全てが。
「リアナ」
セルゲイが私の肩に手を置いた。
「お疲れ様」
「ええ……本当に、長い戦いだった」
「でも、もう大丈夫だ。これから先は、平和な日々が続く」
彼の言葉に、私は微笑んだ。
真書の間を出ると、リュートが待っていた。
「リアナ様、これで本当に終わりですね」
「ええ。リュート、本当にありがとう。あなたがいなければ、ここまで来られなかった」
「いえいえ。僕は、少し手伝っただけです」
彼は謙遜したが、彼の功績は計り知れない。
「リュート、これからどうするの?」
「僕は、また図書館で働きます。ここが、僕の居場所ですから」
「そう……ならば、また会えますね」
「ええ。いつでも、図書館に来てください」
リュートは優しく微笑んだ。
図書館を出ると、夜空には星が輝いていた。
美しい星空。
全てが、ようやく終わった。
陰謀も、戦いも、全て。
そして——新しい人生が、始まろうとしている。
「セルゲイ」
「ん?」
「これから、どんな未来を作ろうか」
私の問いに、彼は微笑んだ。
「どんな未来でも、君と一緒なら素晴らしいものになるさ」
「そうね」
私は彼の手を握りしめた。
「一緒に、最高の未来を作りましょう」
二人で手を繋ぎ、王都の夜道を歩いた。
月が、私たちを優しく照らしていた。
もう、契約の書に頼る必要はない。
自分たちの力で、未来を切り拓いていく。
その決意が、胸の中で燃えていた。
「リアナ」
セルゲイが立ち止まり、私を見つめた。
「もう一つ、君に伝えたいことがある」
「何?」
「実は、さっき真書の間にいる間に、また記憶の断片が戻ってきたんだ」
その言葉に、私の心臓が高鳴った。
「本当に?」
「ああ。七歳の夏、図書館の庭園で。君が社交界で嫌なことを言われて泣いていた。僕は君の手を握って、言ったんだ」
セルゲイは私の手を両手で包み込んだ。
「『リアナは、誰よりも優しくて、賢くて、素敵な女の子だ。だから、大きくなったら僕が君を守る騎士になる』って」
涙が、溢れてきた。
それが、失われた記憶。
セルゲイが私を愛した、最初の理由。
「覚えて……くれたんですね」
「ああ。完全ではないけど、大切な部分は戻ってきた」
彼は私の涙を拭った。
「そして今、改めて思う。あの約束は、正しかった。君は本当に、素敵な女性になった」
「セルゲイ……」
「だから、もう一度誓わせてくれ」
彼は片膝をついた。
まるで、騎士が主君に忠誠を誓うように。
「僕は、リアナ・ヴァレンティアの騎士であり、生涯の伴侶となることを誓う」
その言葉に、私は泣き笑いをした。
「私も誓います。セルゲイ・アルノの伴侶であり、共に歩む者となることを」
彼は立ち上がり、私を抱きしめた。
温かい抱擁。
全ての苦しみが報われた瞬間だった。
「これから、僕たちの物語が始まる」
セルゲイが囁いた。
「ああ。本当の、私たちの物語が」
私は彼の胸に顔を埋めた。
その時、どこからか本のページをめくる音が聞こえた。
振り返っても、誰もいない。
ただ、風が吹いているだけ。
でも、その音は確かに聞こえた。
まるで、真書が私たちの選択を記録しているかのように。
「行こう、リアナ」
「ええ」
私たちは再び歩き始めた。
王都の灯りが、夜道を照らしている。
遠くから、教会の鐘の音が聞こえてきた。
午前零時を告げる鐘。
新しい日が、始まろうとしている。
そして——私たちの新しい人生も。




