第4話|禁断の親子関係〜卵が先か、鶏が先か〜
朝の市場に、甘い香りが漂っていた。
エルネアが屋台の隣でプリンを作っている。小さな魔法使いの少女で、ピンクの髪を三つ編みにし、手のひらサイズの魔法の杖で卵液をかき混ぜている。
「ふわふわ〜、とろとろ〜」
呪文なのか独り言なのか分からない言葉を唱えながら、プリンカップに卵液を注いでいく。
『エルネア、朝から元気だな』
「コウちゃん! おはよう! 今日もプリン作るよ〜」
『プリン天使様って呼ばれてるんだってね』
「違うもん、魔法使いだもん」
そうやって笑っているエルネアの手が、ふと止まった。
「あ……」
『どうした?』
「卵、切らしちゃった……」
見ると、確かに卵のストックが空っぽだ。
「市場で買ってくるね〜」
『気をつけて』
エルネアがとてとてと走っていく。その後ろ姿を見送っていると――
◇◇◇
「すみません! 親子丼ください!」
突然の声に振り向くと、冒険者風の男性が立っていた。革の鎧を着て、剣を腰に下げ、お腹を押さえて苦しそうにしている。
「ダンジョン探索で疲れちゃって……親子丼が食べたいんです! 卵とじの、あの優しい味が!」
俺とフィオは顔を見合わせた。
『……親子丼』
「……親子丼ね」
沈黙が流れる。
親子丼。鶏肉と卵を甘辛いタレで煮込んで、ご飯の上にのせた日本の国民食。
問題は――俺が鶏だということ。
『おい、フィオ』
「なに?」
『これって……』
「うん」
『俺と俺の子供を煮込む料理だよな?』
「まあ、そういうことになるわね」
『倫理的にアウトじゃない!?』
《倫理指数:危険領域/共食い懸念:最大》
UI板まで心配している。
「あの〜、親子丼まだですか?」
客が催促してくる。お腹が鳴っている音が聞こえる。
『どうする!?』
「と、とりあえず……代替案を考えましょう」
フィオが慌てて提案する。
「七面鳥の肉と……アヒルの卵とか?」
『それでも鳥類じゃないか! 親戚だ!』
「じゃあ、豚肉と……」
『それもう親子丼じゃない!』
《混乱度:上昇中/メニュー迷走度:限界突破》
◇◇◇
そこへ、バルガが現れた。
「おはよう、コウ! 今日も筋肉に良い料理を……どうした?」
『バルガ! 助けて! 倫理的にヤバい注文が来た!』
「倫理的に?」
事情を説明すると、バルガが腕組みをして考え込んだ。
「なるほど……確かに複雑だな」
「でもお客さんは親子丼を楽しみにしてるし……」
フィオが困り果てている。
「あの〜、まだですか〜?」
客の催促がまた聞こえる。
『参ったな……どうすれば』
その時、エルネアが卵を抱えて戻ってきた。
「ただいま〜! あれ? なんで皆困ってるの?」
『エルネア! 大変なんだ! 親子丼の注文が来て……』
「親子丼? 美味しそう〜」
『美味しそうじゃなくて! 俺が鶏で、卵は俺の……』
「あ〜」
エルネアがぽんと手を叩く。
「それなら大丈夫だよ〜」
『大丈夫って?』
「その卵、鶏の卵じゃないもん」
『え?』
「市場のおじちゃんに聞いたら、七面鳥の卵だって〜」
俺とフィオが同時に卵を見る。
『……七面鳥』
「七面鳥ね……」
『でも七面鳥も鳥類だよな?』
「親戚は親戚よね……」
《血縁関係:遠い/倫理ジレンマ:継続中》
◇◇◇
さらに10分が経った。
客はもうお腹の音が止まらない状態で、他の客も「親子丼まだ〜?」と言い始めている。
『このままじゃマズい……』
「でも倫理的に……」
そこで、バルガが口を開いた。
「コウ、質問がある」
『なに?』
「君は、その卵を産んだ七面鳥を知っているか?」
『知らない』
「血縁関係はあるか?」
『……たぶん、ない』
「なら、問題ないんじゃないか?」
バルガの単純明快な論理だった。
「人間だって、同じ人間の肉は食べないが、牛や豚は食べる。つまり、種族が違えば問題ない」
『でも鳥類という大きなカテゴリでは……』
「コウちゃん〜」
エルネアが俺の羽根を軽く叩く。
「その鶏肉も、コウちゃんじゃないでしょ?」
『まあ、そうだけど』
「なら大丈夫だよ〜。コウちゃんが作るから、美味しい親子丼になるよ〜」
エルネアの天真爛漫な笑顔に、なぜか心が軽くなった。
『……そうか。俺が作るなら、ちゃんと供養にもなるかな』
「そういうこと!」
フィオがにっこり笑う。
「じゃあ、作ろうか。偽・親子丼」
『偽って言うな!』
◇◇◇
気持ちを切り替えて、調理開始。
まずは鶏もも肉を一口大に切る。俺は心の中で小さく手を合わせた。
『(ごめん、同族……美味しく作るからね)』
次に、七面鳥の卵を溶く。普通の鶏卵より少し大きくて、色も濃い。
『この卵も……ごめん』
「コウ、大丈夫?」
『大丈夫。プロ意識で乗り切る』
フライパンに出汁を入れ、醤油、みりん、砂糖で甘辛いタレを作る。俺のくちばし火力で中火をキープ。
《火力:中火/タレ温度:適正/罪悪感:軽減中》
タレが煮立ったところで鶏肉を投入。ジュージューと良い音が響く。
「いい匂い〜」
エルネアが嬉しそうに見ている。
『エルネア、君も卵料理専門だから、この複雑さ分かるよね?』
「う〜ん……でも、プリンもプリンで複雑だよ〜」
『プリンが複雑?』
「だって、卵がプリンになっちゃうんだもん。卵の立場から見れば、変身させられてるよ〜」
『……深いな』
哲学的な会話をしているうちに、鶏肉に火が通った。
ここで溶き卵の登場。
『さあ、ここが正念場だ』
卵液をフライパンに注ぐ。ジュワッと音を立てて、黄色い絨毯が広がる。
「半熟でお願いします!」
客からのリクエストが飛ぶ。
『了解! 火力調整、開始!』
くちばしの火を微調整し、卵が半熟状態になるようコントロール。強すぎると固くなり、弱すぎると生のまま。
《卵液凝固率:60%/半熟最適ポイント:あと30秒》
タイミングを見計らって火を止める。余熱で卵がちょうど良い半熟状態に仕上がった。
「完成!」
フィオがご飯の上に盛り付ける。黄色と茶色のコントラストが美しい。
◇◇◇
「お待たせしました! 七面鶏の偽・親子丼です!」
『"偽"って言うなって!』
「えっと……特製親子丼です!」
客が皿を受け取る。湯気がほかほかと立ち上り、甘辛いタレの香りが食欲をそそる。
「いただきます!」
一口食べて――
「美味しい! 卵がトロトロで、鶏肉も柔らかくて……最高です!」
その声を聞いて、俺の心に安堵が広がった。
『良かった……美味しく仕上がった』
「これ、普通の親子丼と何が違うんですか?」
『え?』
「いえ、『偽』って言ってたから……」
フィオと顔を見合わせる。
「えーっと……企業秘密です」
「そうなんですか。でも、すごく美味しいです!」
《客満足度:最高/倫理問題:解決済み》
◇◇◇
その後、親子丼の評判が口コミで広がり、次々と注文が入った。
「俺も親子丼!」
「私も!」
「その特製っていうのを!」
俺とフィオは息つく暇もなく親子丼を作り続けた。
『まさか親子丼でこんなに忙しくなるとは……』
「でも、みんな喜んでくれてるわね」
確かに、客たちの笑顔を見ていると、最初の倫理的な悩みも薄れていく。
「コウちゃん、すごいね〜」
エルネアが感心している。
「親子丼も卵料理だもん。私も勉強になる〜」
『エルネアも今度一緒に作ってみる?』
「うん! でも私、甘いものの方が得意だから……親子プリンとか?」
『それはもう別の料理だ!』
皆で笑っていると、バルガが感慨深そうにつぶやいた。
「料理の世界は奥深いな……倫理も哲学も含んでいる」
『バルガ、急に哲学者みたいになったな』
「筋肉を鍛えるのと同じで、心も鍛えなければならないことを学んだ」
《バルガ成長度:上昇/哲学レベル:+10》
◇◇◇
夕方、最後の客を見送った後、俺たちは疲れ切っていた。
「今日は特に忙しかったわね……」
『でも、良い一日だった』
その時、エルネアが不思議そうに首をかしげた。
「ねえ、コウちゃん」
『なに?』
「卵が先か、鶏が先かって、どっちなの?」
『え?』
「今日、親子丼作ってて思ったの。卵から鶏が生まれるけど、卵を産むのは鶏だし……」
俺は考え込んだ。確かに、これは古典的な哲学の問題だ。
『うーん……難しい質問だな』
「進化論的には、卵の方が先よ」
フィオが答える。
「魚や爬虫類も卵を産むから、鶏より卵の方が古い」
「でも、鶏の卵に限定すれば、鶏が先じゃないかな」
バルガも参加してくる。
「う〜ん、分からない〜」
エルネアが頭を抱える。
『でも、今日分かったことがある』
「なに?」
『卵が先でも鶏が先でも、両方とも美味しい料理になるってこと』
「あ、それいいね!」
フィオが笑う。
「哲学の答えより、美味しさの方が大事よね」
「そうそう〜! プリンも美味しいもん〜」
《哲学的悟り:開眼/料理人レベル:上昇》
UI板が何やら悟りを開いたような表示を出している。
◇◇◇
片付けをしていると、またあの白い影が現れた。
カーネル伯爵だ。
「今日も繁盛していたようだね」
『……』
「親子丼とは、なかなか挑戦的なメニューだ」
伯爵の視線が俺を射抜く。
「君が鶏でありながら、鶏料理を作る……興味深い矛盾だ」
『矛盾じゃない。これは俺の仕事だ』
「仕事、か。しかし、仕事も商品も、結局は価値で決まる」
伯爵がにやりと笑う。
「あと三日だね。楽しみにしている」
去り際に、ぽつりとつぶやいた。
「卵が先か、鶏が先か……どちらにせよ、最後は鍋の中だ」
『……』
バルガが拳を握りしめる。
「あの野郎……」
「大丈夫よ」
フィオが俺の背中を軽く叩く。
「コウはもう立派な料理人。誰にも負けない」
『そうだな。今日も一歩前進した』
《相棒契約 仮登録 達成率:15%→25%》
『おお、また上がった!』
「このペースなら、きっと大丈夫」
エルネアも嬉しそうに手を叩く。
「コウちゃん、頑張って〜!」
俺たちは夕日の中、明日への準備を始めた。
卵が先か、鶏が先か。
その答えは分からないけれど、一つだけ確かなことがある。
今の俺は、誰かを幸せにする料理を作る鶏だということ。
そして、それが俺の誇りだということ。