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まだ夜も明けきらない早朝の冷気に、ぼんやり身を任せていると自室の扉がノックされる。
その音で藤色の光球は舞い上がって消えた。
またそのうち戻って来るだろう。
返事をすればオルガが、軽食をワゴンに乗せて入ってくる。
そう、オルガ達も無事学院を卒業して、其々あるべき場所へ戻って行った。
エリューシアは、相変わらず表情筋が仕事をしないオルガが、軽食の準備をするのを眺めながら、思考の海に漕ぎ出してしまう。
エリューシアがこの世界に生まれ、真珠深としての記憶を残している事を意識してから、今日まで駆け抜けて気がする。
最初は何としても生き延びて、最推しアイシアを不幸にしない事ばかりに注力していた。
紆余曲折はありながらも、何とかゲームシナリオを阻止し、先んじて境地に戻って両親に色々と話した時には、エリューシアが頑張ってくれたおかげだと感謝して貰えたが、実際にはエリューシアだけが頑張っていた訳ではなく、両親を始めとした多くの者達に助けて貰ってばかりだった気がする。
今となっては警戒心MAXで赴いた学院での時間も、大切な思い出になったし、何よりクリストファと出会えた。
時折考える事がある…ゲームシナリオ通り、エリューシアが幼くして死亡した時間軸では、クリストファはどうしていたのだろうかと…。
彼の名も身分も知らず出会った時、妙に冷めた…言い方は悪いが、諦観を受け入れて生きている子供だなと感じた。自分の命にも執着がない子供だったから、話していた通り、あっさりと家も何もかも捨てて、ギルド員として食い繋ぎながら、何れあっさり死んでいたのではないだろうか。
いや…もしかしたら死ぬ為にギルド員になっていたのかもしれない。
そうならなくて良かった、出会えて良かったと、しみじみ思う。
塩漬けの薄切り肉と野菜を、パンに挟んだだけの軽食を自室でとると当時に、オルガがエリューシアの髪を梳き整え始める。
すこぶる行儀悪い行いだが、今日は特別だ。
此処で支度を終えてから、エリューシアは直ぐに公爵邸からほど近い神殿へ移動する事になっている。
そして神殿で最後の仕上げとなる戦いが、虎視眈々と待っているのだ。
オルガはこうして行動を共にしてくれているが、サネーラ達は神殿の方に先に向かって準備している為、現在邸内には居ない。
「お嬢様、お食事が終わりましたら邸での最後の準備の前に、忘れ物等のチェックをしてくださいね。
準備が終わり次第、即移動となりますので」
「ぁ…そう、だったわね」
エリューシアの髪の手入れを終えたオルガが、皿等を片付け、ワゴンを押して一旦部屋を出て行った。
それを見送ってから、エリューシアは幼い頃から使っている机に近づく。
抽斗を開ければ、そこには小さな金属製のバッジが1つ、転がっていた。
それを摘まんで見つめる。
丸く小さな金属の表面には、前世、近所にあった女子高のマークが刻まれている。
それを摘まんで持ち上げ、掌の上で転がした。
(……やっぱり…これは此処に残して行かない方が良いわよね)
同じ抽斗に入っていたエルルノート他は、既に荷造りを終えていたのだが、この小さなバッジはずっとどうするのが良いかと悩んでいた。
最初に現れた村近くの森に埋めるか、それとも……と。
聖女と言われたアヤコが、この世界に現れた最初の地に置き去りにしていた物だから、然程危険な代物ではないと思う。
残して行ったからと言って、時空を裂いたり等はしないはずだ。そんな危険な物品なら、イルミナシウスやネルファが何か言って来ただろう。
アヤコに告げた訳ではないが、ある意味彼女と同郷なのはエリューシアだけなのだ。
だからやはり自分が保管するのが適当かもしれない。
もし、万に一つ、機会があって女神イヴサリアに夢でも会える事があったなら、その時に聞いてみるのが良い様な気がした。
そんな事を考えている間に、片付けを終えたオルガが戻って来た。
「それではお嬢様、お召替えを」
着替えると言っても、馬車で移動する間のみの衣服なので何でも良いのだが…と言えば、オルガの眉尻がほんのちょっぴり跳ねた……かもしれない。
補足するなら『また面倒がってますね』と、呆れた様な表情と言う奴だ。
神殿に到着してからの準備の為に、着替えやすいワンピースドレスをオルガが選んだ。
普段一人で身支度できるエリューシアに、メイドの補助は本来必要ないのだが、今日は受け入れている。
「オルガ」
「………?」
目線だけで会話が成り立つのもどうだろうと、思わず苦笑が浮かんでしまう。しかし次の言葉に、オルガがわかりやすく固まった。
「今までありがとう」
「………」
「今日で最後だから……本当にありがとう」
能面宜しく、普段は感情をあまり映さないオルガが、唇を噛みしめる。
「お嬢様……訂正をお願い致します」
「ぇ…でも……」
「『これまで』ではございません」
オルガの眦から涙が溢れていた。
「『これから』も御一緒させてください」
「オルガは嫡女だから、こっちに残った方が良いでしょう?」
「それとこれとは話が別です」
次女とは言え、異父兄姉はバーネット家を継げないので、てっきり公爵領に残ると思っていたのだ。
「私はこの命果てるまで、お嬢様の御傍に居ります」
「………オルガ…」
「家の事は、まだ父も健在です。何の問題もありませんし、父からも許可を貰っています。
ですので、そのような事は、金輪際おっしゃらないでください。
良いですね?」
オルガがそう言ってくれるなら、それに乗ってしまおうと考える。
エリューシアだとて、ずっと共に育ってきたオルガと離れたくなんてないのだから。
嬉しくて、エリューシアも涙が堪え切れない。
そんなエリューシアの涙を、ちょっと照れたようにオルガがハンカチで拭ってくれる。
「今花嫁が泣いてどうするんですか…。
幸せ泣きは後に取っておいてください」
「ぅん」
エリューシアは、瞳を潤ませたまま、満面の笑みを浮かべた。
そう、今日はエリューシアとクリストファの結婚式が執り行われるのだ。
ここまでお読みいただき本当にありがとうございます。
まだまだ拙い初心者を脱せない紫には分不相応の『リクエストにお応えするぞ!』で開始となった本作ですが、リクエストに本当にお応え出来ているのか……(泣)
不安しかありませんが、何はともあれ、後もう少しだけ、お付き合いしてやって頂けましたら幸いです。
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もう誤字脱字他諸々のミス、設定掌ぐる~が酷い作者で、本当に申し訳ございません。見つければちまちま修正加筆したりしてますが、その辺りは生暖かく許してやって頂ければ幸いです<(_ _)>