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「おい」
アヤコは薄雲が広がり始めた星空を、ぼんやりと見上げたまま動かない。
「アヤコ」
やっと声に気付いたのか、のそりと首を巡らせれば、チャズンナートが立っていた。
一瞬『何でこいつが居るんだろう?』と思ったが、考えるまでもなく居て当たり前だ。此処はチャズンナートの住まう邸なのだから。
一応家人の前だからと渋々立ち上がるが、チャズンナートの口から出た言葉は期待外れ……だが、自分の用件しか興味がないと言う意味では、実に想定内の言葉だった。
「お前、ダンスは大丈夫か?」
ぐったりと顔色も悪いままへたり込んでいて、立ち上がってもゆらゆらと身体を保持しきれないでいるアヤコを心配するでもなく、俺様公子はそんな言葉を吐く。
「……それ、今話さないといけない?」
「あ?」
「見てわかんない?
あたし、めっちゃ疲れてんの!」
「ふぅん。
でもそれ、俺が悪い訳じゃないだろ?」
アヤコは盛大に溜息を落としながら、『こういう奴だったわ』と諦めた様に首を横に振った。
「はぁ……ダンス?
なんかさせられたけど、随分前になるかな……思っきり足の甲踏んづけてやったら、講師だっけ? もう来なくなってそれっきりよ」
ぶっきらぼうに言うアヤコに、チャズンナートが口をへの字に曲げた。
「お前なぁ……それ、俺にはするなよ? つっか、前にもダンスの練習しとけって話、出なかったっけ?」
「はぁ? そんなの知らないわよ。それに、そんな余裕ないって……。
ニヤけた、きしょいオッサンとか化粧ババアの癒しを毎日よ? もうホント拷問されてる気分…。
あ~~~辛い…辛すぎる…気分転換にも事欠くなんてありえなくない?
なんでこんなに娯楽に乏しいのよ!
ゲームしたい、スマホ欲しい…音楽もクラシックオンリーとか、やめて欲しいわ…」
アヤコが愚痴って言うゲームもスマホも、チャズンナートにはさっぱりわからない。だからあっさりとスルーして、くいっと顎先をしゃくった。
欠片も気にする様子がない事に、ちょっとイラっとしそうになったアヤコだが、立ってるのがやっとの身体を何とか動かす。
そのまま手近な部屋に入る彼の後に付いて行くと、示されるより早くソファに倒れ込んだ。
「父様の前ではするなよ、ソレ」
「……はいはーい」
心の底から面倒くさそうに、アヤコが寝そべったまま手をヒラつかせる。
チャズンナートがメイドを呼び、お茶のセットを準備させている間、話を続けた。
「ドレスや靴も間もなく届くから、確認しておけよ」
意外に甲斐甲斐しい物言いに、アヤコが顔を向ける。
だが、その表情は何の感情も映していないかのように見えた。
「……わかった」
用意されたカップに手を伸ばし、話す事はもうないと言いたげなチャズンナートから、虚ろな目をぼんやりと天井へ向ける。
――あたし……どうしちゃったんだろ…
――新しいドレス、靴、アクセサリー……どれもすっごく嬉しかった筈なのに…ま、それしか楽しみがないとも言えるけど…
――チャズとの婚約だって、こんなイケメンなんだし、何よりお貴族様で贅沢だって出来て、更に将来は王妃よ王妃!
――嫌いじゃないんだから十分よ!
――それなのに……
――…きっと疲れが溜まってるんだな
――それとも、さっき見た空のせいかな……
自分の感情の揺れから、アヤコは目を逸らす。
だって考えたところで仕方ない。
今更あんな風に人が消えるなんて思わなかっただなんて、ただの言い訳だ。それにヴェルメはアヤコにとって救世主で、恐ろしいなんて思ってはいけない。
何を、誰を犠牲にしても良いと決めたのはアヤコ自身で、そんな彼女に後悔する資格なんてない。
わかってはいるが、今は弱音を吐きたい気分なってしまっていた。
――……お母さん、お父さん…ユキコ、カナちゃん………会いたいよ…
――バカ彩子…日本に戻る手段なんてないんだから
――ううん……戻る手段があったって、あたしは帰れない…
アヤコはソファに仰向けに寝そべったまま、自分の手を見つめる。
――あたしはもう人殺しなの
――もう汚れちゃったんだから…
――…引き返せない……取り返しなんてつかない…
アヤコは腕で顔を覆った。
眠るクリストファの傍らで、本を読んでいたエリューシアが、ノックの音に顔を上げた。
返事の後、開いた扉から顔を覗かせたのはコンスタンスだ。
彼女の初来訪から暫くして、コンスタンスは学院を休学し、王都の公爵邸に居を移した。
まだベッドから抜け出せないクリストファとも、顔合わせを終えている。
「どうしたの?」
扉の隙間から顔だけを覗かせているコンスタンスに、エリューシアは首を傾げた。
「衣装、これで如何でしょう…」
もじもじと姿勢を正したコンスタンスは、何時もの装いではなく、男性用の衣装に身を包んでいる。
本人も届け出通り、普段は女性として過ごしているので、慣れていないし、何より落ち着かないのだろう。
最初はエリューシアのドレスの色に合わせようとしてくれたようだが、敵陣に乗り込むようなものだし、何があるかわからないからと、動きやすさを重視で選ぶようにお願いしておいた。
そのせいか上着の丈も控えめなのだが、急遽の手直しだったせいか、少し肩のあたりが合っていないようだ。
其処は後で再度手直しをするとして、特に問題はなさそうである。
「コンスタンスが動きやすければ、それで構わないわ」
「はい、動きには特に」
「ただ肩の部分が少し合ってないようだから、後で再度手直しになると思うから、また確認しておいてね」
そんな話をしていると、ベッドの方でもそりと動く気配があった。
直ぐに其方を向くと、クリストファが薄く目を開いている。
「ジール、お水飲む?」
エリューシアが直ぐに水差しに手を伸ばす様子を見て、クリストファは弱々しい笑みを浮かべた。
ついさっきまで恥ずかしそうにしていたコンスタンスも、慌ててタオルの準備等に動く。
「……大丈、夫……」
顔合わせは勿論、詳しい紹介も終えている為、コンスタンスの能力もクリストファは承知している。
だからこそ、普段と違う装いに、クリストファは申し訳なさそうに目を伏せた。
「………済…まない。君、に…負担を…
僕…が、間に…合いさえ、す、れば……」
「クリストファ様、精一杯務めますので、どうか御安心くださいませ。
お嬢様は必ずお守りしますわ」
装いと口調のギャップ……何よりコンスタンスの肩口からひょこっと顔を覗かせた蟲達に、エリューシアとクリストファは、揃って引き攣った笑みを浮かべた。
ここまでお読みいただき本当にありがとうございます。
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もう誤字脱字他諸々のミス、設定掌ぐる~が酷い作者で、本当に申し訳ございません。見つければちまちま修正加筆したりしてますが、その辺りは生暖かく許してやって頂ければ幸いです<(_ _)>