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夢の岸辺から意識が戻ったのか、久しぶりにクリストファがその金色の宝石眼を薄く開いた。
「…………」
クリストファの唇が動く。
聞き取ろうとエリューシアが耳を寄せるが、少しして痛みを堪えるかのような泣き笑いを見せた。
そしてゆっくりと首を横に振る。
「諦めようとしないで…。
ジール、貴方が諦めてこの世を去ると言うなら、私……追いかけるからね?
この世界も身体も、何もかも捨てて追いかけるからね」
クリストファはその言葉に辛そうに目を閉じた。
眦から雫が一筋流れ落ちる。
そのまま再び意識を手放したらしいクリストファの頬に、エリューシアは指先をそっと寄せて雫を拭う。そしてイルミナシウスとネルファに頷いた。
まずは手の先。
そこから始まって、丹念に調べていく。
イルミナシウスに合わせて、エリューシアとネルファも補助に回るが、いつも以上にゆっくりと進む探査に、室内は息苦しい程の静寂に包まれた。
誰ともなく、今日はここまでと、言葉が出かけたその時……。
「見つけた…」
イルミナシウスの微かな呟きに、空気が揺れる。
エリューシアと同じく補助に回っていたネルファがホッとした様に口を開いた。
「一安心ですね。
明日は何とか摘出まで辿り着ければ…」
だがその言葉にイルミナシウスが声を被せ、刺すような視線を向ける。
「馬鹿を言うでない。
そんな呑気な事を言っておる場合か?
クリスの体力も限界が近い。このまま取り出すのじゃ」
その言葉に流石にエリューシアも目を見開いた。
「イル様……ですが、イル様も休まないと」
「我は…クリスから取り出してから、心置きなくゆうるりと休ませて貰うとしよう」
困ったように顔を見合わせるエリューシアとネルファに、イルミナシウスはほんの少し肩を竦め、わざとらしく情けない表情をして見せる。
「そうなれば我は矢が振ろうと槍が振ろうと、微睡から暫くは戻れまいがな…まぁ、その時はその時じゃ。
故に……済まぬがヴェルメの事は頼むぞ」
イルミナシウスの力なくして、魔女の作品だとか言う凶悪な存在ヴェルメを、どうにか出来るのか、エリューシアにはわからない。
不安の色を滲ませて眉尻を下げれば、イルミナシウスがニッと不敵に笑った。
「大丈夫じゃ。
現に残滓を浄化し、退けておるではないか。
其方なら必ずや果たせよう。ネルファもおるしの。
だから今はクリスの事に注力すべきじゃ。
摘出が成ったとしても、ここまで衰弱した身体を戻すのは一筋縄ではいくまい。
しかし其方とクリスなら、それも成し遂げられるはず」
神の眷属からの信頼が重い。
半ば自分に言い聞かせるように『はい』と返事をすれば、イルミナシウスはやれやれと言いたげに肩を竦めて見せた。
「案ずるでない。
それに、乱暴な言い方をすれば、失敗したらした時の事じゃ。
次の機会が永遠に失われると決まった訳ではない、そうじゃろう?
彼奴とて、おめおめと囚われるつもりも消されるつもりもないじゃろう。となれば抵抗してくるのは想定内の事。
相手が大人しく屈しないと分かっているなら、勝負の行方はわからぬと思うて事に当たれば良い」
何とか慰めようと…励まそうとしてくれているのはわかる。
確かにクリストファの状態は一刻の猶予もなさそうで、このまま取り出してくれるというのなら、エリューシアにとって願ってもない事だ。
ただ、敵はこのイルミナシウスやネルファから逃げおおせた存在。不安になるなと言う方が無理と言うものだろう。
しかし…恐らく楔の摘出は、イルミナシウスの力なくしては成しえない所業だ。
エリューシアやネルファで事足りるなら、最初からイルミナシウスからそう告げられているはず。
………詰まる所、選択肢はないと言う事だ。
ならば応えるしかないだろう。
再度『はい』と頷く。
その後夕食も何もかもすっ飛ばして、一晩掛けてクリストファから黒き刃の残滓を取り出す事に成功した。
真っ黒な楔は、例えるなら黒曜石の破片……そう言えば伝わるだろうか…・
大きさも決して大きくはない…いや、反対にとても小さい。
エリューシアの記憶よりも、随分と小さく感じられた。
不思議に思いそれをそのまま話すと、恐らくだが…と前置きはされつつも、考えられる事を話してくれる。
最初物理的には腹部に刺された刃だが、その術…最早呪いと言っても良いだろうソレが、発動するのは心臓である必要があったのだろうと言う事だった。
だが、結果としてクリストファは精霊フィンランディアの力で以て生還し、無意識に自身の心臓から呪いの源を遠ざけていたと考えられるそうだ。
しかし、ここ最近になって、何らかの理由で楔が再度、その力を強めたのではないかと言う。
そのせいで遠ざけたはずの楔が、その身を削って今一度、クリストファの命を脅かし始めたのだろうと……。
理由はいくつか考えられる…と言うか、はっきり言えばわからないとの事だ。
精霊の力が弱まったのかもしれないし、反対にヴェルメが力を強める事で、同質の力を基とする楔が、ソレに呼応して活性化したのかもしれない。それ以外に、もしかすると複数の理由が重なった可能性もあるし、此方には全く想定外の理由があるのかも……と言っていたが、とりあえず危機は脱した。
クリストファは暫くベッドの住人になる事を余儀なくされるだろうが、生きていてくれるだけで今は十分である。
その後、それぞれ部屋に戻り、心からの安心を得て眠りについた。
翌朝、久しぶりにぐっすりと眠れたエリューシアは、気持ち良く目覚めた。
少々寝過ぎてしまったようで、すっかり朝食の時間を過ぎている。
ならば焦る必要もないと、何時ものように一人で身支度を済ませ、クリストファの部屋に向かうべく自室を出た。
体力が限界に近かったのだから、楔は抜き取れたとは言え、今暫くは寝たきりになるだろう。
無事の確認が出来ればそれで良い。その後はイルミナシウスとネルファの様子も確認しなければならない。
「お嬢様」
廊下に出たところで、サネーラに呼び止められる。
「サネーラ、おはよう」
挨拶は大事だ。
しかしエリューシアに身支度の手伝いは必要ない。何時もの事で一人で終えてしまうのに、何事だろうと首を捻ると…。
「朝食の準備が整っております」
すっかり目覚めるのが遅くなった為、昼食で兼用すれば良いかと思っていたのだが、どうやら両親も珍しく起床が遅くなったらしい。
聞けば昨夜の騒動が原因だったようだ。
エリューシアは苦笑を漏らす。
確かに夕食も何もかもすっ飛ばしてクリストファにかかりきりで、心配した使用人はじめ、両親も何度か様子を見に来ていた。
返事をする余裕もなかったが、落ち着かない様子で来ているのには勿論気付いていて、思い返せば当然かと納得する。
よくよく見れば、サネーラの目の下にも、薄っすらと熊さんが鎮座していた。
新たに購入した王都の邸の食堂はあまり広くない。
いや、その言い方は語弊がある……十分広いのだが領邸に比べると狭いと言う意味だ。
しかしそのおかげで、人同士の距離は以前より近くなっている。
領地の邸であれば気付かなかったかもしれないが、食堂に入った途端、既に席についていたアーネストの顔色の悪さに目を見開いた。
昨夜の騒動のせいかとも思ったが、それにしては表情に苦いモノが入り混じっているように見える。
アーネストだけでなく、母セシリアの顔も冴えておらず、エリューシアは足を止めたまま首を傾けた。
ここまでお読みいただき本当にありがとうございます。
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