67
貴族街の一等地に、一際目立つ大きな邸――グラストン公爵邸がある。
当主リムジールが離婚して以降、使用人が次々と職を辞し、今では数え上げるのに苦労はない程度しかいない。
しかも残っているのは有能とは言い難い者ばかり……有能な者達はシャーロットの方を慕っていたのだから仕方ないとは言え、その寂れ具合は酷い物だった。
庭は放置状態なのが丸わかりだし、邸内でさえ人の出入りのない場所は掃除もされなくなって久しい。
その上、領地経営の方まで気が回らず、見兼ねて執事が執務官を連れて領地へ行ってしまった事もあって、生活の質は下がる一方だった。
執事はリムジールも領地へ赴き、領政を立て直すべきだと進言してきたが、これまでずっと王都に留まり、自領へ足を向けた事のないリムジールには、王都を離れ其処で領民と共に暮らすと言う考えそのものがない。
常に支えなければならない兄王が居たのだから仕方なかった部分もあるが、彼自身が気付いていない感情もあって、どうしても自分は王都に居るのだと言う考えを捨てる事が出来なかったのだ。
リムジールは執務机に座ったまま、先程サインし終えた羊皮紙に目を落とす。
それを封じてからペンを置き、眉間を指で揉み解した。
端に置かれたカップに手を伸ばすが、既に冷め切った茶は香りも飛んでしまい飲む気になれず、一瞬顔を顰める。
メイド長はシャーロットが出て行くのに合わせて職を辞し、現在残ったメイドを取り纏めているのは、まだ経験の浅い女性なので、日々仕事を回すのに手一杯で、質の向上にまで気が回っていない。
仕方ない事ではあるが、リムジールは溜息と共にカップを戻した。
シャーロットと離婚してから、本当に…何もかも上手くいかない。
身内のやらかしを発端に、外交にも手が回らない……いや、もし手が回ったとしても上手くいく気はしなかった。
これまで妻であるシャーロットが全て御膳立てして、リムジールは楽しく歓談すれば良いだけだったのだ。
根回し他、事前準備がきちんとされない外交等、成功する訳がないと言われ、渋々引き下がるしかなかった。
実際、離婚した直ぐの時期に行った外交結果は散々なものだったから仕方ない。
「………はぁ…」
再び溜息が漏れる。
兄のやらかしを見ていたし、外交を担っていたのだから、浮気等は流石に考えた事はない。
だからと言って、妻シャーロットに対して愛情があった訳ではない。
いや、長く共に生活し、後継作りの為に閨を共にしなければならなかったのだから、家族としての情はあったと思う……多分…。
しかし、兄のやらかしの尻拭いの為に娶っただけというのも正解で、彼女の事を特に知ろうと努力した事はない。
シャーロットもそれに異を唱えなかったから、それで良いと思っていた。
そう言うモノだと思っていた。
妻としてちゃんと尊重はしてきたつもりだから、彼女もそれで納得し、喜んでいると思い込んでいたのだ。
それなのに………。
彼女はあっさりと自らの地位も名声も、そしてリムジール達家族も捨て去った。
しかも離婚理由が『家族を蔑ろにしていたから』『わかり合う事は疎か、歩み寄る事さえ難しい』……。
訳が分からなかった。
娘を見殺しにした、次男を冷遇した。
急にそんな過去を責められても、何が悪かったのかさっぱりわからない。
嫡男に病を感染されては困る――だから離れへ行けと命じた。
嫡男以外は嫡男の影に生きなければならない――自分はそう教えられてきたし、それ以外の考えなど知らない。
後悔しても何も変わらない。
いや、それ以前の話で、何を後悔すれば良いのかさえ分からない。
友人も……少なくともラステリノーア公爵アーネストは、自分の友人だと思っていた。
王弟として、自身の側近に…と言う打診は断られたが、シャーロットとセシリアの関係を通してではあるが、親交を深めてきたと思っていた。
なのに息子チャズンナートとの縁談も門前払い。
「ふ……違うな…。
あいつは…アーネストは未だロザリエの恨みを引き摺ってるんだろう…」
苦い笑いが洩れる。
友人だと思っていたから、彼の妹への横暴には苦言を呈したし、当時の宰相ザムデンからも兄ホックスは反省を促されていた。
だが、結局はそれでは足りなかったと言う事なのだろう。
頭でそう考えるに至っても、リムジールには理解が及ばない。
何故シャーロットもアーネストも許してくれないのか。
きっとリムジールには一生わからない。
妻なのに(妻でしかない癖に)
友人なのに(友人の前に臣下でしかない癖に)
そんな自分の裏の声に耳を傾ける事はない。
だから、わかる事はこれ以上考えても無駄でしかないと言う事だけ。
リムジールは背凭れに体重を預け天井を仰ぎ見る。
ゆっくりと目を閉じ深呼吸した。
妻も、友人も、家族も居なくなった。なら、それでも残ってくれた者達の手を取るしかない。
執務机に置かれたベルを手に取る。
ベルを鳴らして暫くするのに、なかなかやってこない使用人にイライラが募るが、そこはグッと堪えた。
人数が減っているのだから、どうしようもないのだと言う事は、流石にリムジールとて理解している。
随分と経ってからやってきたメイドに、先程封じた書簡も含めて何通か渡しながら、チャズンナートを呼ぶように命じた
『畏まりました』と下がって行く姿から目を離し、リムジールは窓の方へ近付き空を見上げた。
何としても聖女とか言う存在を盾に、王城へ返り咲くのだと、リムジールは自身を鼓舞する。
自分が返り咲けば、それは嫡男チャズンナートの為になるのだから。
暫くしてチャズンナートがリムジールの執務室にやって来た。
「父様?」
窓から外を眺めて背を向けているリムジールに、扉を閉めたチャズンナートが声を掛ける。
「あぁ、来たか」
執務机の方へ促し、リムジールは椅子に腰を下ろす。
チャズンナートも近くの椅子に座った。それを見てからリムジールが話し出す。
「チャズ、お前の婚約誓書にサインをした」
「ふぅん」
「相手は「どうせアヤコだろ?」……あぁ、そうだ」
ニッと形容にし難い何かを含ませた笑みを浮かべるチャズンナートが、リムジールの言葉に重ねてきた。
「もっと美人が好みだけど、政略だし仕方ない。でもまぁ、アヤコと居るのは退屈しないからから、受け入れるよ」
「そうか。
それでなんだが、商会の手配をしてある。
返事待ちだが、明日、明後日は予定を入れるないように」
「…わかった」
用件はそれだけと思ったのか、チャズンナートは椅子から立ち上がって執務室から出て行こうとする。
「チャズ。
彼女とダンス他しっかり励め。無様な姿は見せてくれるなよ?」
リムジールの言葉に、チャズンナートは足を止めて振り返った。
「ダンス? あぁ、婚約披露か…。
ふぅん……ま、頑張ってみるけど…って。何時?」
「衣装他の仕上がり次第だが早ければ早い方が良い…なんとしてもソドルセンの夜会の前に、お前たちの婚約披露パーティを捻じ込む」
「へぇ」
面白そうにニヤニヤと笑うチャズンナートだが、リムジールの次の言葉に顔を引き攣らせた。
「まだ確証はない。
しかし、恐らくソドルセンの夜会でラステリノーアが婚約発表を行う…と思う」
「……………それって…俺のスペアの…って事?」
「そうだ」
「ハハッ、それは何としてもぐちゃぐちゃにしてやんないとだ。
父様、商会を絶対に急かして。
何が何でもアイツより先に婚約披露で目立たないと!」
「あぁ、その通りだ。
スペアが嫡男を押し退ける等、あってはならない事だ」
チャズンナートは、目をぎらつかせて嫌な笑いを口元に刻んだ。
ここまでお読みいただき本当にありがとうございます。
リアル時間が少々慌ただしく、隙を見計らっての創作、投稿となる為、不定期且つ、まったりになる可能性が高いですし、何の予告もなく更新が止まったりする事もあるかと思いますが、どうぞ宜しくお願い致します。
こちらももし宜しければブックマーク、評価、リアクションや感想等、頂けましたら幸いです。とっても励みになります!
(ブックマーク、評価、リアクションもありがとうございます! ふおおおって叫んで喜んでおります)
もう誤字脱字他諸々のミス、設定掌ぐる~が酷い作者で、本当に申し訳ございません。見つければちまちま修正加筆したりしてますが、その辺りは生暖かく許してやって頂ければ幸いです<(_ _)>