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エリューシアの声にピクリと微かに身を跳ね上げると、ネイサンは困っているとも、怒っているともとれそうな、曖昧な表情を浮かべる。
「ぁ……申し訳ございません」
先を促すように沈黙を保っていると、ネイサンは眉根を寄せて溜息を吐いた。
「その…思わぬ人物を見かけてしまったもので、つい…」
「思わぬ……? それはどう言う人物なの?」
重ねて問われ、ネイサンは馬車の外、シディルとニーナに近づいていくアッシュの背中を見ながら話しだす。
「それが……私と目があったせいか、逃げるように何処かへ立ち去ってしまいましたが、あれは確かにグラストン公爵家からの遣いで訪れた少年です」
思わぬところで思いがけない名を聞き、エリューシアは目を丸くした。
「思い違いなら良いのですが、シディル達の跡を付けていたような……陰に隠れて窺っているような様子だったのです」
なるほどと合点がいった。
学院を襲った魔物の一連の件に焦りの様なモノを感じたのも、聖女が大きく行動し始めたのも、どうやらシディルとニーナの動きから推測されたのだろう。
ラステリノーアが近々動くと言う推測を。
だから諸々急いだのだと考えれば納得がいく。
そうしているうちに、アッシュがシディルとニーナを伴って戻って来た。
「お嬢様、申し訳ございません……本当に宜しいのでしょうか…」
ニーナがおどおどと、馬車の中で待っていたエリューシアを見上げる。
ニーナは…いや、ニーナだけでなくシディルもそうだが、2人は元々ラステリノーア公爵家に仕える使用人ではなかった。
グラストン公爵家に仕え、クリストファの傍付きとして働いていたのだが、色々あって現在はクリストファ共々ラステリノーア公爵家に身を寄せている。
そしてラステリノーア公爵家が、如何に普通じゃないのかを、改めて突きつけられた。
馬車に使用人を同乗させる事もそうだが、公爵一家全員が、自分で出来る事は何となく自分で済ませている。
エリューシアがダントツで顕著だが、アーネストは勿論、セシリアやアイシアも、メイクアップやドレスアップ等、一人でどうにもならない事は兎も角、洗顔他、自分で出来る事で態々使用人を呼びつけたりしない。
他にも上げ始めればキリがないが、他家ではありえない距離感と言えば良いだろうか…。
だからニーナの態度もわかるのだが、もうラステリノーア公爵家へ来てそこそこ時間が経つのだから、そんなに遠慮しないで欲しいと思う。
とは言え、一朝一夕でどうこうなるものでもないだろうから、馴染んでくれる事を待つしかない。
「えぇ、勿論。
荷物を入れ終わったら、ニーナとシディルも乗って頂戴」
遠慮しようとするのを宥めて全員で乗り込み、無事に王都に新たに購入した公爵邸へ到着する。
アッシュのエスコートで馬車を降りると、エリューシアはゆっくりと邸を見上げた。
郊外と言う程外れた場所ではないのに、敷地が広い。
聞けば邸の奥側には更に広い庭が広がっているらしい。
これならイルミナシウスとネルファが本来の姿で庭に出て寛いでも、外から見られる事はないだろう。
「凄いわね。
仮にも王都でこんな屋敷を探せるだなんて……。
ニーナとシディルは王都に詳しいのね」
エリューシアの呟きが聞こえたのか、荷物の整理をしていたシディルが顔を上げて、照れたように笑った。
「詳しいと言うか……グラストンじゃこっそりが基本だったもんで♪
おかげで抜け道とかには詳しくなりましたよ」
「これ! シディル! お嬢様になんて口の利き方を……」
クリストファの傍付きと言う事もあって、話す機会も多かったシディルはエリューシアと気安い。
だが真面目で几帳面なニーナは、最低限の節度は保てと言いたいようだ。これまでも度々注意を受けていたのだが、最早日常の風景の一つでしかない。
引き攣った顔のシディルには申し訳ないが、そんな様子も微笑ましく、エリューシアはホッと力を抜いて微笑んだ。
「あら、これは…?」
夕食もデザートのみとなった所で、運ばれてきた皿にセシリアが不思議そうな声を上げる。
それにアーネストが苦笑を交える。
「あぁ、私も聞いて居なかったらセシィ同様問うていただろうね」
クリストファやイルミナシウス、ネルファも同じように見た事のない黒い粒と、甘い香りに目を瞬かせている。
エリューシアは小さく笑って口を開いた。
「ニーナとシディルが買い出してきた荷物の中にあったのです。
甘い香りが素敵でしょう?
バニラビーンズと言います」
どうやらシディルとニーナには顔馴染みの香辛料の店に立ち寄ったらしく、その時に店主から買ってくれと頼みこまれたらしい。
店主が馴染みの行商から仕入れたらしいのだが、値段が張る為、売れ残って困っていたのを仕方なく購入してきたのだそうだ。
そんな事情だったので、かなり値引きはしてくれたと聞いている。
発酵乾燥を繰り返し、作る工程に人の手がかかる為、現代日本でもお安いとは言い切れない値段の代物だが、正直この世界、この国での正規の値段など聞きたくはない。
この国の気候・環境では育たない植物なので、そこも値段に大いに反映されている事だろう。
「そうなのね。
いつものアイスクリームと違ったから、つい見入ってしまったわ
それにしても…本当にウットリするような香りね」
ラステリノーア公爵家ではアイスクリーム等も普通に供されている。
エリューシアが食べたくなったら代替品を探したり、自作したりする為、市場に出回っていない料理や菓子も、此処では珍しくない。
それもこれも、運良く甜菜糖を見つける事が出来たからに他ならないが…。
そんな楽しいデザートタイムも終わり、少しばかり歓談していると、アッシュが羊皮紙を巻いた書簡や手紙類を持ってきた。
受け取って眺めていたアーネストの表情が、1通の手紙で曇る。
「地獄耳だな…」
呟きを聞き咎めたセシリアが、アーネストに視線で『どう言う事だ? 説明を求む』と圧をかける。
愛してやまない妻の可愛らしい様子に、アーネストが柔らかく微笑むが、表情はすっきりしないままだ。
「ソドルセン……スヴァンダット殿からだよ。
夜会へ顔を出せと言って来た。
全く…情報の早い事だ」
エリューシアから、シディルとニーナを尾行していたグラストンの者が居たようだと、既に話はしてある。
後で確認をしたが、該当する人物はリムジールの嫡男チャズンナートの乳兄弟で従者でもあるティーザー・ガバッキーと言う人物だろうとの事だった。
優しく大人しい性格と言われているが、どちらかと言うと気弱でNOと言えず、結局捌ききれない頼まれ事でにっちもさっちもいかなくなる不器用人間……とは、シディルの談だ。
その上、要領も悪く仕事の手は遅く頼りないそうだが、普段から存在感が薄く、確かに尾行等には最適な人物かもしれないと言っていた。
シディルがそんな辛辣な物言いをするのは、そのティーザーが原因で、長くクリストファと引き離され、不遇の目にあっていたからだろう。
ここまでお読みいただき本当にありがとうございます。
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