16
あの密談とも言えない内緒話の後、先に部屋を出たエリューシアは、セシリアの待つ談話室へ足を向ける。
ノックをして扉を開けば、茶葉の馨しい香りに包まれた。
「あら、エルル一人?」
「お父様も直ぐ来られると思います」
「そう、男性陣は揃って遅刻ね」
茶目っ気たっぷりにウィンクをして笑いながらセシリアが言った言葉に、エリューシアは改めて室内を見回す。
返事を書いてくると言ったクリストファも、まだ来ていないようだ。
「先に始めちゃいましょ」
そう言うとセシリアは、お茶と菓子をテーブルに置いた。
それを見たエリューシアが、微かに苦みを含んだ笑みで、眉尻を下げる。
「これ、美味しいわよね」
アーネストもクリストファも、後程来る予定なのに、何故それなのだ…と笑うしかない。
セシリアが嬉々として出してきた菓子は、職人が作ったものではなく、エリューシアが実験の一環で作ったものだ。
そう、甜菜糖……あれを使ったレシピを考案中で、その時の成果なのだが、あの甘さにセシリアが嵌ってしまった。
一応、前世でお菓子作りの経験があると言っても、店へ行けば製菓用の材料も器具も簡単に手に入った日本と違い、此処では代替品だったり、味に癖があったり等々と、なかなかどうして、一筋縄ではいかない。
勿論魔法他のある世界なので、思わぬ便利に感動したりする事もあるが、当然ながら感動する以上に、思わぬ不便に頭を抱える事も多い。
今でこそ実験回数も減ったが、最初の頃は連日甘い香りや焦げ臭さが漂っていた。
甜菜そのものは、公爵領に戻ってきてから育成環境を整える等していて、ある程度量産の目途も立っているのだが、管理体制をどうするかで悩んでいる。
領民達を信用しない訳ではないが、何処にでも口が軽い人物と言うのは居るものだと思っておいた方が良いと、エリューシアは考えている。
何れ情報は洩れて、公爵領以外でも育てられるようになってしまうだろうが、独占期間は長いに越したことはない。
その為、魔法や錬金を駆使して、色々仕込んでみたり等、試行錯誤中なのだ。
アーネストもクリストファもなかなか現れず、母娘の時間はゆったりと流れる。
手にしていたカップを置き、だけど目線は下げたままエリューシアを見る事なく、セシリアが呟いた。
「でも、良かったわ……」
「……? お母様?」
語尾に疑問符を練り込んで、エリューシアがセシリアに首を傾けた。
「婚約が……ね」
エリューシアが納得した様に、『あぁ…』と小さく頷く。
「もう聞かされてるかもしれないけれど、回避する事は難しいかもしれなくて…」
『何を』を言葉にしないのは、言霊を恐れているからなのか、それとも単なる警戒心…いや、気遣いかもしれない。
それに、頷きはしたものの、セシリアが本当に考えていた事ではない可能性がある。けれど心配してくれた事は間違いない。だから頷いた。
婚約が成立しないままクリストファが王位を継ぐとなった場合を、セシリアは脳裏に描いたのだろうと、エリューシアは考えたのだ。
王位を継ぐと決まってからの婚約となると、国としての利益他諸々の前に、自分達の意思や感情はあっさり無視されただろう可能性は高い。
尤も、身分的には問題が無いし、現在公爵位で女児がいるのはラステリノーア公爵家だけだ。なので王位継承後であっても婚約出来る可能性はなくはない。しかし諸外国との関係や、貴族等の力関係等々、立ち塞がる問題は枚挙に暇がない程で、すんなりとはいかないだろう事は簡単に予想がつく。
「それにしても遅いわね…」
セシリアが少し表情を曇らせて扉の方を見つめる。
「食事の時間もありますし、呼んできます」
「でも……」
「折角お母様が淹れてくださったお茶が台無しになってしまいますし」
「お茶は淹れ直せば良いだけだから、構わないのだけど…」
そう言いながらセシリアが視線を向けた先には、残り少なくなったお菓子の皿があった。
「旦那様とクリスが来る前に食べきってしまいそうなのよね…」
心底困ったと言いたげに、しみじみと宣うセシリアを見て、エリューシアは苦笑する。
「またそのうち焼きます」
「そうは言うけど、エルルだって忙しいのがわかってますからね。
仕方ないわ。私は旦那様に声を掛けてきますから、エルルはクリスの方をお願いね」
アーネストの方へ向かったセシリアの背を見送ってから、エリューシアもクリストファの部屋がある離棟の方へ足を向けた。
本棟から続く廊下を行けば、離棟へ向かうのに外へ出る必要はなくなるが、少し遠回りになってしまう。
なのでエリューシアは外の庭園を抜けていくルートを選択した。
近くの扉から外へと出ると、まだ春になり切っていない空気は冷たく、肌に突き刺さる。少し足早に離棟を目指すが、途中の庭園の一角で思わず足を緩めた。
恐らくこの世界…と言うよりこの国では珍しいだろうと思われるが、ラステリノーア公爵家の庭師長は女性である。
かなりの高齢のはずだがとても矍鑠としていて、弟子達に元気に指示を飛ばしているのを見かける事もあった。
そんな彼女の感性は見事なもので、まだ春浅く冬の名残が感じられる時期だと言うのに、早春の花々をもう仕込んであったのだ。
春が深まれば更に鮮やかに色付くだろう庭だが、既に淡い彩を見せていて美しい。
前世の雪割草に近いだろうか…あれよりさらに小さな花だが、薄桃色の花弁が目を引く。
そうして足を止めているうちに少し冷えたようだ。
このまま眺めているのは得策ではない。何よりクリストファを呼びに行くと言う目的が達成出来ない。
エリューシアは再び足早に離棟を目指した。
見えてきた建物に入れば、ホッとする暖かさだ。
本棟に比べて使用人の数も少ないので、誰とも会う事なく階段を上がり、クリストファの部屋へ辿り着く。
――コンコンコン
控えめにノックをする。
――……………
何の反応もなく、エリューシアはどうしたものかと考え込んだ。
もう一度ノックしてみるが、やはり反応はない。
部屋に居ないのだろうかと、その場で周囲を見渡せば、廊下の先にある扉が開いているのに気がついた。
そっと近づいてみれば、クリストファの背中が見える。
バルコニーに出て、少し前屈みに俯いているようだ。手摺の笠木に腕をつくか何かしているのだろう。
そっと近づく。だが驚かせるつもりはないので、少し離れた場所から声を掛けた。
「クリス様…」
声に気付いたようで、クリストファが顔を上げて振り返る。
少し目を丸くするが、直ぐに破顔した。
「ごめん…もしかして呼びに来てくれた?」
その声を合図に、エリューシアはクリストファの隣に並ぶ。
「大丈夫? 顔色が良くないわ」
心配そうに覗き込めば、柔らかく微笑んだクリストファに何故か顔をつつかれた。
「??」
「呼び方」
「ぁ……」
そう言えば…とエリューシアは思い出して固まる。
「そう言うけれど、やっぱりあまり良くないと思うの!」
「良くないって…何故?」
「………」
「言って?」
再び顔をつつかれて、エリューシアは思わず頬を膨らませた。
「普段から気を付けてないと、人前でもそう呼んでしまいそうになるの…。
さっきもお父様の前でそう言いそうになってしまって……」
「それの何が問題?」
この糞超絶美少年は……と、エリューシアもお返しとばかりに鼻先をつついてやる。
「問題しかないでしょ?
その…節度と言うモノがあるし……何より気恥ずかしいし…」
「僕は誰の前でもエルって呼ぶつもりだよ? 実際そうしてるしね」
「~~~~~!!!」
人が困っているのに、この野郎は…と、上目遣いに睨み付けるが、そんなエリューシアを、クリストファはギュッと抱き寄せた。
本気で『この野郎~~!!』と頭を叩こうとしたが、視界の端に一瞬入ってきた彼の表情に、上げかけた腕が力なく降ろされる。
苦しげに眉間を寄せ、伏し目がちに痛苦を耐える様な……そんな表情に、エリューシアの方が動けなくなってしまった。
そして耳元で、痛みを堪えるかのような…今にも泣き出してしまうんじゃないかと心配になるような声音が、微かにエリューシアの鼓膜を震わせる。
「エル……僕は…」
ここまでお読みいただき本当にありがとうございます。
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もう誤字脱字他諸々のミス、設定掌ぐる~が酷い作者で、本当に申し訳ございません。見つければちまちま修正加筆したりしてますが、その辺りは生暖かく許してやって頂ければ幸いです<(_ _)>