後悔: 誘拐犯の視点②
…畜生、図星だ。痛いとこを突かれるとはよく言ったもんだが、ほんの数分の観察だけでここまで滅多刺しにされることがあるか!
多少手荒に扱っても罪悪感が少なくて済む金持ちボンボンなんて、他に何人もいただろうに。何故ここまでネジが外れたガキを選んでしまったんだと、男は自分を問い詰める。やっぱり他の誰かにチェンジできないかなと、意味のわからない想像まで頭に浮かぶほどだった。
もはや明白ではあるものの、男は殺人犯でもなければ、雇われたプロの人さらいでもない。
男の名前は半崎京吾といい、果てしなく運の持ち合わせがない男であった。彼がここまでの犯行に手を染めた理由も、災厄とでも言うべき、不運の星の下に生まれついたことにあった。
京吾はそこそこ裕福な家庭に生まれた。それなりに大きな都会に住み、1日に3度の食事と洋菓子を食べ、両親と5歳下の弟とともに、十分な幸せを享受していた。
彼自身も犬とホットドッグが好きな普通の子供として育ち、不幸せや生きづらさなどは一片も感じていなかった。さらに両親はなかなかの資産家であり、2人の息子だけでなく、誰にでも分け隔てなく愛を注ぐことができる人間だった。
京吾も両親に連れられてチャリティーに参加したことがあり、子供の頃の彼は、犯罪などとは無縁な、暖かな心の持ち主だった。人のために尽くすことができる両親がいることを、そしてそんな2人の下で暮らしていることを、彼と弟は子供ながらに誇りに思っていたのである。
だが12歳のクリスマスに、その全ては変わってしまった。
コース料理しか売られていないような高級店で夕食を食べた後、弟が早くプレゼントを開けさせてとねだったことで、一家は裏道を通って家へと戻っていた。普段であれば治安の悪さから通ることのない近道である。
お祝いに浮かれる弟に「着いてこい」と声をかけながら、彼は少し先を走っていた。だがその横を妙な男が通り過ぎれば、何故か京吾は不吉な予感を覚え、振り返って足を止めた。
真っ黒いコートに身を包むその男は2メートルはありそうな長身で、右手には大きな十字型の傷があった。その傷と男の雰囲気は、京吾にかつてない不気味さを抱かせた。
男が両親の方を睨みつけながら歩いているように見えた京吾は、体がゾワゾワとした恐怖に沈んでいき、両親と弟のもとに近づくことができなかった。しかし、「お前たちだな?」と男が声をかけられた両親の表情が凍りついたことだけは、少し遠くから見られた。
その後のことは、京吾の記憶にはほとんど残っていない。ただ、3発の乾いた銃声が響き、両親と弟が声すら発せず地面に倒れ込んだ光景を除いて、彼は何も思い出すことができなくなったからだ。銃に気付いてすらいなかった弟までも射殺した男は京吾には目もくれず、賑やかな街の影に消えていった。
その日から彼の時間は止まった。
これは後になってわかったことだったが、男は殺し屋だったようで、両親の社会的な善行をよく思っていなかったアジアン・マフィアによって送り込まれていた。京吾の両親が違法薬物の広まりに反対しようと運動を始めたことをマフィアが知り、余計な勢いを産む前に芽を摘もうとしたということらしいが、そんな理由は、京吾にとってはもはやどうでもいいことだった。
言うまでもなく、その後の彼の人生は、今までの生活から大きく変わってしまった。幸いにも母親は一命を取り留めたが、重症でまっすぐ歩くことすらできず、夫と息子を失った悲しみで精神をおかしくしてしまった。マフィアを恐れてか、親しかった人たちは皆離れていき、毎日聞こえていた家族の笑え声は消え、代わりに、母親がうめくように父と弟の名前を呼ぶ声だけが響くだけである。父が残した遺産は、親戚に騙されて持って行かれてしまった。
気づけば京吾は、酔いつぶれなければ生きられない青年になっていた。
チンピラも同然になっては、犯罪スレスレのことをしながら日銭を稼ぐ。弟を思い出したくないばかりに、意味もなく夜の街をふらつき、ときには浴びるように酒を飲むという日々を送るようになった。
一方で母親は心身ともに衰弱し続け、今では家のベッドにほとんど寝たきりになっている。喪失感だけが満ちる家ではなく設備が整った施設で治療を受けさせたいが、それには莫大な金がかかり、援助を受けられるあてもない。
必死に金を集めていた京吾だったが、手段を選んでいる余裕はないと覚悟を決めた。その意味では彼にとって、この誘拐作戦は、最後の幸福を掴むチャンスでもあった。母親を助けることができれば、自分の生きる道に意味を見出すことができると思ったのだ。
世間を騒がしている人喰い男の名を語り、それらしい話し方や、過去のケースを律儀に研究した。金さえ手に入ればすぐに逃げられるよう手筈を整え、早ければ明日には、何も知らずに家にいる母親の前で、札束を数えているはずだった。
しかしながら今のところ、計画は何ひとつ上手く行っていない。
人通りがないゴーストタウンの一角にあるボロ小屋を借り、地下室を檻に作り変え潜伏場所としていたが、そう長く身を隠せる場所ではない。騒ぎが大きくなって警察が動けば、逃げることも容易ではなくなるだろう。
どうしてこうなったんだオイ、と京吾は頭を抱える。細身でなよっちそいがお坊ちゃんそうな身なりのガキなら都合がいいぜと考えて九院寺累を誘拐したが、今では檻の中でコカインを吸わせてしまうばかりか、模倣犯であることまで看破される始末である。誘拐犯としての威厳や恐怖はもはや取り戻せそうもなかった。