4話 可愛そうなウサギ、食堂に散る
「あ~ん、怒られたぁ」
「アンナはこっぴどく叱られていましたね。また道草かぁクリフテンドぉって」
「ウチの道草の大体はステちゃんが食べてるんって何度も説明してるのにぃ!」
「日頃の行ない。ですかね」
「自覚してるのなら先生に申告してよぅ」
「空に流れる雲がとても美味しそうだったので」
「説教すら耳に入ってなかったよぅ」
ガウガウ言いながら僕の腹部に頭をグリグリ擦りつけるアンナを軽く抱きしめながら、見上げてくる彼女に見えるように僕の向いている方角を顎で指す。
「ほら、いつまでも膨れていると購買のハズレを食べることになりますよ」
「わっそうだった! 今日こそは脱! 魚卵チョコレート生クリームメガマックスパイ!」
「……よく1週間もそんなゲテモノ食べ続けましたね」
「他になかったからぁ!」
せめて魚卵がチョコの海に浮いていなければ人気商品になったでしょうに、どうして購買を取り持っているウィルソン家は必ず一商品大博打を打つのでしょうか。
前に家の付き合いでお会いした時は、確かに変わった方ばかりでしたが、お父様とお母様も何だかんだウィルソン家を気に入っているらしく、結構の交流があるらしい。
「ステちゃん行くよ! 早く早く!」
「はいはい、そんなに急がなくてもお昼ご飯は逃げませんよ」
「せめて足生えて逃げ出してくれればウチも諦めが付くよぅ!」
そんなことを話しながら、僕はアンナに手を引かれながら食堂と併設されている購買部へと脚を進めていく。
正直、そこまで購買でハズレを引くのなら食堂で素直にランチでも頼めばいいのにと以前提案したけれど、アンナの答えは「ウチが大人しく席に座ってご飯食べられるとおもぅ?」とのことだった。
僕たちは15歳です。
食べられると思うかではなく、席に座って食べるべきであってそれを聞いた瞬間、ついチウと飛び出ていた舌を引っ張ってしまった。
そうして食堂に辿り着くと、相変わらずがやがやと活気のある空気に頬が綻んでしまう。
「え~っと、購買には何が……っと、ステちゃん相変わらずこういう騒がしい空気好きだよねぇ」
「好き。というより、安心しますね。こうして活気があるのは少なくともこの学校には幸福があると言うことですから」
「……今目の前で幸福か不幸かの岐路に立たされている憐れなウサギがいますよぅ?」
「頑張ってくださいね」
頬を膨らませているアンナの背中を押し、一緒に購買部まで足を進める。
そしてアンナは購買部の係のおば様に手を挙げて口を開く。
「もう魚卵は勘弁してください!」
「おんやぁアンナちゃんじゃねがぁ! あ~しの大好物を詰めたパイ、美味しかったろう?」
「舌イカれているんですかこのクソばばぁ」
「アンナ、お口が汚いですよ」
口汚く罵倒するアンナの口を手で覆い、僕は笑顔をおば様に向けた。
「ステラちゃんは相変わらず綺麗な子だねぇ。ババアも綺麗になりたいからとりあえず拝んどくべ」
「綺麗だなんてそんな。おば様もまだまだ、とっても素敵ですよ」
「ステちゃん、素敵な人はチョコレートに魚の卵を浮かべないの。よってこのババアは素敵じゃないよぅ」
「あんやぁ、素敵だなんてステラちゃんもアンナちゃんも照れるべぇ」
「おい、耳までぶっ壊れちまってるんですかぁ――むぐ」
再度僕は苦笑いでアンナの口を塞いだ。
言いたいことは多少わかるけれど、あまり相手を傷つけるかもしれない言葉を連発するのはよろしくはない。
僕は空いている手で、アンナの柔らかい頬に軽く指を弾いた。
「むぅ。少し言い過ぎたです、ごめんなさ――」
「でもアンナちゃん、もう魚卵チョコレート生クリームメガマックスパイは出せないんだべ。材料費があんまりにも高くてねぇ。採算取れなくなっちまったぺよ」
「――」
アンナが静かに、だけれど力強く両拳を天高く振り上げた。
「あの、魚卵はなにを使っていたんですか?」
「ウルシオトラグの魚卵さね」
「……最高級食材を使ってらしたのですね」
僕の記憶では、ウルシオトラグとは世界樹を囲む泉から派生した川を上る珍しい……あたしの世界では鮭に似た魚で、世界樹を目指す魚と大変縁起の良い由来と味も良し栄養高しと高級食材であっても人気のある食材の1つ。
確か実家で一緒に買いに行った時はキロ金貨1枚ほどだったか。丸々一本買うと金貨10枚以上――金貨一枚銅貨1000枚分。
一般的なご家庭が1日に使う十分なお金が銅貨4~10枚。
さらにその魚卵となればさらに価値が上がる。つまり、とんでもなく高級食材です。
「まあ代わりにチョコと生クリームと小麦粉とバターは最安値の物を使ってたべがな!」
がははと笑うおば様にアンナの額に青筋が浮かんだのが見えた。
「どうりでくっそマズいわけですよぅ! チョコと生クリームの味に集中すればいけると何度試しても魚卵の味が圧倒的に勝ってるんですよぅ!」
「濃厚で濃い味が強みですからね。僕も初めてウルシオトラグの魚卵を食べた時は驚きましたし、ぜひお醤油に漬け込みご飯で頂きたいと思っていましたし」
「そのオショウユがあればパイも美味しくなるの!」
「なりませんね」
がっくりとうな垂れるアンナに、おばさまが笑顔で彼女の肩を叩いた。
「せっかくの好物をもう持ってこれなくてごめんねぇ」
「好物のわけないよぅ、どう前向きに捉えてるのよぅ。むぅ、まあ地獄そのものみたいな食べ物がなくなったのならもういいや。それで今日は何が残ってるんですかぁ?」
頭を切り替えようと首を横に振ったアンナが、前向きになろうと昼食を買おうとする。
するとおば様が優し気な笑みを浮かべ、一切中身が減った気配のないボックスから商品を取り出した。
というか、実は僕の身長ではずっと見えていた。しかし悲しいかな、アンナのコンパクトサイズではあの箱の中身は見えていなかったことだろう。
「新商品のチョコミント魚パイだがや!」
「うぉぉぉぉっ!」
アンナが歯を食いしばり、流れるような動作で勢いよくおば様からパイを奪い取り、その手に銅貨を叩きつけ、そのまま袋を開けてパイを口に放り込んだ。
あのパイ、見た目だけなら……そう、確かスターゲイジーパイだったかしら? パイから真っ白な目をしたお魚さんがこんにちはしている。
お魚の頭ごとバリバリと食べつくしたアンナが遠い目をしながら、お座り人形のようにストンと座り込んでしまったから、僕はおば様に手を振って、アンナを引きずって席にまで移動する。
「アンナちゃ~ん、喜んでくれたようでババアも嬉しべ~」
そんな言葉を聞きながら、僕は昼食をとるために席に着くのだった。