2話 夢を抱いて福音を鳴らして
悔いなんてない。
否、悔やんではいけなかった。
あたしはそう生まれてきた、そう育てられた。
なんでもない、物語の中でよくある話だ。
荒み切った社会の中で、誰かがあたしを神からの使いだと声を上げただけ。
不思議な力なんてなかった。
ただ、あたしの言葉が、あたしの声が、誰かの都合のいい方に動いただけ。
様々な社会問題、歴史書でしか見たことのない疫病の発生、あたしはただ、それらすべてがなくなるように祈っただけ。
それだけで誰もがあたしを綺麗なだけの景色に閉じ込めた。
誰もあたしを見ていない。誰もあたしの本当を聞いてくれない。あたしを守ると声を上げた人たちは、あたしの言葉だけを守っていた。
結局あたしは……不思議な力なんて持ち合わせていないこのあたしは、疫病に苦しむ人々の手を笑顔で握り続けた後、呆気なく病に倒れ、そのまま命を落としてしまった。
その後あたしがどんな扱いを受けたのかは知らない。
他に祈る伝手もなかったから、神様のことをたくさん勉強して、たくさんお祈りしたし舞った。
でもそれだけ、あたしの耳にはそんな存在の声など一度だって聞こえたことがなかった。
だけれど、あたしは死の間際、どうしても叶えたかった願いを、つい、祈ってしまった。
だからなのだろうか? あたしは今、死んでいるはずなのに意識を持ってどこか知らない景色をふわふわと漂っている。
ここはどこなのだろうか。
もしかして、今まで散々祈ってきたのに最後まで欲まみれで厚かましいと怒られてしまうのか。
『逆ですよ』
誰?
耳、というより頭に直接響く声、あたしは体があるていで首を傾げ、その声に耳を傾けた。
『あなたの世界では、神はすでに形骸化していました。いる、いないの問題ではなく、すでに世界に解け、誰からもその存在を認知されている特殊な世界でした。そんな世界の中で、あなただけが世界の声を聞き、それを人々に発信していた。とてもつらいお役目をよくぞ全うしましたね』
でも、あたしは――。
『それでもあなたは人だった。世界の声を聞くには、あまりにもなにもない人だったのです』
人以外に一体何があるのかという疑問は飲み込んで、あたしは声の方に顔を向けた。
『古い世界の、人だけで成り立つ世界、それ故に人は人以上になれない世界。神を宿すことも殺すことも、魔に侵される者も受け入れる者もいない世界』
少しだけ悲し気に吐息を漏らした声の主に、あたしは手を伸ばした。
大丈夫? よしよしする?
『……ありがとうございます。あなたは優しい人です』
そうなのかな? そう自信なさげに答えると、その声の主がクスクスと声を漏らした。
『人だけで成り立つ世界の巫、私は、あなたの願いを叶えたいのです』
どうして? あんまりな社会ばかり見ていたあたしは、そんな甘い話を警戒する程度には荒んでいた。
『私が、あなたのことを好きになったからです』
「――」
真っ直ぐと向けられた好意、いつぶりだろうか? こんなにはっきりと好きだと言われたのは、あたしが覚えている中では、もうずいぶん昔の気がする。
『あなたが祈っていた神とは何もかも違いますが、それでも遠くにいた私にも、あなたの優しさは届いていました。だからこそ、あなたが死に、今まで吐き出せなかった願いを聞いた時、私の体は勝手に動いていました』
ああ、駄目だ。これ以上彼女の声を聞いていると、あたしは、あたしは――。
『いいんですよ?』
体があるかもわからないのに、あたしの頬に何かが流れていったような気がした。
あたしなんかの願いより、ずっと叶えなければならない願いがたくさんある。
だから、あたしなんかが願って良いはずなんてなかった。
『いいえ、あなたも夢を持っていいのですよ。あなたも、望んだっていいんですよ』
でも、でも! 声を荒げてしまう。
あたしの願いは、自分勝手で、誰にも優しくない夢で――。
『それが夢でしょう? 願いでしょう? 自分勝手ではない夢なんてあり得ません。だから、あなたはここで夢を見て良いのです。私の世界で、夢を叶えて良いのです』
ふわと抱きしめられる感覚に、あたしはついに声を上げて泣き出した。
「だって! あたしはそう望まれたから! そう育てられたから! 世界中の人が困っているからって! だから、だから――」
「ええ、だからあなたは、誰よりも優しく在ろうとした」
「うん! だって、そうしないとみんながまた悲しむから」
「ですが、それももう終わりました。あなたのせいではない。あなたを知る人のせいでもない。あなたはやっと、自分のために歩めるのです」
暖かくて優しい体温と声、柔らかくて気持ちの良い感触。その人に抱き着き、あたしは子どものように泣いてしまった。
「私が治める世界で、あなたには新たに生まれてもらいたいです。この世界で、生前叶えられなかった夢を、願いを、世界樹を通して叶えてほしいのです」
「世界樹?」
「私のことです」
可憐に微笑む彼女に、あたしは首を傾げた。
「その辺りのことは、あなたの両親がきっと教えてくれますよ」
「いいのかな?」
「ええ、頑張ったご褒美です」
不安に揺れてしまう瞳で、あたしは彼女を見つめる。
「……あの」
「はい?」
「出来るかな?」
「……」
ジッと見つめているような気がする彼女の顔を真正面から見据え、あたしは決意を抱いて声を上げる。
「あたしも、恋すること、出来るかな?」
あたしの頬をそっと撫でる手に、つい身を委ねてしまう。
「ええ、だってこんなに可愛らしいんですもの、きっと出来ますよ」
背中を押してくれた彼女に、あたしは笑いかけた。
「次に会えるのはいつになるかはわかりませんが、あなたに、世界樹の祝福があることを――地を鳴らす踵に福音が鳴りますように」
「はい、行ってきます」
彼女から身体を離し、あたしは地に足をつけ、一歩を踏み出した。
眩い光が目を覆い、体が沈むような感覚。
次に目が覚めた時、あたしは――。