ワインと真珠
「あ、あの、ティーシュー男爵。テラスに出るのはちょっと。寒いですから」
そこまでまだ寒くはない。
ホールの熱気に対し、今のテラスは心地よいと思う。
でも舞踏会は始まったばかり。
これでテラスに出ては、二人で何やら……と思われてしまう。
「チェリー様、そこまで寒くはないですよ」
ティーシュー男爵は空気を読めないのだろうか?
いや、抜けているだけなのかもしれない。
「そうですか。でもまだ舞踏会は始まったばかりですし。これでテラスに出ては失礼でしょう」
「ああ、なるほど」
うん。
ハムスターくんは鈍いようだ。
「そうだ。チェリー様、知っていますか?」
「何でしょうか」
私はホールの中にいて。
ハムスターくんはテラスにいた。
「ワインに、本物のパールは溶けます」
それは有名な話。
前世知識によれば、クレオパトラはぶどう酒に真珠を溶かし、飲んでいたことは有名だ。
「はい。知っています」
「ぼくのこの指輪、本物のパールだと思いますか?」
ハムスターくんの左手には、見ると結構の大きさの真珠の指輪がはめられている。
「試してみていいですか?」
「え、本物だったらとんでもない損失では!?」
「いやー、本物ですかねぇ。チェリー様、ちょっとグラスを持っていただけますか?」
そう言ったハムスターくんは、私にワインの入ったグラスを渡す。
何をするのかと思ったら、真珠の指輪をはずそうとしている。
「いやあ、硬い。ぼく、最近太ったから……」
なかなか抜けないようだ。
顔を真っ赤にしながら、指輪をはずそうとしているが。
指の色が変わってきている。
「あの、無理されない方がいいですよ」
こんな時は石鹸! でも真珠がついているから、糸かハンドクリームを使うといいのでは? 確かレティキュールに、ハンドクリームをいれていた気がする。
「うわあ」「え!?」
青ざめた顔のハムスターくんと目が合う。
「と、取れたのですが」
「はい」
「飛んでいきました……」
「えっ……」
「ティーシュー男爵家に代々伝わるものなんです。本物だと思うのです。どうしましょう」
「……探しましょう」
夜の庭園に指輪を飛ばすなんて、ドジ過ぎる。
しかも男爵家に代々伝わるなら、本物の可能性が高いのに。
最初からワインに入れるなんて、思いつかない方がよかったのでは!?
そう思いながら、ホールに用意されていたバーテーブルに、ワイングラスを置く。「仕方ないなぁ」と思いながら、テラスに出る。そしてティーシュー男爵と一緒に、庭園のどの辺りに飛んだのかを確認する。
「すみません、チェリー様。見つかったら、指輪はお礼で差し上げます」
「いえ、結構です。いりません。早く見つけましょう」
指輪とはいえ、真珠は結構大きかった。女性用の指輪とは違い、かなり大ぶりだったので、見つかるはず……と思い、花壇を見ていた時。
「!」
いきなり腹部を打たれ、あまりの激痛に前のめりで倒れそうになる。これはいわゆるボクシングのボディーブローだ。
意識は飛ばない。
ただ、呼吸もままらない激痛に、悶絶することになる。
立っていられなくなり、膝を折るように庭園に倒れこみ、そのまま地面にうつ伏せで倒れてしまう。
「むふふふ」
ハムスターくんが不気味に笑いながら、私の両手首を掴むと、体を引きずり歩き出す。
声を出したいが、声を出せる状態ではない。
それに仮面が邪魔だった。
呼吸もうまくできないのに、フルフェイスの仮面で、さらに空気が少なく感じる。
苦しい。
痛い。
とにかく苦しくて、痛い。
気持ち悪いし、一切の抵抗ができない。
ずるずると東屋まで私を引きずっていくと、ハムスターくんはニタリと笑う。
「チェリー様、本当においしそうな体をされていますよね! ぼく、既成事実婚狙いなんですよ。あなたのこと、一目見た瞬間から、気に入りました。その体が! 顔はどうでもいいので。ぼくと結婚しましょう!」
最悪だった。
私だって既成事実婚を狙っているが、こんな襲うようなやり方、ありえない。しかもこの舞踏会は、筆頭公爵家の夫人が主催者で、王太子だって来ているのに。こんな暴挙に出るような、下衆な奴がいるなんて!
「まずはその素敵なお胸から……」
ハムスターくんの手が伸びてくるが、苦しいのと気持ち悪いのと痛いので、一切動くことができない。こんな身動きができず、悶絶している女性を襲えるなんて……。
鬼畜だ。
いくら生への渇望があっても、こんな悪魔と既成事実婚になるなら、死んだも同然だ。それだったらまだ、アレクサンデル王太子と婚約した方がマシだ。
せめて。
気を失っていれば……。
こんな奴に純潔を奪われるのを、黙って見ているしかないなんて、嫌……!