年の差、半世紀
ルイズの言葉にほだされ、昨晩は既成事実婚は諦める境地になっていたが。
それでは……ダメだ。
このままではアレクサンデル王太子の婚約者になり、悪役令嬢街道一直線になってしまう。
目覚めた私は、改めて舞踏会へ行くことを決心した。
昨晩アイマスクを落とし、誤って自分で踏んでしまった。そのため舞踏会に顔を出すことなく屋敷に戻ったことは、両親に話してある。もう一度舞踏会に行きたいと言っても、止められることはないはずだ。いとこのバーバラだって付き合ってくれるはず。
ルイズがアイマスクを壊したのだが、この際、それは両親に話さなくてもいいだろう。
こうして少し濃い目の紫――モーブ色に銀糸による刺繍が襟や袖に施されたドレスに着替え、決意も新たに部屋を出る。
朝食の席で父親は、少し困り顔で私に尋ねた。
「チェルシー、実はな、今朝、縁談の話が舞い込んだ」
「え、そうなのですか」
「お相手は、同じ公爵家。しかも我が家より格上だ。先々代の国王陛下のご姉妹で、公爵家に嫁がれたマジョルカ王女の血筋。その麗しいお姿で多くの令嬢の心をとらえたスコット公爵だ」
スコット公爵。
聞いたことがあるような……。
え、待って。
「お父様、スコット公爵って……一年前にスコット公爵夫人の葬儀に参列しませんでしたか!?」
父親は頷く。
「スコット公爵夫人は、確か六十五歳でお亡くなりになりましたよね?」
「そうだな」
整った父親の顔が苦悩に満ちている。
「……スコット公爵は……おいくつなのでしょうか?」
「今年で御年七十八歳になられる」
「な、七十八……歳!? お、お父様よりうんと年上ですよね!?」
「その通りだ……」
私は……縁談で既に二十五回断られている。でも、だからって、私はまだ二十一歳だ。五十七歳も年上のやもめ男……やもめおじいちゃんと婚約するなんて……。
前世の記憶でエロじじぃと記憶している豊臣秀吉と茶々こと淀君でさえ、年の差三十三歳だ。五十七歳の年の差は……。
婚約はできる。でも結婚してベッドを共にするなんて……。
生存がかかっている。
そこは我慢するしかない……。
……。
………。
いや、無理でしょう!
生理的に七十八歳と二十一歳は厳しい。
せめて秀吉と淀君ぐらいの年齢ならまだしも、間もなく八十歳のおじいちゃんにキスされることを想像するだけで、もう……朝食が喉を通らなくなった。
「……チェルシー、向こうも、無理にとは言っていない。何せお前が初婚であることも分かっている。年齢差も……な。よって断ることも可能だ。まるで孫と祖父が結婚するようなものだからな」
私は……昨晩、舞踏会に行き、こうなったら既成事実婚しかないと勢い込んでいた。そこまで追い詰められているはずなのに、相手が信じられない程、高齢だからと断っていいの!? 二十五回も断られたのよ、私!
「あなた、お断りしましょう」
お母様……!
「チェルシーの顔を見てください。顔が引きつり、青ざめ、震えているではないですか! 私は自分の娘を、メイドのことを妻と間違えて抱きつくような老いぼれに、嫁がせたくはありません!」
……! それってスコット公爵が、正常な判断ができない状態ということでは!? この世界では前世のように、人生百年時代などではなく、六十代まで生きたら長生きと称えられる。七十八歳はかなりの高齢。記憶があやふやで、正常な判断ができないのも当然だ。
そんな相手のところへ嫁に行くのは……いくら切羽詰まっていても、厳しい……!
「そうだな。母さんの言う通りだ。……チェルシー、この件は父さんからお断りしておくよ。だから元気を出しなさい。父さんもまた、別の相手を探すから」
「お、お父様、お母様、私がわがままで申し訳ありません……」
「そんなことないのよ、チェルシー!」
「そうだ、お前は何も悪くない!」
両親は必死に私をなぐさめ、そして……。
「そうだ、チェルシー。今晩、筆頭公爵家のマルグリット夫人主催の舞踏会がある。彼女の舞踏会は宮殿の舞踏会と同じぐらい、格式があるものだ。どうだ、それに気晴らしで行ってきては? 昨晩、アイマスクが壊れて、舞踏会に顔を出せなかったのだろう?」
この言葉に、一気に体に力がみなぎる。
舞踏会の既成事実婚なら、相手を選ぶことができるのだ。
半世紀も年上の男性なんて、絶対に選ばないで済む。
父親の提案を私が快諾すると……。
「父さんか母さんが付き添いたいところだが、あいにく今晩は大司教との会食がある。母さんも一緒に参加する。チェルシー、一人で舞踏会に行くことになるが、それで問題ないかな?」
まさに願ったり、叶ったり!
地獄から天国の父親の話に、頬が緩みそうになるのをこらえる。
「お父様やお母様が一緒ですと、確かに安心ですわ。でも私も二十一歳で、もう子供ではありませんから。舞踏会ぐらい、一人で大丈夫です。今晩、マルグリット公爵夫人の舞踏会へ、行ってまいります」
しおらしく私が告げると、両親は「すまないね、チェルシー」「ごめんなさいね、チェルシー」と同情しつつ、楽しんでくるよう言ってくれる。
一方の私は。
もう心の中ではガッツポーズだ。