待てば海路の日和あり?
私の話を聞いたルイズは、自分のことのように心配をしてくれる。そしてこんな風に私に聞いた。
「二十五回もダメだったのなら、少しクールダウンしたら?」
「クールダウン?」
ルイズは頷く。そして彼が考えるクールダウンについて、教えてくれる。
「だってチェルシーは、最善を尽くしているのだろう? 条件面もより精査して。姿絵は完璧。顔合わせになっても、チェルシー自体に問題があるとは思えないよ。それに姿絵には、今みたいに扇子で顔を隠すわけではなく、素顔が描かれているのだから。素顔のチェルシーを見て、ダメなんて言うわけないよ。それならばガツガツ動くのはやめて、少し待ってみたら?」
その素顔が描かれた姿絵でお断りをされているのだけど……。その文句を今さらルイズに言っても、始まらないだろう。それにルイズにはとっくの昔に姿絵を見せており「何も問題ないと思う。師匠の最高傑作に思えるよ」と言ってくれているのだから。
「それって……待てば海路の日和あり、ということかしら?」
つまり縁談話がやってくるのを待つ、ということかと尋ねると、ルイズは「その通りだよ」と返事をするけれど……。
「でも、それではダメなの」
「ダメって、どうして?」
「時間がないのよ、私には。何としても冬までに、婚約相手を見つけないと……」
ルイズは不思議そうに私に尋ねる。
「時間がないって……例えば余命宣告をされた親族に、花嫁姿を見せたい――そう言った理由でもあるの?」
「それは……ごめんなさいね、ルイズ。あなたにも言えない理由があるの」
そこで黙り込んだルイズだったが、ハッとした表情になり、私が膝に乗せているアイマスクをじっと見た。
「……宮殿で開催される舞踏会は……既成事実婚での利用を推奨していないよ、チェルシー」
ルイズの言葉に、心臓が止まりそうになる。
既成事実婚目的で舞踏会に来たとバレた……!
「どうして……どうして……待てないの、チェルシー?」
「それは……」
ルイズが突然、私の膝に乗せていたアイマスクを掴み、地面に叩きつけた。こんな風に乱暴な行動をするのは、これが初めてのこと。驚き、咄嗟に動くことができない。その間にもルイズは、アイマスクを足で踏みつけてしまう。
「ルイズ、どうしてしまったの!? いつものあなたは、こんなことしないわ。どうして……」
アイマスクは二つに割れ、もう使用できない。
これがなければ舞踏会への参加は難しい。
扇子で顔を隠すには限界がある。
ダンスの時に扇子は使えない。
「チェルシー、ごめんなさい。壊したアイマスクは弁償するよ。でもチェルシーに取り返しがつかないことは、して欲しくなかった。どこの馬の骨とも分からないような男性と、没落貴族も同然な男性と、公爵令嬢でもあるチェルシーが、既成事実婚をするなんて……。見過ごせないよ! 絶対に後悔する」
「ルイズ……」
「……チェルシーには、ちゃんと相応しい相手がいるはずだよ! こんな自分を安売りするような悲しいことは、しないでよ」
驚いて、そこで私は息を呑むことになる。
ルイズの瞳からは、月光を受けて輝く涙が、こぼれ落ちていたのだ。
そこまで私のことを心配してくれる幼馴染みに対し、胸が苦しくなった。
もう、アイマスクを使えない。
今日は屋敷に戻るしかないだろう。
「ルイズ、私のことを心配してくれて……。ありがとう。今日は……もう屋敷に戻るわ」
「チェルシー、お願いだから」
ルイズが私の両手をとり、自分の額に押し当てる。
「お願いだから、チェルシー。自分のことを大切にして」
「ルイズ……」
「今日、舞踏会に参加できなかったからといって、他の舞踏会へ行くことは考えないで」
痛いところをつかれた……と思う。
今日はもうダメだと思った。
でも諦めるわけにはいかない。
なにせ私の生存がかかっているのだから。
「チェルシー。僕が……頼んでみるから。既成事実婚なんてしないで済むよう、相手を……見つけるから」
そんなこと、できるのかしら?
ルイズはあの宮廷画家ピエーロの弟子であるが、自身は……貴族ではない……と思う。ピエーロ自身は伯爵家の三男だったが、弟子は才能があれば平民もとっていると聞いていた。そしてルイズに名前を聞いた時、名前は「ルイズ」としか答えていない。
農村部や貧民街では、ファミリーネームを持たない平民が多い。人口が少なく、法制度の恩恵を受けていない平民層では、ファーストネームのみでも生きていけるからだ。
そんなルイズに公爵令嬢の縁談の仲介なんて、できるわけがない。
そう、そうなのだ。
もしもルイズが平民でなければ。
男爵でもいい。爵位があれば。
ルイズとの縁談をすすめることは……できたと思う。
いくら公爵令嬢であったとしても。
チェルシーは何せ二十五人からお断りされているのだから。
選り好みしている場合ではないと、両親もそろそろ思い始めているはずだ。
でもそれは無理な話。
ルイズは平民なのだから。
平民……。
だが見ず知らずの没落寸前の貴族と既成事実婚するぐらいなら。
平民ではあるが、心優しい幼馴染みのルイズと結ばれるならば……。
……いや、これもまた無理な話なのだ。
だってルイズは現在、17歳のはず。誕生日は……確か来月だか再来月だかで、この国で婚姻を結ぶことが認められている、18歳になっていない。
それなのに既成事実をルイズとの間に作れば……彼が罰せられてしまう。
というか、ルイズは数少ない心を許して話せる幼馴染みなのだ。
私の断罪回避のために利用するようなことはしたくない。それにそんなことの駒の一つとして、ルイズを見たくない。
だって成長したとはいえ、ルイズはやはり私から見ると、年下の愛らしい天使みたいに、美しく見えるのだから。
「ルイズ。ありがとう。私のために。でも、あなたが無理する必要はないわ。……既成事実婚は……そうね。それはそれこそ奥の手。禁じ手だと思うから、安易に手は出さないわ」
「大丈夫だから、チェルシー。そんな禁じ手を使わないで済むようにするから。絶対に先走らないで」
最後は「分かったわ」と返事をすることで、ようやくルイズは安心した顔となり、私を馬車まで送ってくれた。