もう後戻りはできない
立襟長袖のオフホワイトのローブ・モンタントドレスには、身頃とスカートにマーガレットの花が美しく刺繍されている。イヤリングと襟元に飾るブローチには、ホワイトゴールドにパールが飾られており、とても上品。
ハーフアップにした髪は、ドレスの共布で出来たリボンで留めている。
全体的に清楚に仕上がり、両親は「とても素晴らしい」と大喜びだ。
昨晩。
ルイズを信じることにした私は、ちゃんと屋敷に戻った。そして入浴をして、きちんとベッドで眠り……。
アレクサンデル王太子との顔を合わせのために、昼の正装に着替えたわけだ。
「では王宮へ向かおう」
両親と弁護士と共に馬車に乗り込み、王宮へ向かった。
案内されたエリアは、通常では足を踏み入ることができない場所。通された部屋は、白亜の大理石で床も壁も出来ており、天井は壮麗なフレスコ画とシャンデリアで飾られている。用意されているテーブルは、四隅にゴールドが飾られ、椅子の背もたれは高く長く、これまた黄金で装飾されていた。
この部屋に国王陛下夫妻、アレクサンデル王太子、弁護士、侍従長、その他職員が入ってきた。
アレクサンデル王太子は……姿絵の通りの美しさだった。
この国の慣例で自身の瞳の色と同じ、セルリアンブルーのモーニングコートを着ているのだが、身頃に施された銀糸による刺繍がとても美しい。シルバーのアスコットタイも、実に洗練されている。
サラサラのプラチナブロンドの前髪は、半分だけ後ろに流しており、姿絵よりさらにキリッとした印象になっている。肌の美しさは女性顔負けで、美しい唇の形をしていた。
男性にしてはほっそりとした首をしているが、一通りの武術をみにつけているだけあり、着やせしているが、筋肉は必要な場所に必要なだけついているように思われた。さらに言えば、贅肉はない。
もし自分が転生者でなければ。彼との婚約を心から嬉しく思ったことだろう。
「……!」
じっと見てしまったので、アレクサンデル王太子の宝石のような瞳と目が合ってしまった。
その瞬間。
微笑を浮かべた彼は……。
なんて優美なのだろう。
品があり、こちらの頬まで緩ませる力がある。
心臓はドキドキしつつも、私の体からは力が抜けて行く。
危うく顔を隠している扇子から手を離しそうになり、気を引き締めることになる。
「それでは始めましょうか」
侍従長の言葉を合図に、会話が始まった。
バークモンド公爵家側は一律緊張しているが、国王陛下夫妻はリラックスしている。しかもアレクサンデル王太子は、冗談さえ口にして、場を和ませてくれた。
さらに驚くのは、王家サイドがバークモンド公爵家について、かなり詳しいことだ。事前に資料に目を通したと思うのだけど……。この婚約の話は、急に持ちあがった話なのに。これには両親共々感動してしまう。
「ではそろそろ1時間経ちますので、顔合わせでこれで終了となります。通常ですとこれで解散となり、後日使いの者に、顔合わせの結果を伝えあうことになりますが……。皆様お忙しい身と思います。よければこの場で、最終合意のサインをいただく形でいかがでしょうか」
侍従長がそう言うと、国王陛下が笑顔でアレクサンデル王太子を見た。彼は国王陛下に頷き、口を開く。
「わたしは勿論、合意します。この場でサインするので、問題ありません」
この言葉に両親は、顔を見合わせ、笑顔になる。
そして二人が私を見た。
頬が引きつりそうになるのを堪え、笑顔で応じる。
「ではこちらの書類に順番にサインを」
侍従長が条件面が記載された婚約の証を私の所へ持ってきた。羽ペンとインクも用意され、王家の紋章入りの台紙も置かれる。
ここにサインを入れれば、もう後戻りはできない。
ルイズの顔が頭に浮かぶ。
同時に彼が言った「僕を信じて」という言葉も。
羽ペンを手に取り、サインを入れる。
侍従長はすぐにアレクサンデル王太子にもサインを促す。
迷うことなく彼は、サラサラとサインを入れた。
「ではここに、王太子アレクサンデル・セイルズ・バーンスタインと公爵令嬢チェルシー・バークモンドとの婚約が成立したことを、立会人である……」
侍従長が参加者の名前をずらずらと挙げ、最後の職員の名を読み終えた。そこで国王陛下が拍手をしようとしたまさにその時。
「大変申し訳ないのですが」
突然、アレクサンデル王太子が立ち上がり、侍従長が手にしていた婚約の証を掴んだ。驚いた侍従長が手を離すと、彼はいきなり。
ビリッ、ビリッ、ビリッ。
婚約の証を破り始めた。
その場にいた全員が凍り付く。
「王太子であるアレクサンデル・セイルズ・バーンスタインは、公爵令嬢チェルシー・バークモンドとの婚約を、ここに破棄する」
「えええっ」
その場にいた多くの人達が、驚きの声をあげる。
その様子を気にすることなく、アレクサンデル王太子は、隣に座る弁護士に合図する。すると弁護士は、鞄から羊皮紙を取り出した。受け取ったアレクサンデル王太子は羊皮紙を開くと――。
「条件面にいくつか変更事項を加えました。これはバークモンド公爵家が不利になる内容ではありません。ですからこちらで合意のサインをいただきたいと思います。一旦、休憩にし、その間に目を通していただけますか」
アレクサンデル王太子が、新たなる婚約の証を、私の父親に渡した。