ラストチャンス
こっそり。ひっそり。
警備の騎士の目を盗み、屋敷の外に出ることが出来た。
裏口の使用人が使う通用門から、こっそり外に出ると。
「チェルシー!」
いきなり声をかけられ、心臓が止まるかと思った。
「だ、誰……?」
驚きでか細い声になってしまった私が問いかけると、街灯の届かない細い路地から姿を現したのは、ルイズだった。
「ルイズ……! どうしてここに!?」
白シャツに、濃紺のジャケットにズボンというカジュアルな装いのルイズは、眼鏡を指でなおしながら、口を開く。
「チェルシーが王太子様と婚約するらしいと、もう王都中、噂で持ちきりだよ。僕は……チェルシーが縁談のことで悩んでいるのを知っていたから、心配になって。それに以前、アイマスクを壊してしまっただろう? 弁償すると約束していたから」
ルイズは話しながら、ジャケットから封筒を取り出している。
「その一方でフレスコ画の作業に追われ、こんな時間になったけど……。この封筒を門番に預けるつもりだった。まさかチェルシーに会えるとは思わなかったよ」
「弁償なんて。気にしないで。それより、心配して会いに来てくれたこと、嬉しく思うわ。ありがとう、ルイズ」
私が微笑むと、ルイズは少しぎこちなく微笑む。
でもその顔は、なんだか赤い。
「どうしたの、ルイズ?」
「……チェルシー、扇子を持っていないから」
「! そ、そうね。今はお忍びでこんな服だし、平民は扇子を使わないでしょう」
「そうだね」とルイズは顔を赤くしたまま、私から視線を逸らし、口を開く。
「王太子様と婚約できそうなんだよね? 冬までに婚約しないといけない。時間がないって言っていたけど、これで解決だね」
「それは……。その件、ちゃんと話したいわ。でもこんな場所ではなく、この時間でもあいてそうなお店に行かない?」
「え、今から……?」
今からといっても22時になったばかりなのに。
でも遅いわよね。
「もし無理なら大丈夫よ」
「いや、付き合うよ。……歩きながら聞かせてほしいな。なんでこんな時間に屋敷から出てきたのか」
「それは……。それも含め、落ち着いて座って話したいの」
「分かったよ、チェルシー」
ルイズはそのまま私の屋敷を離れ、繁華街へ移動すると、一軒の飲み屋に入った。店はワイワイ、ガヤガヤしており、落ち着いて話せる雰囲気ではない。でもどこもこの時間は、こんな感じなのだと言う。カフェは開いていないし、開いている飲み屋は、みんなこんな感じらしい。
なるべく静かに話せるようにと、店の奥のテーブル席に座ることにした。二人してジンジャーエールを頼むと、店の女主人は「あらあ、あんた達、未成年なの? これ飲んだら、とっと家に帰りなさいよ」と言う。そこですかさず私は尋ねる。
「実は、今晩泊まれる場所を探しています。地方から今日、王都へ来たばかりで……仕事を探しているんです。宿を知りませんか?」
私の言葉にルイズは目を丸くしていた。
でも私と女主人が会話しているので、口をきゅっと結び、無言を貫いている。
「まあ、そうなの? 二人は兄妹なの?」
違うのだが、説明は面倒なので「そうです」と答えると……。
「地方からここへ兄妹で出てきたばかりって……。まるで昔の自分のことを思い出しちゃうわ。いいわよ。ここはね、一階は居酒屋で、二階は宿になっているの。泊まるといいわ」
女主人は気さくないい人だった。私は御礼を言い、彼女はジンジャーエールと共に、部屋の鍵を渡してくれた。
そこでようやくルイズは、暗い顔で口を開く。
「チェルシー、君は何をしようとしているの……? 公爵家の令嬢だろう? 屋敷をこんな時間に抜け出して……しかも戻るつもりがないなんて。それに僕が兄でチェルシーが妹? どいうことだい?」
「ご、ごめんなさいね、ルイズ。勝手に兄妹にしてしまって。でも変な風に疑われると、部屋に泊まらせてもらえないと感じたから……」
そう答えながら、出されたジンジャーエールを一口飲む。
炭酸は緩いし、冷えてもいないが、生姜の味が効いていた。
街中の飲み屋のドリンクにしては、味はいいと思う。
グラスをテーブルに置き、チラリとルイズを見る。
ルイズは沈んだ顔でジンジャーエールを口に運び「それで、チェルシーはせっかく婚約者が決まるのに。しかもこの国の王太子様なのに。どうしてここにいるの?」と再び尋ねた。
もうそれを言われると、本当に。
私は何をしているのだろう?と思ってしまう。
普通なら、王太子との婚約。
瞳を輝かせ、明日に備え、入念にお風呂にでも入っているだろうに。
でも。
もう本当に後がないのだ。そして今日、ここでルイズに会えたのは、天啓だと思う。ラストチャンス。これを逃せばもう後はない。
そこで腹を括ることにした。
「ルイズ。これから話すことは、荒唐無稽に聞こえるかもしれない。そして信じることは、できないかもしれないわ。でも将来、ルイズは私の言葉が嘘ではなかったと、分かると思うわ」
そう告げた後は、自分が別の世界からの転生者であること。この世界は私が元いた世界で見たロマンス小説(乙女ゲームでは理解できないだろうと判断)にそっくりな世界であること。この世界で私は主人公に嫌がらせをする、悪役令嬢という立場であることを明かした。
「悪役令嬢である私は、主人公の恋路をどうしても邪魔してしまうの。その原因が王太子様の婚約者になることなの。王太子様の婚約者なんて、未来の王妃よ。それで勘違いをしちゃうのよ。私はすごい。偉いって。それで爵位が低い主人公に散々嫌がらせをして、それがバレて最後は……」
最終的に私が死ぬ事態になると知った時、ルイズは驚愕している。さらに私が話したことは、かなりぶっ飛んでいることだと思うのだけど、それを理解し、尋ねてくれた。
「その悪役令嬢にならないために、チェルシーは何をしようとしているの?」と。
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