嬉しいよ、チェルシー
ルーは5歳の時、宮廷画家のピエーロの弟子を、短いながらしていたという。でも師匠のスパルタぶりに音を上げ、弟子を止め、この工房にやってきた。もしかするとルイズのことを知っているのでは?
そこでルーにルイズのことを知っているかと、まさに尋ねようとしたら。
「チェルシー!」
名前を呼ばれた。
工房の入口を見ると、そこには……。
白シャツに藍色のベストとズボン、茶色の革のブーツ。
トレードマークの眼鏡にチョコブランの長い髪。
「ルイズ! どうしたの!」
驚きの声を上げると、ルーが体をビクッと震わせ、工房にいた多くの画家の卵が、ルイズを見た。するとルイズは、にこやかにほほ笑みながら工房の中へ入ってくる。
「師匠の宮廷画家のピエーロ様から、おつかいを頼まれたんだよ。この工房で、とてもクオリティの高い、紫色の顔料が手に入るって。それを宮殿の礼拝堂のフレスコ画で使うから、手に入れて帰って来いと」
これにはもう、ビックリだ。
王都からこの工房――というか水の別荘まで、半日かかるのに。
そんなところへお使いに行かせるなんて。
マルグリット公爵夫人に頼み、取り寄せればいいのに。
確かに宮廷画家ピエーロはスパルタだ。
ルイズはこちらへ向かって歩きながら、自分を見ている画家の卵たちを、ゆっくり一瞥していく。
するとみんなハッとした表情になり、ルイズに会釈し、すぐに止めていた各々の作業を再開させた。
なんだかその様子は……。
宮廷画家のピエーロの弟子。
それはとても権威的なのかしら?
権威的。
でもそれは……そうだろう。
ピエーロは沢山の弟子をとっていると聞くが、彼の弟子を希望するのは、クルミ王国中の画家の卵だ。その数は相当だろうし、実際弟子になれるのは、ごくわずか。なりたいと願っても、そう簡単になれるわけではない。つまり現役でピエーロの弟子であるルイズは、画家の卵の彼らからしたら、羨望と畏怖の対象なのだろう。
「ところでチェルシーはどうしてここに? まさかチェルシー、画家を志望することにでもしたの?」
私のところへ到着したルイズは、ニコニコと尋ねる。
「まさか。私に画家なんて無理だわ。マルグリット公爵夫人に招待されて、この水の別荘に両親と一緒に滞在していたの。でもこの後、昼食をとったらもう王都に戻るわ。その前にお土産を買おうと思ったの」
ルイズの顔が少し強張る。
「へぇ……。お土産。……誰に?」
「それは……」
チラリと紫の顔料の入った瓶を見た時。
ルーの姿が目に入った。
彼はテーブルに視線を落とし、顔面は蒼白だ。
ど、どうしたのかしら?
思わずルーに声をかけようとした瞬間。
「チェルシー、それでお土産って誰に? 絵を贈るの?」
ルイズの声がいつもより険しく感じ、ドキッとしながら、ルーから視線をはずす。
「絵は贈らないわ。だって彼は自分で絵を描くから。だから顔料を。珍しい紫の顔料を贈ろうと思ったのよ。騎士団の食堂で紅茶を奢ってくれた人にね」
その瞬間。
ルイズの頬が緩み、笑顔があふれる。
「チェルシー、それは僕へのお土産っていうこと?」
「そう。サプライズにしたかったけど、バレてしまったわ」
「嬉しいよ、チェルシー、ありがとう」
もうこれにはビックリ!
いきなりルイズにハグされたのだから。
「ル、ルイズ、そんなに大したものではないわ」
「大したものだよ。画家にとって顔料はいつだって貴重なんだから。本当に、ありがとう、チェルシー」
そのハグはなんだかハグにしては長過ぎるのでは?と思ったところで、ルイズの体が離れた。父親以外の男性から、ハグなんてされたことがないので、なんだかドキドキしながら、ルイスを見ると。
「君、これ、チェルシーが購入する紫の顔料だよね。それはもう袋にいれてくれるかい? 残りの顔料、同じ紫のものを1キロ用意してほしい」
ルイズに言われたルーは「え、1キロ!?」と驚きの声をあげ、顔を上げる。だがルイズと目が合うとすぐに視線を伏せ、「か、かしこまりました」と答えた。そして手早くお土産用の顔料を紙袋にいれ、「どうぞ」と視線を合わせることなく私に差し出す。「ありがとう」と私が告げても、ルーは顔を上げず、頷くだけ。さらに顔料が置かれている棚へと、足早に向かっていく。
急にルーの態度が、よそよそしくなったように感じる。
「そこの君、支払いを」
「は、はいっ! お、お客様」
ルイズはアニエスのいるカウンターの方へ歩いて行き、アニエスはなぜだかとても慌てて様子で、カウンターの上を片付けている。
ルーといい、アニエスといい、他の画家の卵たちといい。
宮廷画家の弟子には、頭が上がらない感じね。
結局。
私はルーにルイズのことを聞きたかったのだが、気づくとルーは、工房から姿を消していた。紫の顔料1キロを用意したのは、後から工房へやってきた画家の卵……ではなく、かなり年配で、画家の卵を指導する、この工房の責任者だった。
責任者の年配の男性は、何度もルイズに頭を下げ、過剰と思えるぐらいきっちり梱包した瓶入りの紫の顔料をいれた木箱を、ルイズに渡した。
工房の責任者クラスでも、宮廷画家の弟子には平身低頭になるなんて。
そう考えると。
もしかしたらルイズが紹介すると言っていた縁談の相手は、すごい人かもしれない。宮廷画家ではないが、名の知れた画家を紹介してくれるかも?――そんなことを思いながら、用が済んだので、工房を後にした。






















































