気になるの?
下衆男爵に襲われ、絶体絶命になった時。
颯爽と現れ、下衆男爵の魔の手から私を救ってくれた人がいる。
それをルイズに話して聞かせると……。
「そうか。助けてくれた人がいて、本当によかったね」
「そうなの。でもね、名前も名乗らず、その場を立ち去ってしまったの。だから誰が助けてくれたのか、分からなくて……。分かっているのは、騎士なのかもしれないということだけなの」
「……へえ。どうして騎士だとチェルシーは思ったの?」
ルイズは子羊のカツレツを口に運びながら、私に尋ねる。
「マントをまとっていたから、紋章は見えなかったの。でも軍服を着ているように思えたから。それに鮮やかに一撃で下衆男爵を沈めたのよ。そんなこと、訓練されている騎士でもないとできないわよね」
「いい推理だね、チェルシー。でもそんな風に推理してどうするの?」
「それは……御礼の言葉を伝えたいし、御礼の品も渡したいと思うわ」
するとパンをちぎりながら、ルイスは指摘する。
「チェルシーは会いたいと思っているの? でも名乗らなかったということは、そういうことをされたくないからでは? 『探さないでくれ』と思っているのでは?」
「……! それは……そうよね。……でも人助けをしたのよ。悪いことをしたわけではないのに。なぜ名乗らなかったのかしら?」
「それは……本人に聞かないと分からないけれど、予想はつくよね。騎士であるならば、襲われているレディを見て、助けるのは当たり前のことだから。名乗るほどのことはしていない――ということかもしれない」
騎士道精神に従い、助けたまでです――ということね。
もしそれが正解なら、とても男前だ。
ただ、名乗らず、また騒ぎ立てず姿を消してくれたことは、私からすると願ったり叶ったりだった。もしおしゃべり好きな勇者の騎士だったら。彼の武勇伝より、バークモンド公爵家の令嬢が、ティーシュー男爵に襲われたという話の方が、ものすごいスピードで広がってしまっただろう。
みんなの興味関心は、下世話な方に向かうはず。襲われたなんて言っているが、縁談で二十五人にも振られているバークモンド公爵家の令嬢が、ティーシュー男爵を誘惑でもしたのではないか? 未遂で終わったと言っているが、本当はどうなのか? そんな風に騒ぎ立てられたら、たまったものではない。
既成事実婚を狙っていたが、下衆男爵のような男とそうなることは、本望ではなかった。嘘の噂が広まり、最終的に下衆男爵以外、嫁の貰い手がつかない……なんてことになったら、王太子との婚約を回避できても、その後は生き地獄になる。
あの下衆男爵と結婚し、毎晩寝室を共にするなんて、悪夢でしかない。
つまり御礼の言葉も求めず、静かにその場から立ち去ってくれた謎の騎士には「なぜ名乗らず立ち去ったのですか!」という気持ちは、これっぽっちもなかった。
その考えに至った私に、ルイズが畳みかけるように尋ねた。
「詮索しても仕方ないよ。『助けてくれてありがとう』と思っていれば、それでいいのでは? それともその騎士のことが、何か気になるの?」
助けてくれてありがとうで終了。
その点については、強く同意だ。
でも謎の騎士が気になるかと言われれば……。
それは……気になる!
だってもしかしたら、既成事実婚狙いの人かもしれないから。
そうしたら私と……なんて考えていることは、ルイズに知られるわけにはいかない。なにせルイズは、公爵令嬢の私が、そういう行動をとることに、大反対なのだから。
「気にならないと言えば、嘘になるわ。でも本人が、ルイズの言うように思っている可能性が高いなら。無理に探してもね。だから……まあ、気になるけれど、それ以上でもそれ以下でもないわね」
「納得したわけだね。名乗らなかったことを」
「そうね」
するとルイズは、グラスの水を一口飲み、またも真面目な表情になった。