チェルシー!
下衆男爵騒動の翌日。
朝食の席でも、両親は怒り心頭だった。
でも父親は議会へ向かい、母親一人になると……。
母親もさすがに一人では怒りを維持できない。
その結果。
昼食の時間が近づくと、母親は私を街のレストランへ連れて行き「好きなもの好きなだけ、食べていいのですよ」と笑顔で告げた。
腹部に痣はあるものの。マルグリット公爵夫人の医師から処方された薬のおかげで、痛みはほとんど感じなくなっていた。よって朝食も普通にとることができたし、母親の昼食の提案も、勿論、快諾だ!
何より、公爵令嬢として相応しくあるために。食べ過ぎることは、体形維持の観点からも、ストップをかけられていた。それが好きなだけ好きなものを食べていいなんて! これは明らかに下衆男爵により、傷ついた私をなぐさめるための行動だと理解できた。
レストランでは、肉料理とデザートを、満足いくまでいただくことになった。
とはいっても。
ドレスの下はぎちぎちの下着。
そこまでは食べられない。
どちらかというと心が大変満たされ、お腹は下着の締め付けで収まる範囲で満腹になった。
結果的に心身ともに満たされ、レストランを出て、馬車に母親と乗ろうとした時。
「チェルシー!」
驚いた。
ルイズがいるではないですか。
私は母親にルイズのことを紹介する。
宮殿でよく会う宮廷画家の弟子がいることは、両親に話していた。よって母親も、ルイズのことは名前を知っている。
名前。
そう、ルイズのことを両親は、名前しか知らない。
なぜならルイズと私は、宮殿でしかこれまで会ったことがなかったからだ。
こんな風に街でバッタリ会うこともなければ、屋敷へ招いたこともない。
別に屋敷へ招いてもよかったのだろうが、ルイズはいつも忙しそうだったので、その機会がなかった。さらに街中でさえ会うことがなかったのは……。
宮殿画家の弟子だから、宮殿にいて当然。
しかも住み込みなので、部屋も宮殿内にあった。
とはいえ風景画も描くだろうし、休みの日は、街にも出掛けているだろう。だが会ったことはなかった。だからこうして会えたことに驚き、理由を尋ねた。すると急ぎで必要になった顔料があり、師匠である宮廷画家ピエーロに頼まれ、町へ買いに来たのだという。
通常、画材や絵具など、宮廷画家が必要とするものがないか、画材屋が宮殿に御用聞きのように来てくれるという。弟子たちも自身が必要な物は、そこで購入している。よって宮廷画家や弟子が、画材を手に入れるため、街へ出向くことは、ほとんどない。ゆえに今日の出会いは、奇跡的だった。
「急ぎで来たということは……すぐに宮殿へ戻るの?」
「いや、師匠のところに来客がある。だから昼食を街で食べてから、戻って来いって言われているよ」
そこで私は、ルイズが昼食をとるのに付き合い、おしゃべりをしたいと母親に相談した。すると「いいわよ。いってらっしゃい」と快諾された。下衆男爵の一件があり、私が元気になれるなら、よっぽどのことでなければ、何をしても許してくれる雰囲気だった。
「それでルイズ、どこで食事をするの?」
「うん。師匠が紹介してくれたお店があるんだ」
そう言ってルイズが向かったのは……。
「え、ここって……」
レンガ造りの重厚な建物には、クルミ王国の王立騎士団「フォレスト騎士団」の紋章が飾られている。つまりはこれは、街に設置された騎士団の屯所を兼ねた建物だった。
「ねえ、ここは騎士しか入れないのでは?」
バークモンド公爵家の紋章を示せば、入れないことはないだろうが、何の目的で来たかは問われるだろう。しかもここは食事をするような建物ではないと思うのだけど……。
宮廷画家ピエーロは、多少風変りなところがある。でも食事を街でしろと言って、騎士団の屯所を紹介するって……。
私が驚いている間にルイズは、入口の門で警備をしている騎士に、話しかけている。そして何かを示した瞬間。警備の騎士がいきなり背筋を伸ばし、敬礼した。
「チェルシー、入っていいって。行こう」
ルイズは、宮廷画家ピエーロから預かった書状を見せたら、入ることを許されたと言うけれど……。一体、何が書かれていたのだろう? 宮廷画家と騎士団に、深いつながりがありそうには思えない。建物の中に入った後も、受付で書状を提示すると……。やはり受付の職員は立ち上がり、敬礼している。さらに目的なども、問われることがない。
バークモンド公爵家の紋章も、相応に力があると思う。でも宮廷画家ピエーロの書状には、それ以上の効果があるようだ。
こうして案内されたのは……。
広い食堂。
天井は吹き抜けで、三階分はあるだろうか。
何よりすごいのが、壁に絵が描かれたフレスコ画。
クルミ王国は、建国三百年の歴史を持つ。その建国の歴史と騎士たちの活躍を描いたフレスコ画は、実にドラマチックで迫力がある。そして右端に描かれた画家のサイン。それは宮廷画家ピエーロだ。
つながった。
点と点に過ぎなかった宮廷画家と騎士団が、線でつながった瞬間だ。
宮廷画家の作品を見るため、弟子が訪れたら見せてやってほしい。食堂で食事をすることを、許してほしい――そんなことが、書状には記されていたのだろう。
そこで私は気づく。
もしやここに、昨晩の謎の騎士がいるのではないかと。
昼食のピークタイムは過ぎている。
よってそこにいる騎士の数は少ない。
キョロキョロと見ていると、ルイズに声をかけられる。
「チェルシーは、紅茶だけでいいの?」
「あ、はい。昼食を沢山食べてしまったから」
「では僕が買うから、席を確保してもらっていい?」
騎士の姿はまばらだ。
確保するまでもないと思うけど、言われた通り、先に席に座る。
おかげでじっくり騎士を観察できた。
思うに、体を鍛えているだけあり、皆、実に凛々しく見える。
昨日の下衆男爵のような、小太りはいない。
さらに入団に関しては、扱う武器に応じ、身長も求められるという。
よって皆、体格のいい長身揃い。
多少、顔がパッとしなくても、その姿勢の良さ、清潔感、凛々しさで、みんな、素晴らしく見える。
なるほど。
王立騎士団の騎士で、縁談を複数回経験している者がいない理由が、よく分かったわ。これなら条件面が折り合えば、姿絵でお断りになることも、顔合わせで断られることも、ないだろう。
そう確信できた。