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図書館シリーズ

図書館の猫は

作者: 冬野ほたる



 私が住むのは灰色の屋根が多い街。

 高台にある駅から見下ろすとよくわかる。


 駅からの坂道を下る途中に建つ図書館の自習室には、彼がいる。

 名前は知らない。

 だから猫と呼んでいる。

 薄茶色の気まぐれそうな目が、なんとなく猫を連想させるから。


 猫の斜め後ろの机にいつも席を取る。

 ルーズリーフと教科書とワークを鞄から取り出す。

 音を立てないようにして。

 筆記用具を鳴らす音も最小限に。

 

 家で勉強をするよりも、自習室のほうが集中できる。

 余計な誘惑がないから。

 カリカリと文字を綴る音と、ときどき頁をめくる音。

 夕方の図書館の静寂のなかに、ただその音だけが聞こえる。

 私だけが知っている。猫と共有する時間と空間。

 そのことはたぶん、私の特別。

 

 いつも私服の猫は大学生なのか。それとも制服のない高校に通っているのか。

 それすらも知らない。

 だって言葉を交わしたことすらない。

 後ろから、背中を眺めているだけ。

 だけど、猫の醸し出す雰囲気が好き。


 猫が筆記具や本を鞄に仕舞って席を立つ。

 机の横を通るときに、何の気もない振りをして、ちらりと猫の顔を見るのが精一杯。


 ときたま、こちらを向いた猫と目が合う。

 恥ずかしくて、すぐに視線を逸らしてしまう。

 薄茶色の瞳に心の中を見透かされているような気がして、指先まで熱くなる。



 


▲▽▲▽▲


 灰昏い空からは雨が降っていた。

 自習室の中にも、じっとりとした湿気と雨の匂いが入り込んでいるようだった。

 猫の隣には、ふんわりとした長い髪の女の子が座っていた。

 猫はいつも通りに本をめくり、何かを書いている。

 隣の彼女は文庫本を読み、時折スマホを取り出しては、猫の耳元に顔を近づけた。

 小さな声でくすくすと笑いながら。


 そのうちに二人は席を立った。

 私の机の隣を通る。

 彼女から微かに甘い、果物のような香りがした。

 私は顔を上げられなかった。


 図書館を出るときには雨は霧雨に変わっていた。

 傘をさして坂道を下る。

 軽い雨の粒が制服のブレザーに張り付き、しっとりと湿らせていく。

 「あーあ」

 思わず声に出してしまった。

 どっちから声をかけたのかな。

 同じ学校なのかな。

 仲良さそうだったな。

 彼女、可愛かったな……。


 ……なんで何もしなかったのだろう。

 ……なんで目を逸らしてしまったのだろう。


 胸がつきんと痛かった。

 風にあおられた雨が目に入って、景色が滲む。

 灰色の街がさらに灰色に映った。

 


 


▲▽▲▽▲


 しばらくは図書館に行かなかった。

 二人が来ていたらと思うと、どうしても足が遠のいた。

 だけど家にいると、だらけてしまう。


 よく晴れた土曜日の午後。

 お母さんが掃除機をかけ始めた。

 床をごろごろと転がっていると、掃除機でつつかれた。

 「手伝わないなら吸い取るわよ」なんて笑いながら。

 むくりと起き上がる。

 「……図書館に行ってくる」

 なに? 手伝わないの~? なんて、後ろでぶつぶつと言っていたけど。

 まったく。お母さんは何も解っていないんだから。



 自習室の扉を開けた。

 いつもの猫の指定席には誰も座っていなかった。

 ほっとしたような、がっかりとしたような、妙な気持ちを覚える。

 いつも通りの席に向かおうとして、ふと横を見ると。

 薄茶色の瞳と目が合った。


 「……っ!」


 猫が私を見ていた。

 逸らしちゃダメと思う間もなく、私は反射的に目を逸らしてしまう。

 早足で席に着く。鞄からワークを取り出すが、それどころじゃない。

 なんで、今日に限って居るのだろう。

 猫が自習室にいたのは平日の夕方だ。

 土曜日の午後は見たことがない。

 だから図書館に来た……のに。


 どうしていつもの席じゃないの。

 どうしていつも目を逸らしちゃうんだろう。

 どうしてこんな適当な服を着てきちゃったんだろう。

 どうして前髪ちゃんと巻いてこなかったの。

 どうして……

 どうして……

 どうして……今日は一人なの?

 

 一時間ほどワークを広げて、何かを書いている振りをした。

 心の中ではそんなことばかりを考えて、後ろからする物音に全神経を集中させていた。

 ガ、タン。

 椅子が引かれる音がした。

 この特徴のある引き方は猫の音だ。

 自習室の扉が開けられた。ちらりと振り返ると、猫が出ていく後姿が見えた。


 ……はあ。


 心の中でため息をつく。

 手の中のシャープペンシルを、ルーズリーフの上にころりと転がす。

 机の上に顔を伏せた。


 私って……ダメだな。

 ……同じことの繰り返し。

 ……ふんわり髪の可愛い彼女は、勇気を出したから、隣に座れたのかな……。

 それとも……勇気を出したのは猫の方だったのかも。


 のろのろと身を起こして、ワーク類を鞄にしまう。

 今日はもう、帰ろう……。


 落ち込んだ気持ちでうつむき、視線は足元を彷徨った。

 図書館の出入り口の自動ドアをそのまま通り抜ける。

 自動ドアの先には、数段の階段とスロープがある。

 その階段を降りると、駅に続く坂道に繋がっている。

 アスファルトに反射した午後の陽が眩しくて、視線を上げる。


 階段の手すりに猫が寄りかかっていた。

 思わず足が止まってしまった。

 とんっと、身体に軽い衝撃を感じる。

 「あ、ごめんなさい」

 とっさに頭を下げる。

 急に立ち止まったせいで、後ろを歩いていた人とぶつかってしまった。

 「すみません」

 母親くらいの歳の人は、軽く会釈をした。

 私を追い越して、猫の前を通る。

 猫がスマホから顔を上げると、私を見た。

 気まぐれな雰囲気を持つ、薄茶色の瞳。


 ――どうしよう。

 ――どうしよう。


 目は、逸らせなかった。

 猫も私を見たままだ。

 時間が止まったみたい――


 ふいに頭の中に、ふわふわ髪の可愛い彼女が浮かんでくる。

 くすくすと、猫の耳元で笑う声が聞こえた気がした。

 勇気を出したのは、誰――?


 私の足、お願い、動いて!

 一歩、足を前に出す。

 猫が手すりから背中を離す。

 もう一歩、足を出す。

 猫が身体を私に向ける。


 もう一歩。さらに一歩。

 階段をおりる手前で、足が止まる。

 薄茶色の目を見たまま。頭の中は真っ白。

 でも、でも。思い切って。


 「あの」

 「あの」


 私と猫の声が重なった。

 

 






読んでいただいて、ありがとうございます。


よろしければ感想などをいただけると嬉しいです。


この後はどうなるのか? 

それは、もちろん……。

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図書館通いとは懐かしさを感じるなあ。 小学生の頃はよく通っていたけど、ほとんど人がいなかったような記憶…………。 そんな年齢だから彼女や彼の様に誰かを意識した事はなかったな。 猫は、やっている事は多…
[良い点] 図書館がますます好きになりました! 実は恋愛ものも好きでして。 キュンキュンしました! 図書館にはよく通いましたが、そうかー、席を見渡すとまた違う青春がありますね! 学生に戻りたくなりまし…
[一言]  あだ名のつけかた、センスが出ますね。  私だったら、声かけられるかなあ?  だとしても、ほかのひとといた時点で、ぐちゃぐちゃになっちゃうかも。  私、すっっごく、嫉妬深いので!
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