第三十一話
しばらくの間をおいて、すっかり憔悴しきったオスカーは生気の欠けた口を動かした。
「私は許せなかったのだ……あの娘を……あの男を……」
顔からは色を失い、全身のどこにも力が入っている様子はない。緑毛のソファに彼は沈み込むようにぼーっと倒れていた。
「私はソフィアを本当は第一王子であるマイル王子と結婚させたかったのだ。軍事において他国にも引けを取らない我々の家系ならば、女王としても申し分ないだろうと思ったからだ。だが、国王は首を縦には振って下さらなかった。マイルはすでに許嫁がいるのだと、故にその申し出は受けられないと断られた」
オスカーはふっと、狂気にも似た笑みを浮かべると、
「のちにわかったことだがな。マイル王子の婚約者はそもそも、アモルト王国の人間ですらなかったのだ。他国から連れてこられたどこぞの貴族の娘だった。
国王は他国との友好の証だと仰られていたが、私はそれが我慢ならなかった。そうでなくとも最近は戦争らしい戦争もなくなり、軍事の規模も年々縮小されている。だと言うのに、何が面白くて他国の人間なぞに女王の地位を譲らねばならんのだ」
少しずつ気が昂っていくオスカー。ユウたちはそんな彼を止めるでもなく、ただ黙って見守っていた。
「だが、それを国王に発言する度胸が私にはなかった。だから仕方なく、その弟であるルイス王子に甘んじた。次期国王の妃にはなれずとも、王族の仲間入りだけは果たすことができるだろうとな。——しかし、あの男は失敗だった。あの男の傲慢さ、非常識さは目に余る。あの男の性格はソフィアのような子には根本的に合わなかった。
だがな、折角取りつけた婚約をみすみすどぶに捨てることも私にはできなかった」
彼はそっと目を閉じると、脳裏にこびりついている光景を思い、また怒り、体を震わせる。
「だと言うのにあの男、こともあろうに自らの独断でソフィアとの婚約を破棄しおったのだ。そのようなこと、断じて許されるはずがなかろう——。その上、相手は伯爵家の令嬢、それも三女。なぜそんな家柄に、我が娘の地位を奪われなければならんのだ」
オスカーは昂った激情をのまま、拳を大きく振り上げ、膝に強く打ち付けた。
ユウの視界の端で、ライラがびくりと震えたのがわかった。
「それだけではない」
オスカーはユウへ訴えかけるように迫る。
「あの男はよりにもよって、パーティの土壇場でそのような愚行に及んだのだぞ。わざわざ大勢の観衆の元、あやつは娘に恥をかかせたのだ。あの時のことは今思い出しても腹が煮え繰り返る。それに——」
突然叫ぶかと思えば、彼はまた声を深く沈ませる。彼の目には今、おそらくユウではなく、最愛の娘、ソフィアの姿が写っているに違いなかった。
「あの時背中越しに見た娘の姿は、この世にたった一人取り残されてしまったかのような、哀しく、胸が締めつけられるほどに苦しかったのだ」
眉根を寄せ、苦しそうに語る殺人犯。彼は視線を上へ持ち上げると、天井……ではなく、さらに遠く、どこか空の向こうを見つめながら呟いた。
「最初は二人とも殺すつもりだった……娘に恥をかかせ、居場所を奪ったのだ。それぐらいの代償はあって然るべきだ。だが、それはやめた。それでは娘の負った傷の何の慰めにもならんと気がついた。娘を救うためにはもっと何か、スカッとすることがなければならない、とな。
だから私は片方を殺し、その罪をもう一方に着せることを思いついた。そうすれば片方は完全にこの世からいなくなり、もう一人は世間に後ろ指を刺されながら生きていかなければならなくなる。——配役はすぐに決まった。私は娘を殺すことに決め、その罪をあの男に着せることにした。それができれば、あの男は王族の地位は剥奪され、悪ければ国外追放させることになる」
「ですが、それでは彼らは何が原因でこうなったのか、一生理解できないままなのではありませんか?」
黙って耳を傾けていたユウが、この時ようやく口を開いた。
仮にその復讐がなされたとして、彼らはそれを理解することができるのだろうか。もしかするとあの婚約破棄に、彼らは罪悪感すら感じていなかったかもしれないのだ。
彼女は何が原因で殺され、ルイスは何を持って犯人とさせられたのか。ついぞわからないままに生涯を終えてしまうかもしれない。それが婚約破棄した娘の復讐だと、果たして彼らは理解することができるのだろうか。
ユウの予想外の問いに少し面食らった様子だったが、オスカーはすぐに元の調子を取り戻した。
「確かに君の言う通りだろう。私の可愛い娘を蔑ろにした罪を、彼らは理解できないかもしれない。——だが……だがしかし、私はそれでもいいと思ったのだ。
彼らは真実を知ることができないままに影へと追いやられていく。理解できなくとも、娘の心に開いた穴だけは塞ぐことができるだろうとな」
「凶器の短剣はやはり、そのために?」
「ああ。あの男が短剣を数多くコレクションしていることは知っていたからな。盗み出すのもそう難しくはなかった」
「アンナ嬢の部屋へは何と言って入られたのですか?」
今まで壁に凭れかかっていたシグルドがいつの間にかユウの横へと移動し、オスカーへ訊ねた。
「三日目に目撃したルイスとの言い争いをネタにすると、彼女はすんなり中へ入れてくれた。君には言っていなかったのだがね、私はあの時、もう少し詳細な話を聞いていたのだよ。——どうやらルイス王子はアンナ嬢から何かを脅迫されていたようだ。それが何かまでは残念なことに聞き取ることができなかったが、私がそのあたりをぼかしながら言うと、彼女は少し困惑する表情を浮かべながらも私を部屋へと招き入れた」
「なるほど。ですが、どうしてルイス王子が脅されていたとわかっていながら、彼に罪を着せようとしたのですか? 彼もあの婚約破棄は本意ではなかったかもしれないのに」
ユウが再び訊ねた。しかしオスカーは残念そうに首を捻ると、表情を翳らせた。
「確かにな……君の言い分もよくわかる。確かにあの話を聞いた時はかなり驚いた。まさかあの娘の方が王子を操っていたのだからな。悪女もああなれば傑作だった。
だが、私は計画を破棄、いや変更することはしなかった。例え操られていたのだとしても、娘に行ったことを無かったことにはできない。その時にはもうすでに、私は決意を固めていたからな」
「愚かです。たとえそうであったとしても、後戻りならいくらでもできたはずです」
「そうかもしれんな……。だが結局、私の計画は失敗に終わった」
と、オスカーは無気力に吐露した。
「私は計画を実行する上で、ルイスのアリバイだけは人一倍注意を払っていた。あの男に犯行が不可能となれば、罪を着せることができなくなるからな。
だがまさか、私がソフィアに気を取られている隙に、城をこっそりと抜け出すとは思わなかった。——ふん、つくづく腹の立つ男だ」
最後に吐き出された言葉はこの静まり返った空間の中を無数に跳ね返り、やがて静かに消失した。
残されたのは色を失った男が一人。中身が全て溶け出されてしまったかのように、感情のなくなった人形が残存した。
「いきましょうか、オスカー侯爵。外で我々の馬車が待機しています」
静かな足取りで歩み寄ったシグルドが優しい口調で声をかけた。
オスカーはゆらりと立ち上がると、ユウに微笑を向けた。
「君はこのために、私をここへ呼んだのだな」
ユウは肩をすくめると、
「その方が僕らも貴方も、いささか楽かと思いましたので」
「ふふ……君には負けた。私の一番の失敗は君を呼んでしまったことだろうな」
そう言って立ち去るオスカーの後ろ姿に、ユウは否定を述べた。
「それは違いますよ、オスカー侯爵。貴方の一番の失敗は娘さんの本意を測りきれなかったことです」
目を見張って振り向いたオスカーにユウは真剣な眼差しを向けた。
オスカーはただふふっとだけ笑うと、何も言わずシグルドに連れられ部屋を去っていった。
後に残された二人は腰を上げることもなく、部屋の扉が閉められるその時まで動こうとしはなかった。
オスカーを無事部下に引き渡したシグルドが戻ってきた。
ユウは立ち上がると、ずっと持っていた扇子を彼に返した。
彼はそれを受け取りながら笑顔を浮かべる。
「お見事です、ユウさん。まさか貴方に依頼した本人が犯人だったとは思いませんでしたよ。ここへきて初めて聞かされた時には心底驚いたものです」
「そうですね。僕も危うく騙されるところでした」
シグルドは銀縁メガネのヨロイをクイっと持ち上げると、
「またまたご冗談を……。危うく、と言う言葉が一体どこから出てくるのやら。貴方は徹頭徹尾、何者にも揺るがないお人ですよ」
「それは褒められているのでしょうか」
「もちろん。絶賛ですよ」
ニコニコ顔のシグルドの視線をユウは照れ臭そうに逸らした。
すると、
「あっ、そうだった」
少しでも気を紛らわそうと、ユウはわざとらしく声を大きく張り上げた。
「そういえば依頼人が逮捕されたから、僕らの依頼料は一体どうすればいいんでしょう……」
棒読みでそう言ったユウは横目でシグルドの顔をチラチラと伺った。
シグルドはそんな彼の様子に、呆れたようなため息をこぼした。
「そうですね。ユウさんには事件解決に貢献していただいたので、私から国からの謝礼金を申請しておきましょう」
「やった——」
ユウは嬉しそうにお礼を述べた。
それからすぐにシグルドはキリッと表情を引き締めると、
「それでは仕事がありますので、私はこの辺で。ライラさんも。——ああ、お見送りは結構ですから」
「はい……お疲れ様です」
ライラの言葉に見送られながら、彼は踵を返すと、足早に部屋を出ていった。
その後、しばらくして道路の方から馬車の音が響き、次第にそれも聞こえなくなっていった。
ユウはそれを確認すると、一際深いため息をこぼしてソファに腰を落とした。
隣に視線を向けると、先ほどシグルドを見送ったにも関わらず、ライラは未だ浮かない表情をしていた。
「どうしたの、ライラ」
不思議に思ったユウが訊ねた。彼女は沈んだ表情のままこちらに首を回した。
「クロエさんのお話はされなかったんですね……」
「ああ……」
彼女の言いたいことをすぐさま察したユウは視線を外すと、閉じられたドアに目を止めた。
「そのことか……。まあ、ライラの言いたいこともわかるよ。だけどね、彼女がそう言う選択をした以上、僕らがとやかく言うことではないと思う」
「そう、かもですけど……」
相変わらず彼女の表情は晴れないまま。ユウは首を横へ向け、彼女の横顔の、さらにその向こうに据えられている四角く切り取られた曇り空に思いを馳せた。




