第二十七話
話を一旦区切り、紅茶を一口啜ったユウは目の前に座るオスカーに改めて目を移した。
彼のややまるっころい顔には娘の無実が証明されたことに対する、心の底からの安堵の表情がありありと現れていた。
「やはり君に依頼したのは正解だったようだな」
オスカーはしみじみとそう言うと、敬意のこもった眼差しをユウへ向ける。
「改めて礼を言わせてもらおう。初めて顔を合わせた時には厳しい言葉を投げてしまったが、謝罪する。君は私が見込んだ通りの男だった」
手放しに絶賛するオスカーにユウは気恥ずかしそうに目を伏せた。
「いえ。そこまで誉められるようなことは何も……。僕は依頼を引き受け、そして無事に成し遂げられた。ただそれだけのことです」
「ふむ。無欲だな君は、ますます気に入ったよ。この礼は高く払わせてもらおう」
「お気持ちだけで十分ですよ」
ユウは顔へ微笑を作りながら頭を下げた。
しかしその一方、隣に座るライラの表情は今朝の空模様と同様、鈍色に沈んでいた。必死で笑顔を見繕ってはいるものの、それもいささかぎこちない。
オスカーはカップに口をつけると、ソファへ腰を深く沈み込ませた。
どうやら、彼はまだ退席するつもりはないらしい。
オスカーは探るような視線をユウへ向けると、
「して、あれからどうなったのだ? 私と別れ、応接間で休憩をした後、散歩をしに外へ出たところまでは聞いた。だが、その結末まではまだ聞いておらん。新聞にもまだ掲載されておらなんだしな」
オスカーはそう言うと、一人がけソファへ座るユウとライラ、それから暖炉横の壁に凭れかかっているシグルドを順に見やった。
「結局のところ、私の娘に罪を被せた人間は一体誰だったのだ」
問い詰めるかのように声を張って彼はユウを睨め付けた。
ユウはお得意の不敵な笑みを作ると、胸の前で掌を合わせた。
「その前に少し話を整理しましょうか。——現在判明していることはアンナ嬢の部屋に置かれていたカップがソフィア嬢ではなく、別の誰かが使用したものだった。そして次にイヤリング。これは彼女自身が亡くなる直前に持ち出したものではなく、何者かが——この場合は真犯人ですね——意図的に持たせたものだった。この二つです」
ユウは二日前、応接間の時と同様に、オスカーに指を二本立ててみせた。
そして彼は「まず一つ目から」と言って、中指を折り曲げた。
「カップについてですが、持ち手が左を向いて残されていたと、先ほど僕は言いましたね」
ユウは指を一本残したまま、一際眉間を険しくさせ先を続ける。
「ですが、どうでしょう。左利きの人間は関係者の中ではソフィア嬢と侯爵夫人であるイザベラさんだけです。しかしお二人共、カップを持つ手は右だと言う。他に左利きの方はいらっしゃいません。——と言うことは、一体誰があのカップを使用したと言うのでしょうか」
まだ指が一本残されているにも関わらず手を取り下げ、再びユウは合掌を作った。
「答えは簡単です。あのカップは何者かがソフィア嬢を貶めるがためだけに動かし、あたかも左利きの者が使用したように見せかけたものなのです」
「やはりそうか——」
彼の言葉を聞き、オスカーは湧き出す怒りを抑えきれず、拳を膝に激しく打ちつけた。
「ソフィアに罪をなすりつけるためだけの工作だったのだな」
「そうなります」
ユウは力強く頷いた。そして、気持ちを切り替えるかのように口調を変えて、彼は話を再開する。
「ですがそれは逆にこうも言い換えることができます。この工作を行った犯人はソフィア嬢がカップを右手で持つことを知らなかった者だと……」
「それはつまり、この工作を行った犯人は私やイザベラ、クロエ以外の誰か、と言うことか?」
“ええ、そうなります”——頷いたユウはもう一度掲げた人差し指を折った。
「そして次ですが、アンナ嬢が持っていたイヤリング、あれは間違いなくソフィア嬢に罪を着せるために、別の誰かが行ったことで間違いありません。——ですがここでも、いくつか疑問点が浮上します」
「疑問?」
オスカーは首を傾げた。ユウは答えない代わりにと、平然と解説を進めていく。
「あのイヤリングはオスカー侯爵、あなたが彼女へ送ったものです。そしてそれは今の今まで日の目を見ることはなく、今回のパーティで急遽、ソフィア嬢自身が決定し、身につけて行くことになったものです。——つまりです。あのイヤリングを誤って落とし、例えそれを拾ったとしても、それがソフィア嬢のものであることは第三者にはわからないのですよ」
そう説かれたオスカーは顎に手を置くと渋い顔を浮かべた。
「なるほど……そうか……」
だが、彼はすぐに顔を顰めると、ユウの矛盾点を指摘した。
「しかしユウ君。今の君の話では、あの偽装工作はイヤリングが誰のものであるかを知っていた人物が行った犯行だと、そう言うことになってしまうぞ。それを知っているのはもちろん私と、それからイザベラにクロエ、後は屋敷の者も知っているだろうが、あいつらは今回のパーティには来ておらん。となると、三人だけになる。しかし、それでは先ほど君自身が言った話と矛盾してしまうぞ」
そうだ。ソフィア嬢が左利きでありながら、カップだけは右手で持つことを知っている人物はこのパーティに限りオスカーとイザベラ、そしてクロエのみ。しかし、彼女のイヤリングのことを知っている人物もまた、この三人だけなのである。
三人しか知らない事実。それにより矛盾する事象。
混乱を隠せないオスカーをユウは両手で宥める。
「まあまあ、落ち着いてください。確かに私は先ほどそう言いました。ですがどうでしょう。本当にそうなのでしょうか?」
「そう、とはどう言うことだ……」
「本当にイヤリングの存在を知っている人物は三人だけなのか、と言うことです」
「しかし、他の者では見る機会すら……、んん、そうか。そう言うことか——」
オスカーは言葉を切ると、目を大きくさせて声を張り上げた。
「まさか、そうか。——“奴か”」
オスカーは思い当たる人物を頭の中に呼び起こしたのか、悔しそうに歯噛みした。
怒りをぐっと堪えているせいか、膝に乗せた拳はふるふると震えている。
ユウはふっと口元を緩ませると、彼が閉ざした言葉の先を代弁するかのように口を開いた。
「そうです。一人だけ、それを知ることができた人物がいらっしゃいました」
ソフィアはパーティ直前になって急にイヤリングの変更を行った。他の者では絶対に知る術がない。
だが、彼女が身につけている現場を直接目撃していれば、あのイヤリングが彼女のものだとその者は瞬時に判断できるのだ。
それができたであろう人物は一人しかいない。
「——ルイス、王子です」
ユウは自信満々にそう言い放った。
「クロエさんが仰っていましたね。アモルト城へ到着した彼女は部屋へ向かう最中にルイス王子と鉢合わせをしたと……そして二言、三言を交わした後、部屋へ入り、その時イヤリングが紛失していることに気がついた。
他に言葉を交わすほど、彼女のイヤリングに目を止められた人物はいない。——つまり、家族以外でルイス王子だけが、あのイヤリングの持ち主を知っている可能性があるのです」
可能性がある——とユウは最後にそう付け足した。
正直に言うとこの推理は——推理と呼ぶのもおかがましいかもしれないが——不確定要素ばかりなのである。
ソフィアがどこでイヤリングを落としたのか正確には判明していない上、会話を交わしたからといって、必ずしも彼女のイヤリングが確認できたかと言われると、はっきり言って微妙なのだ。
しかし、今回は“それでいいのだ”。——この話はもう、解決しているのだから。
そんなユウの内心など露ほども知らないオスカーは彼の言葉に激しく同意を示した。
「なるほど。確かにあの男ならば、ソフィアのイヤリングを知ることができたわけか」
うんうんと頷くオスカーにユウは「しかし」と遮った。
「彼に関する話はこれだけではありません。僕たちは彼以外の関係者から気になる情報も伺ったのです」
「気になる情報? なんだね、それは……」
オスカーがやや不審げに訊ねた。
ユウは頭の中でアモルト王国、第三王子であるスビンの顔を思い起こしながら、
「ルイス王子は犯行があった時刻、西館の裏手にいるところを目撃されているのですよ。それも三度も。これは彼の完全なアリバイとなりうることなのです」
「何ぃ——」
オスカーはユウの発言を全く予想だにしていなかったのか、ここに来て最も大きな声で喫驚した。
「それは本当なのか?」
と、食い気味にユウへ詰め寄ったオスカー。そんな彼に、ユウは首を振って答えた。
「この証言は確かでしょうね」
「——いや……だが、こうは考えられないか」
オスカーは焦り気味に、一つの仮説を述べた。
「ルイスとその証言をした人物がグルだったのだ。ルイスが犯行を犯し、協力者が嘘の証言をする。それならば、実行した本人はアリバイができ疑われなくなる」
だが、ユウはまたも首を振ってその説を否定した。
「それはないでしょう。あくまでこの話はその証言者から聞いた話です。当のルイス王子はこのことを一言も話していない。その事実自体不明でしたが、もし貴方の仮説が正しいのならば、どうしてルイス王子は僕にはともかく、シグルドさんにアリバイを証言されなかったのでしょうか。アリバイがあるにも関わらず、口にしなかった理由が僕にはわかりません」
「いや、しかし——」
何かを言いかけたオスカーをユウはスッと上げた手で制した。いきなりに驚いた彼は思わず口が止まる。
「その証言者はこうも言っていました。その場所にはルイス王子だけではなく、もう一人誰かがいたと……」
「誰か? 誰なんだそれは」
ますます訳がわからないと混乱するオスカー。彼はもう反論する気すら失せ、ユウの話に黙って耳を傾けることにした。
「僕たちはその真意を確かめるべく、彼の部屋へ向かうことにしました」
——それが先ほど貴方が訊ねた、庭へ散歩した後のお話になります。と、ユウは最後につけ加えた。




