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第二十六話

 やがて応接間に、用事を済ませたシグルドが姿を現した。

 彼はユウとライラを交互に見やると笑顔で、


「すみません席を外してしまって、お話は聞き終わりましたか?」


 と訊ねた。


 ユウはパイプを手に、天井を見上げたまま目線だけを扉の方へ下げた。


「終わりましたよ。ソフィア嬢の身の回りのお世話をしているというクロエさんにもお話が聞けました」


 シグルドは後ろ手で扉を閉めると、手近な椅子に腰を下ろした。ユウたちからは二脚分くらい離れた位置である。


「どうですかユウさん。ソフィア嬢の容疑は払えそうですか? 私はオスカー侯爵の部屋へは行けませんでしたが、左利きのこともあります。無実を証明するのはやはり難しいのではありませんか?」


 心配そうな顔を浮かべるシグルド。オスカーの期待には答えられないのではないだろうかと、彼は半ば諦めムードを全身から醸し出していた。

 しかし、ユウはあっさりとそれを否定した。


「ソフィア嬢の無実は間違いありませんよ」

「え?」


 ユウの思いがけない言葉に瞬間、時が止まったシグルド。聞き間違いかとも思われたが、そんなことはないだろうと小さく首を振ると、一体に何を根拠にそんなことを? と顔を顰めた。


 シグルドは視線をユウから外すと、その隣にいるライラに向けた。


 彼女の方に驚きはなく、神妙な面持ちのまま黙している。

 そこで何かを勘づいたシグルドは再びユウへ視線を戻すと、


「もしかしてオスカー侯爵の部屋で、何かありましたか?」


 と訊ねた。


「ええ、まあ」


 と答えたユウは何から話そうかと頭の中で考えを整理させると、徐に指を二本立てた。


「根拠は二つあります。——まず一つ目。これはシグルドさんが仰ったように、先ほどオスカー侯爵の部屋を訪れたことで判明したことなのですが、ソフィア嬢は確かに左利きです。しかし彼女はカップを持つ手だけは右手を使っていたそうなのです。——どうしてそう言い切れるのか、と言う顔をされていますね」



 ユウはシグルドの質問を先回りすると、イザベラから聞いた話を彼にも語った。

 オスカーの妻、イザベラの家系には左利きの女性が多いこと。イザベラの曽祖母が、飲み物をいただく時だけ、カップを右で持つようになったこと。そしてそれはソフィアにも継承されていたこと。


「つまりソフィア嬢は左利きだけれども、紅茶は右手で飲んでいた。アンナ嬢の部屋にあったあの紅茶のカップは彼女とは別の人物が飲んだものであると、そう言うことになるわけです」

「んーん……」


 シグルドは腕組みをし深く唸ると、早速ユウへ反論した。


「申し訳ありませんが、それを理由にソフィア嬢が犯人でないと断定するにはいささか弱いように感じます。確かにあの部屋にあった紅茶は犯人が飲んだものだと、我々はさんざん言ってきましたが、それを否定しただけではソフィア嬢が犯人でないとは言い切れないのではないでしょうか。もしかすると、あの紅茶は犯人とは別の誰かが飲んだもので、その者はとある理由から言い出せないだけ、と言う可能性もあるわけですし」

「それは十分理解していますよ」


 シグルドの意見を聞いたユウに戸惑う素振りは一切なく、彼は想定通りであるかのように頷き、そして立てていた人差し指をシグルドへ突き出した。


「根拠はもう一つあります。これは私がオスカー侯爵の依頼を引き受けた理由にも繋がることなのですが、どうしてアンナ嬢はあのイヤリングが、ソフィア嬢のものだと分かっていたのでしょうか?」

「ええっと、それは……」


 それはユウが初めてこの城を訪れた際に、シグルドが説明した話だった。

 アンナはイヤリングを持って亡くなっていた。しかしそのイヤリングはソフィアが今回のパーティで初めて身につけたものだった。

 のちの話ではそのイヤリングはパーティの二日前にオスカーが彼女へプレゼントしたものであり、彼女は前日になってそのイヤリングに変えたのである。


 それだけではない。クロエの話ではソフィアがこの城へやって来てから、あのイヤリングをなくすまでの間で会った人物はルイス王子だけなのである。

 つまりアンナはソフィアがあのイヤリングをしているところを、一度として見ていないのである。


 ——だが、シグルドは納得しなかった。それだけでなく、彼は新たな意見も出してきた。


「もしかすると、アンナ嬢はそのイヤリングの持ち主がソフィア嬢のものだと、誰かから聞いていたと言う可能性は考えられませんか。それならば、アンナ嬢が知っていてもおかしくはありません」

「確かに、それは十分に考えられます。ですが、それはないでしょう」


 思いのほかバッサリと切り捨てられたことに驚いたシグルドが、ユウへわけを訊ねた。彼は一度パイプを咥えると、


「なぜなら、あのイヤリングはそもそもアンナ嬢が持っていたものではないからです」

「「え?」」


 まったくの予想だにしていなかった言葉に、シグルドだけでなくライラまでもが、思わず情けない言葉が喉をついた。


 大きく目を見開いた状態で固まっている二人を、ユウは無視して続ける。


「思い出してください。アンナ嬢の遺体は傷口から出た出血で、身体中真っ赤に染まっていました。そしてそれは両方の掌も同様です。おそらく、刺された際にでも自らの傷口を押さえたことで付着したのでしょう。

 私が事故現場を訪れた際、あのイヤリングは確かにアンナ嬢が持っていたとシグルドさんは仰いました。そしてその後見せいただいたイヤリング。ピンク色の球体が何とも鮮やかで、とても綺麗だったと印象に残っています」


 ユウはバッと顔を動かすと、キリッとした眼差しをシグルドへ向けた。


「ですが、明らかに綺麗すぎます。血がついた手で持っていたのですよ。ならばあのイヤリングにはもっと血がついていて然るべきなのです。だと言うのに、あのイヤリングには血が付着した形跡が見られなかった。——では、それはなぜか」


 ユウは間を開けると、興奮気味だった気持ちを幾分和らげて言った。


「あのイヤリングはアンナ嬢が亡くなった後、少し経ってから、彼女の手に握らされたものだからです」

「それはつまり……あのイヤリングはアンナ嬢の残したダイイングメッセージなどではなく——」

「犯人が残した偽装工作、そう見るべきでしょうね」


 シグルドはその衝撃に耐えられず、視線を右往左往させると、右手でおでこを抱えた。

 そんな彼を諭すようにユウは言う。


「ダイイングメッセージとは死者が生者のために残した遺言です。しかし、不自然に残されているものが総じて、必ずしもダイイングメッセージとは限らない。この事件はつまり、そう言うことですよ」

「では、犯人は一体……ユウさんにはすでに、犯人が誰なのか分かっているのですか?」


 ライラが困惑げに訊ねた。

 ユウはパイプの先に目を馳せながら、


「確証がない」


 と答えた。

 『わからない』ではなく『確証がない』と……。それはつまるところ、ユウにはすでに目星はついていると言うことだった。


 物的証拠が残されていればいいのだが……。

 ユウは目を閉じ、苛立つ心を必死に沈める。意識して深い呼吸を繰り返し、そして次第に落ち着いてきたことを確認すると、ユウは持っていたパイプをそっと咥えた。


 黒いマウスピース。ボウルには葉は入っておらず、火もつけられていない。そんな不完全なパイプを、彼は目を閉じながら味わっていた。



 彼はこれまで見聞きしてきた出来事、エピソードを頭の中で順番に整理していく。


 アンナの刺し傷。ルイス王子の短剣。左手のイヤリング。アンナの扇子。床に落ちていたインクのシミ。

 真っ暗な世界に、ただ浮遊するように彼の意識だけがたゆたう。目の前にはこれまで見てきた事柄が、切り取られた写真のように次々と並べられていく。


 ユウは次に、先ほど聞いてきた各人の話を同時に列挙していった。


 アデラ。それからルイスに、ルシールとスビン。オスカーとイザベラ。最後にクロエ。

 彼らの話を統合し、照らし合わせ、そして精査していく。男女さまざまな声が頭の中を駆け巡り、映像がものすごいスピードで入れ替わっていく。


 そしてそれは一枚の画でぴたりと停止した。


 ——それは床に落ちていたと言う、蓋の外れたインクの瓶だった。



 ゆっくりと瞼を持ち上げるユウ。そんな彼の姿を、固唾を飲んで見守る姿がそこにはあった。


 ユウは大きく息を吸い込むと、吐き出した。集中しすぎたせいで、どうやら呼吸すらも止まっていたようだ。


「何か分かりましたか?」


 恐る恐る訊ねるライラ。ユウはそんな彼女へ、不敵な笑みを送った。

 そして無言で立ち上がると、


「皆さん。少し庭へ散歩に出かけませんか?」


 と言ったのである。

 そんな彼の様子を、ライラとシグルドはポカンと口を開けた状態でただ見上げていた。

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