第二十二話
シグルドは先の事情聴取の情報を伝えた。
「スビン王子は昨夜の一時から二時の間、庭を散歩されていたというお話でしたが、このことに間違いはありませんか?」
「はい。その時間は確かに、庭を散歩していました」
「庭というと、裏の庭園のことですか?」
ユウが訊ねた。スビンはユウへ顔を向け答える。
「ええそうです。僕、庭は昼間見るよりも夜見る方が好きなんです。あの独特の静けさがたまらなく好きで」
「そうですか」
ユウは頷くと、
「裏の庭園からアンナ嬢の部屋が窺えると思うのですが、何か気がついたことなどはありませんか?」
スビンは首を傾げ、
「すみません。特には何も……」
と申し訳なさそうに首を振った。
ユウは調子を崩すことなく、さらに訊ねる。
「では、その時間帯に何か気になったことなどはありませんでしたか? アンナ嬢のことでなくても構わないのですが」
スビンは腕を組み、うーんと深く唸ってみせると、「そういえば」と昨夜見た出来事を話し出した。
「西館の裏手で、兄を見ました」
「ルイス王子を、ですか?」
シグルドは眉間に皺を寄せた。
「ルイス王子はそこで何を?」
「さあ、わかりません。ただ、兄ともう一人、そこには誰かがいらっしゃいました。兄の影に隠れて、誰なのかまでは見えなかったのですが、兄はその人物と何やら揉めている雰囲気でした」
「揉めていた……」
ユウは前のめりに訊ねた。
「それについて、具体的な時間はわかりますか?」
「一時は……過ぎていたと思います」
「一時ですか」
アンナ嬢が殺害された時間は一時から二時の間。
仮に本当にそこにルイスがいたとしても、西館からアンナの部屋までは、走れば三十分くらいで辿り着ける。彼のアリバイにはなり得なかった。
しかし、スビンの話はこれで終わりではなかった。
「それから一時半ごろ、二時過ぎにも見ました」
「えっ、三回も見たんですか?」
驚くユウにスビンは平然と答える。
「ええ、二時間ほど散歩していたので。その時は、まだいるなあ、ぐらいに思っていたのですが」
もし彼の話が正しいのならば、ルイスは最低でも一時過ぎ、一時半、それから二時過ぎには西館の方へいたことになる。
そこからアンナの部屋までは三十分となると、とてもではないが犯行をなしえたとは考えられない。
この目撃証言はルイスにとって完全なアリバイとなり、彼には犯行が不可能だという確固たる証明となった。
しかしそうなってくると、新たな問題も浮上してくるのである。
ユウはシグルドを見た。
「シグルドさん。ルイス王子からこの話聞きましたか?」
シグルドは黙って首を横に振った。
やはりルイスは昨夜殺人が行われたであろう時間帯に、アリバイがあったにも関わらず、それをシグルド含めた保安騎士団には一切伝えなかった。
彼はなぜ、そのことを黙っていたのだろうか。
考え込むユウを他所に、シグルドはルシールから聞いた話を思い出した。
「そういえばスビン王子。これはルシール嬢から伺ったお話なのですが、昨夜の十二時ごろ、アンナ嬢とソフィア嬢が何やら言い争いをしている現場を二人で目撃されたそうですね。その時のことを詳しく教えていただけますか?」
「え、ええはい……確かに見ました。ですが……」
頷くスビンではあったが、その顔は浮かない表情をしており、肯定する言葉もところどころ言い淀んでいた。
気になったユウがすかさず訊ねる。
「スビン王子はそのことで、何か気になることでも?」
そう言われ、彼はまたも言葉を詰まらせると、意を決したように鼻を鳴らし、真剣な面持ちで口を開いた。
「あれは言い争いと呼べるものではありませんでした。アンナが一方的にソフィア嬢に何かを怒鳴っている。僕にはそういう風に見えました」
「何か、とは具体的にはどんな内容だったのでしょうか?」
「すみません。そこまでは聞き取れませんでした。ただ、ソフィア嬢はアンナに必死に、何かをお願いをしているように見えたのは確かです」
「お願い?」
ユウは首を傾げざるを得なかった。
ソフィアがアンナにお願いをする内容とは一体なんだったのだろうか……。そもそも、あの令嬢が下手に出ていたという事実すら、俄には信じられないことだった。
全く見えてこない相関図に、ユウは一人むず痒さを感じていた。
後者はともかく、前者に関してならば、ユウにも思い当たる節はあった。
最も可能性があることと言えばやはり、ルイスの婚約者という立場を返してほしい。そんなところではないだろうか。
「まだ、何か気にかかることでもあるんですか?」
唐突のライラの言葉に、ユウはスビンが未だ暗い表情のままであることに気がついた。
まだ彼の中には溶けきっていない、冷たい思いが残されているようだった。
スビンはまさか顔に出ていたとは思っていなかったらしく、驚いた表情でライラを見た。そしてすぐに、彼は顔を伏せてしまった。
ふとした沈黙の中、その空間は彼自身が切り裂いた。
「皆さんはソフィア嬢が、本当に犯人だとお思いなんでしょうか」
「それは、どういう意味ですか?」
シグルドが彼の言葉の意図を図りかねて訊ねた。
だが、先ほどの彼の言った言葉はただ答えを求めたというよりも、これから語ろうとしている内容の、単なる前置きのようなものであると、ユウには感じられた。
案の定、スビンはシグルドの問いには答えず、語り始めた。
「私にはそうは思えないんです。——確かに彼女は昔から評判はあまり良くありませんでした。学校でのいじめも、その中心にいたのはいつも彼女でした。
アモルト王国王子の婚約者で、軍事関係に強い影響力のあるブルクハルト家の御令嬢。何人もの手下を引き連れていた彼女に、皆逆らうことなどできるはずがなかった。
僕は婚約者の弟ということもあり、その標的になることはありませんでしたが、その……そういう現場を目撃したことは何度かありました。ですので、僕も彼女のことを侮蔑の目で見ていたことは否定できません」
一気に捲し立てたスビン。膝に乗せた手にも自然と力が入っていた。
だが、そこまで語った彼は急に空気の抜けた風船のように語調を弱めた。
「——ただ、その見方にも変化が訪れたんです」
「変化?」
ユウの相槌に、スビンは両肘を膝に乗せ、胸の前で手を組んで答えた。
「はい。先日のことです。僕はとある貴族の社交パーティに招待されました。その時はアンナとルシールも一緒でした。
その方の屋敷はとても大きな敷地を持っていることで有名で、恥ずかしながら僕はパーティの最中、うっかり迷子になってしまったんです。今自分がどこにいるのかさえわからない状態のまま、周りを見ても誰一人姿は見えず、途方に暮れていました。——するとその時、突然後ろから僕の名を呼ぶ声が聞こえたんです」
「もしかしてそれが、ソフィア嬢?」
「ええ。正直驚きました。それに、一瞬身構えもしました。僕は彼女をお見かけしたことは何度かありましたが、特に彼女とお話をしたことなどなかったからです。一体自分に何の用があるのだろうかと、内心ビクビクでした。
ですがそんな心配は杞憂で、彼女は僕に、どうかされましたか? と、優しく声をかけてくれたんです。そして僕が道に迷ってしまったことを伝えると、彼女は親切にもパーティ会場の近くまで僕を案内してくれました。
僕がお礼を言うと、彼女は無言で微笑むだけで、会場とは全く別の方角へと去ってしまいました。その後は無事に二人とも合流して、ことなきを得たんですが……」
と、ラルフはやや赤面気味に話しながら、
「あまりにも彼女の性格がかけ離れ過ぎていて、一体どちらが彼女の本性なのか、僕にはわからなくなってしまったんです」
最後には神妙な顔つきでスビンそう語った。
「昨夜見た時に僕は確信しました。彼女は明らかに変わったんです。先週の婚約破棄宣言の時も、彼女は何一つ文句を口にしなかった。普通ならば激情に駆られてもおかしくない状況だったと思うんです。いや、彼女でなくとも、誰しもがそうなっていたに違いない。もしかすると、ただショックを受けていただけかもしれないのですが、ですがどうしても、僕には彼女が殺人犯だとは思えないんです」
そう最後まで言い切って項垂れたスビン。
ユウは彼の後頭部を見つめながら、ソフィアという人物を改めて考え始めた。
傍若無人、悪行雑言、極悪非道。行きの馬車でライラに語ったこれらの言葉は、しかしスビンがたった今語った彼女とは別人のように似合わないのである。
一体彼女の思考にどういった変化が生まれたのか。謎は深まるばかりなのである。
もしかするとスビンに対して行ったその行為には、もっと他に違う目的があったのかもしれない。
自身の婚約者の弟が困っている風だったから手を貸してあげた。そんな風にも見ようによっては見ることができるが、彼の口ぶりではそれもまた違うのではないだろうかと思えてくる。
本当ならば、ソフィア嬢本人に会って直接確かめるのが手っ取り早いのだが、今彼女はダンミリオンで拘束されている。
彼女の人柄が人伝でしか確認できないのでは、今どれだけ彼女について考えようとも、想像の域を出ることはできないのである。——いや、あるいは家族ならば……。
スビンは徐に顔を上げると、ユウの顔を見据えた。そして視線をまっすぐにぶつけたまま彼は言った。
「もしも彼女が犯人でないのなら、どうか真犯人を捕まえて、彼女を解放してあげてください。もしかすると彼女は変わろうとしているのかもしれない。理由はわかりませんが、もし本当にそうで、彼女以外の人物がアンナを恨んで起こした犯行なんだとしたら、それはとても見逃せる行為ではありません。——ですので、どうかよろしくお願いします」
丁寧に頭を下げ、彼はユウに切実な思いを伝えた。
ユウはそれに対し「全力は尽くさせていただきます」と、そんな気休めの言葉しか返せない自分に少し腹が立った。
しかしそう言われたスビンに落ち込んだ雰囲気はなく、顔を上げた彼の表情はどことなく吹っ切れたような、そんな晴れ晴れとした表情に満ちていた。
ずっと心の中に押しとどめていた気持ちを、彼はようやく解放することができたからなのかもしれない。
それからすぐに、三人はスビンにお暇を告げると、その場を退室した。




