第二話
今日の天気は曇りだった。
秋を感じさせる青空は消え失せ、滲んだ曇り空が一面を覆い尽くしている。気温も僅かに低下しているせいで、少し肌寒い。
ビレッダグレイン帝国。その首都にあたるここ、ダンミリオンにあるアパルトメントの一室。
白壁と黒い柱が外装を覆うこの建物の二階に、彼らはいた。
一人がけソファに腰を下ろした青年が一人。その隣にある、同じようなソファに座っている少女が一人。そして暖炉の隅で、壁に凭れかかって瞑目する男性が一人。
彼らはお互い会話するでもなく、ただ黙って、その時を待っていた。
室内に音はなく、聞こえてくるのは街の喧騒だけ。たまに乾いた風が窓を揺らすこともあったが、耳に届く音はそれだけだった。
ふいに聞こえてきた馬車の音がこの建物の正面で止んだ。
「来ましたね」
ソファへ腰を落ち着かせていた青年が口を開いた。
彼は肘掛けを頼りに立ち上がると、
「それじゃあ、ちょっと行ってくるよ」
と、誰に向けるでもなくそう言って部屋を出ていった。
それを合図にか、隣に座っていた少女も席を立つと、台所の方へと姿を消した。
二分ほどで青年は戻ってきた。
「どうぞこちらです」
彼は扉を大きく開き、一人の中年男性を部屋へと招き入れた。
飴色の厚いコートを着た男性。その上からでもわかるほどに、男性は肉づきのいい体をしていた。
「ふむ。ここが、ユウ君の仕事場か」
四十代後半と思しき男性は口をへの字に曲げると、部屋の中に視線を巡らせた。
薄汚れた天井に、埃の被った本棚。所々傷んだ箇所が目立つ床。そして古臭そうな暖炉に目を移した時、彼は驚いた声を上げた。
「おや、シグルド卿までおられたとは」
「二日ぶりです、オスカー侯爵」
シグルドと呼ばれた男性は壁から体を起こすと、オスカーに向かって深々とお辞儀をした。
「わざわざ彼まで呼んでいたとは思わなんだな、ユウ君」
オスカーはユウの方へ視線を戻し言った。青年は苦笑を返すと、
「申し訳ありません。僕も仕事をいくつか掛け持ちしていまして……。心苦しくはありましたが、一刻も早く結果をお伝えしたいと思い、こうしてご足労いただいた次第です」
ユウは右手を添えて、彼をソファへ案内した。
「さあどうぞ、おかけください」
オスカーは言われるがまま、ソファに腰を下ろした。
そしてその安っぽいソファを眺め、手触りを確認すると、今度はあからさまに不満の色を顔に滲ませた。
「うーむ、ここへは普段から依頼人を招くことはあるのかね。余計なお世話かもしれんが、もしあるのならば、もう少し家具には気を使ってみてはどうかな。家具が変われば、人の心も変わるというものだ」
向かいに移動し、先ほどの一人がけソファに座り直したユウは、またも苦笑いを浮かべ、右頬を掻いた。
「ははっ、そうですね。ご忠告感謝します」
特に機嫌を悪くした風もなく曖昧に返答すると、ユウは「ところで」と話題を変えた。
「ソフィア嬢はどうされていますか? もうお屋敷の方へはご帰宅されていると思うのですが」
オスカーは鼻を鳴らすと、一瞬だけシグルドを見やった。
「ああ、帰っておるよ。今ごろは屋敷に招いた家庭教師の指導を受けていることだろう」
「そうですか、それは良かった。——クロエさんもお変わりなく?」
「あいつなら今も変わらず娘の世話をしておるよ。別段変わったことはないが、それが何だと言うのだ?」
奇妙な質問に、いささか疑問を感じたオスカーは逆に彼へ問い返した。だが、ユウはなんでもないという様に首を左右に振った。
とその時、台所から先ほどの少女がカップを三つお盆に乗せて戻ってきた。
「どうぞ」
オスカーの前にその一つを置いた。
「ありがとう。えーっと、ライラさん、でしたな」
「はい、そうです」
彼女はこくんと頷くと、さらにもう一つをユウの前へ置く。そして最後の一つを、壁際にいるシグルドへ手渡した。
「ありがとうライラ。もういいから、君もここへ座って」
「はい」
ライラと名乗る少女はぐるりと座席を回ると、元いた位置に再度座り直した。
「では早速依頼について——」
彼女の着席を見届けたユウが口火を切った。
「今回の依頼はブルクハルト家のご令嬢、ソフィア・ブルクハルト嬢の無実を証明してほしいという内容でしたが——」
青年はそこで一旦言葉を切ると、勿体ぶるように一拍開けてから言った。
「あなたのおっしゃった通り、彼女は犯人ではありませんでした」
「やはりそうだ。私の言った通りではないか」
オスカーは破顔し、膝を強く叩いた。
「私の娘が犯人などあるはずがない。私は誰よりも娘を信じておるのです」
大喜びするオスカーの姿に、ユウの表情も少しばかり緩む。しかし、その顔にはまだ暗いものを含ませていた。
彼同様、シグルドとライラも浮かない表情のままだ。
しばらくの間喜びを口にしたオスカーは気持ちを落ち着かせると、青年に改めて訊ねた。
「しかし、それならば一体誰が犯人だったのだ?」
「気になりますか?」
「当然だ。私の娘に罪をなすりつけようとした犯人を許すわけにはいかん」
ユウはははっと笑うと、
「では少しの間お付き合い願いましょうか」
前屈みに体を倒し、ユウは語り始めた。
「では、そうですね。事件のあった次の日の早朝からお話しします」
そう言った彼の横顔を鼠色の空がほんのりと照らした。
ふいにユウは窓の外に広がる景色に視線を馳せた。
外界に広がっているどんよりとした雲は、彼の心中を映し出すかのように、晴れる気配が未だ見えずにいた。
あの時は結構晴れていたのになと、彼は心の中で呟く。
ユウは瞑目すると、目の前に座るオスカーへ顔を戻した。
安堵の笑みを浮かべて耳を傾けている彼の表情を見やりながら、ユウはあの日の出来事を思い出す。
ことの発端は一昨日。天高く流れる雲を含んだ青空を見た、十日の午前八時ごろのことだった。




